Romanticにはほどとおい

 第26話 (1)
はじめて彼女と口づけを交わしたのは、いつだったろうか。
終わったあと、何故かお互い苦笑いをしたような記憶がある。
照れくさくてマトモに顔を見られなくて、笑ってその場をごまかした。
だけと、胸に広がった暖かい想いを共有したような気がして。それが妙に嬉しくもあって。
あの瞬間に、確信したのだ。
二人は同じ想いを抱いているのだ、と。

「あ、あのー、終わりましたか?」
背を向けているあかねから、しばらくすると声が掛かった。
「はぁ、一応…」
他人が見ている前で口づけは気が引けるが、コトが終わるのを待たれているというのも、ちょっと何と言うか…。
まあ、取り敢えず言われた通りのことはした。
自分が持っている可能性がこれならば、協力は何ら厭わない。
「さて、眠り姫の様子はどうだろうね」
皆が揃って蘭の顔を覗き込んだが、特に変化はないようだ。
目を閉じたまま、静かな呼吸音が聞こえるだけ。瞼はぴくりとも動かない。
「やっぱりダメなのかな…」
「そう気を急くものでもない。少し様子を見るのも良かろう。時が経てば何か起こるかも知れぬぞ」
諦め感を見せたあかねを励ますように、晴明がそう告げた。
だが、何も起こらなかったとしたら、その後はどうすれば良いのだろうか。
他に方法があるのか?思い付かない。
必死にひねり出して来たアイデアも、さすがにそろそろ限界だ。
「悲観をするものではないよ」
「だって…もうどうしたら良いのか…」
友雅に言われても、あかねの気持ちは晴れなかった。
どんなに頑張っても、どれほど努力しても結果が現れない。
これ以上期待することは無理なんじゃないのか。
そんなこと考えたくはないけれど、わずかな光も見つけられないこの現状に、ついくじけそうになる。

「少し、外の空気を吸いに行こうか」
友雅はそう言うと、あかねの手を引いて立ち上がらせた。
部屋の中に青年とイノリを残し、晴