Romanticにはほどとおい

 第27話 (3)
夢の世界を彷徨っていると、軽く肩を揺すられた。
こういう起こし方をするのは、明らかに友雅ではない。
「神子様、お休みのところ申し訳ありませんが、緊急事態でございます」
「…えっ!?」
隣の部屋で寝ていた女房が、冷静さを保ちつつもあかねを急かす。
外はまだ闇が支配している時刻。
こんな夜中に起こされる緊急の事とは、ひとつしか思い浮かばない。
女房が渡してくれた衣を背に掛け、迷わずあかねは例の部屋へと急いだ。

無造作に開け放たれた御簾をくぐると、部屋には既に晴明と泰明がいた。
慌てて起きたような乱れは一切ない。もしかして、寝ていないのだろうか。いくらまだ夜とはいえ、太陽が昇るまでそれほど遠くはない時刻なのに。
「床に着いてはいたが、これまでと違う気の動きを感じたのでな。」
つまり、眠っていても変化に気付けたということ。さすが晴明、としか言えない。
「まあ取り敢えず、神子も座って落ち着くが良い」
晴明はそう言い、あかねを泰明の隣に座らせた。
そして改めて、この状況を確認する。
「あの……」
ええと、これはどういう状態なのだろう。
蘭は目を覚まして身を起こしているが、意識はちゃんと戻っているのか。
戻ったとして、自分がアクラム達に利用されたことは?その後にシリンの世話になっていたことは?
何よりも、兄の存在と目の前にいる彼のことは…。
どこまで我を取り戻しているのか、確認したいことが多過ぎて何を尋ねればいいのやら。

「"寿巳"と言うのだそうだ」
"ひさみ"?首をかしげたあかねに、晴明は続ける。
「すっかり尋ねるのを忘れておった。彼の名だ」
「あ、そうなんですか…」
そういえば確かに、名前を聞いていなかった。
知らずとも十分に会話も交流も可能だったから、特に名前を必要としなかった。
「寿に巳と書くのだそうだ。蘭殿が教えてくれたぞ」
あかねはびっくりして息を飲む。
蘭は彼のことを、ちゃんと覚えていたのだ。
彼の名前も彼の故郷も彼の仕事もすべて、晴明が尋ねると正確に答えたという。
泰明がひととおり体調を診たが、特に変わったところもなし。飲まず食わずで眠っていたにも関わらず、弱った部分は一切なかった。
あとは、どれくらい記憶が戻っているかということが重要。
ひとつずつ段階を踏みながら、晴明は蘭に質問を投げかける。

「寿巳殿とは、市で知り合ったのだったな。そなたが市にいたのは、どんな用事で来ていたのだ?」
「それはもちろん、買い物があって…」
「何を買いに来たのだ?」
「食料とか色々だけど…彼と会ったときは着るものを探しに来たのよ」
「そなたが着るものか?」
「自分だけじゃなくて、みんなの分もまとめて」
「"みんな"というのは誰のことだ?男か?女か?」
ここに至るまでは順調に晴明の問いに答えていたのだが、わずかに一拍空気のリズムがズレた。
普段なら気にならない程度の乱れに、今は過剰なほど敏感に反応してしまう。
そして、蘭の様子をどきどきしながらあかねは見守る。

「アクラム様とシリン様。それとセフル様の着物を見立てないといけなくて」
蘭から彼らの名前を聞いて、ぞくっと鳥肌が立った。
「その者たちとそなたは、どんな関係なのだ?」
「どんな関係って…世話になってる人たちよ」
「共に暮らしているのか」
「ええ、そう。私は食事を作ったり買い物に行ったり」
たまにシリンと一緒に料理をしたり、山中に木の実などを採りに行ったりもする。
主はアクラムで、洞の中から出ることは殆どない。
セフルはいつもどこかに行ってしまって、夜にしか帰って来ない。
「彼らとは、どのように知り合った?」
「………………」
言葉が止まった。
出来れば、思い出さないで欲しい。
すべてを元に戻すには真実を知るしか方法はないが、その真実は彼女にとってかなり酷なこと。
浚われ自我を封じられ操られ、鬼の一族たちが企てた悪事に利用されたのだ。
しかも、自分自身を失っている間に。
どうかこのまま、悪い記憶は永遠に封印されていて欲しい。
都合の良い願いだと分かっているが、もう京は平穏を取り戻したのだ。
辛い過去など無理に思い出さずとも。

祈るように両手を組んで、あかねは目を伏せる。
その間に晴明は泰明から白い砂のようなものを受け取り、何か唱えながらそれを蘭の身体に振るい落とした。
「もう一度尋ねよう。彼らと知り合ったきっかけは?」
「…詳しくは分からないわ。でも、シリン様が言っていたのは、家族とはぐれたところを拾ったって」
見ず知らずの自分を受け入れてくれ、一緒に暮らしてくれた彼女に感謝している。
だから自分も彼女たちの力になろうと思い、毎日過ごしていた------と蘭は語った。
「世話してくれた人だもの、恩返しくらいしようって普通に思うじゃない」
「そうだな。ああ、確かにそうだ」
蘭の言葉に、晴明は何度も深くうなづいた。



--------------その頃の土御門家。
夜も更けたというのに、何やら外が慌ただしい。
「何があったのですか?こんな時間に騒がしいですこと」
物音に気付いた女房が妻戸を開けると、そこには頼久の姿があった。
そして、背後には友雅の姿も。
「まあ、どうなさいましたの友雅殿。神子様はお戻りになられておりませんわよ」
「それは十分承知だよ。急用が出来たので、詩紋と頼久を連れて行きたいのだが」
「こんな時間に、どちらへ?」
「晴明殿のお屋敷に」
現在晴明宅でどんなことが起こっているのか、女房たちにも伝えられていた。
真夜中に詩紋たちを呼びに来たとなれば、間違いなく重要な理由があってのこと。
「彼らの外出をお許し願えるかな」
「ええ!少々お待ち下さいませ。主にお伝えを…あ、それよりも詩紋殿を起こして差し上げた方がよろしいかしら?」
「私が呼びに行きますので、どうぞお先に」
そう言って頼久は詩紋の部屋へ。
女房は主と藤姫の部屋へと急いで行った。

空は満天の星が輝いている。雲一つなく、澄み切った闇だ。
今頃御室の寺にも式神が訪れているだろう。イノリの工房にも、おそらく。
頼久と詩紋を連れ出したら、藤原家に立ち寄り鷹通を連れて晴明の屋敷に向かう。
八葉の一人が目覚める瞬間を、皆で見守るために。



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Megumi,Ka

suga