Romanticにはほどとおい

 第27話 (1)
外が黄金色に染まり始めた頃、あかねと女房たちが膳を抱えて部屋にやって来た。
湯気の立つ碗には野菜と雉肉の羹、皿の上には小さい屯食が3つ乗せられている。
「遅くなりましたし、そろそろお腹が空いて来たと思って。簡単なものですけれど用意してきました」
「そのようなことまでして頂かなくても…」
「遠慮しないで下さい。これじゃ、席を立つことが出来ないでしょ?」
青年を手は、ずっと蘭が握りしめている。
強い力を感じる彼女の手を、青年は離すわけにはいかなかった。
かれこれ数時間も、ここでこうして座ったまま。
声を掛けても返事はないのに、それでも離れられないでいる。
とは言ってもまあ…生理的な所用はスルー出来ないので、その時くらいは離れるけれど。
用意された食事を口にする。
今日は宿で手配してくれた朝食を摂ったのみだ。一口一口がしみじみ美味い。
「いや…本当に美味いです」
改めて、自然とそんな言葉が出た。
ただ玄米を握っただけではない、ほのかな旨味を感じる屯食。羹に使った雉の出汁を使って焚いてあるのだそうだ。
「神子様は興味深い料理を作られますから、手伝うこちらも楽しみですわ」
「土御門家にいる時は、詩紋くんと色々工夫して作るんですよ」
当たり前に存在すると思っていたものが、この京では殆ど手に入らない。
おかげで二人とも応用出来るものはないだろうかと、常に探す癖が身についた。
時に京の人が口にしないものを食材にするので、驚かれたりもするが味見すると皆納得してくれる。

「あの…お尋ねしても良いですか?」
屯食を二つ食べ終えた彼は、あかねたちを見る。
「"みこさま"と呼ばれているのは、何か理由がおありなのですか?」
「え?あー…」
確かに、彼が不思議に思うのも無理はない。
友雅や詩紋たちは名前で呼んでいるのに、晴明や女房たちが"神子"と呼ぶのは妙に感じるだろう。
「もしかして、巫女をされておられるのですか?」
「ち、違いますよ!その巫女じゃなくって…」
巫女ではなく、龍神の神子。
…なんて言っても分からないだろうし、説明したって信じてもらえそうにないし。
何て答えれば良いだろう。やはり例の"帝の遠縁"設定を持ち出すしかないか?
でも、それが神子という呼称に通じる理由にはならない。

「あかね様は、やんごとなき御方と同じ血をお持ちなのです」
答えに詰まっていたあかねに代わって、女房が青年の問いに答えた。
「やんごとなき…御方ですか」
「はい。神のように尊い御方と同じ血を受け継いでおられますので、"神の子"とお呼びする場合もございます」
青年はそれを聞いて何かに気付き、咄嗟に身構えた。
神と同等の存在だと言われて思い浮かぶのは、この世にただ一人しかいない。
今まで彼女と普通に会話していたけれど、そんなにも高貴な人物だったとは。
「申し訳ありませんでした。これまでの非礼、どうぞお許し下さい」
「そんな非礼とか全然ないですから!血を受け継いでいると言っても…その、すごーく遠くて薄い血ですし!」
そう、薄くて薄くて完全に他人になっているくらい。
「これまでと同じように扱って下さい。身分とか別として、私は蘭のお兄さんの友達に間違いないですから」
「はあ…」
だが、待てよ?
高貴な出の知人がいるということは、蘭の兄もそれなりの人物ということにならないか?
兄がそうなら、当然ながら妹の蘭も同じであって。
もしかするとこの兄妹も、自分など手の出せない家柄だったりするのでは…と青年は顔を強ばらせた。

「何やら混乱しているようだな」
びっくりするほど気配を感じさせずに、いつのまにか晴明が部屋の中にいる。
背後にいた泰明は抱えていた袿を女房に手渡すと、二人そろって青年の丁度真正面に腰を下ろした。
「そう困惑するな。そなたの想い人は普通の家の出であるよ」
さすがの晴明でも、異世界の生活習慣や文化は詳しく分からない。
しかしあかねや詩紋たちと交流を重ねて行くうちに、何となくだが京と彼らの世界での共通項が理解出来るようになってきた。
彼らの立ち振る舞いや思考からすると、この世界で言えば商人や農民などに近い階級だと思われる。
つまりは、家柄や官位を気にして生きる者たちではなく、自らの力で動き、働き、日々を営んでいる市井の者たちと同じだ。
「そなたが尻込みするような相手ではない。そう気を揉むな」
と、青年を落ち着かせる話をしている隣で、女房が敷物を広げ始めた。
そしてその上に袿を重ね、手前に枕をひとつ置く。
「あのっ、何ですかソレ…」
何ですかと問わなくても、誰が見たって寝床だとは分かる。もちろん彼自身も分かってはいるが、声に出さずにはいられなかった。
「ここで良いですよね?寝る場所」
「寝る場所って、ええっ?」
当たり前のようにあかねは言うが、彼の方はまさに寝耳に水。
寝床を用意されたということは、つまりここに泊まれと?会って間もない見ず知らずの者の屋敷に泊まるなど、いくらなんでも気が引ける。

「別に、私は構わんぞ?」
けろっとした様子で、晴明が白い顎髭をさすりながら言った。
「神子も先日から滞在しておるしな。今さら一人くらい増えても何ら変わらん」
屋敷の主はそう言うけれど、他の住人はどう思っているか…ちらりと顔を見渡してみたが、誰も彼も表情ひとつ変わっていない。
弟子の泰明など完全に無表情だし、女房たちは主の言葉を丸々受け入れているかに見える。
「それに…」
切り出した晴明が、眠ったままの二人に視線を移す。
「いつまた変化があるとも分からぬ。そなたがそばにいると、何かしら期待が持てそうだ」
今回蘭が反応を示したのは、彼の存在が少なからず作用したからであろう。
もう一度何か起こったら、今度はこちらも動くことが出来る。
それらが上手く噛み合えば、最大のチャンスが訪れるかもしれない。
その時に備えて、可能性のあるものすべてをこの部屋に集めておきたい、というのが晴明の考えだった。
「まあ、気楽に過ごしてくれれば良い。必要なものがあれば用意させるのでな」
晴明はそう言って、泰明と共に部屋を後にした。
「そういうわけですから、ゆっくり休んで下さいね」
さあどうぞ、とあかねが寝床を差して言う。
もう色々と考えるのもくたびれてきたし、周囲に言われるがまま身を寄せることにしよう。
すべてのことを理解してはいないが、何より蘭を置いて立ち去ることは出来ない。
晴明が言ったように、彼女が意識を取り戻すことが出来るのなら。
そこに、自分が手助けを出来るのなら。
「私たちは向かいの部屋にいますんで、何かあったら声掛けてください」
「…分かりました。取り敢えず、しばらくお世話になります」
あかねたちが部屋を出ると、とたんにしんとした夜の静寂が室内に広がった。
燈台に灯る小さな炎と、下ろされた御簾の透き間からわずかに差し込む月明かり。
落ち着きのある薫りの香が焚かれ、自然と睡魔が押し寄せて来るような。

床の上に身体を横たえ、隣で眠る蘭の横顔を見た。
京に戻れば、また威勢の良い声が聞けると思っていたのに、未だに彼女は声を発してくれない。
この手を取って、握り返してくれるだけ。目も開かない。
なんやかんや周囲から嗾けられ、彼女を娶るという話になってしまったけれど…。
でも、まずは目を覚ましてくれなければ何も出来ない。
自分の言葉で、胸に抱いている想いを伝えねば始まらない。

…話したいことは他にも色々あるし。だから、目を覚ましてくれないかなあ。
手を握るだけじゃなくてさ、声を聞かせて欲しいよ。



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Megumi,Ka

suga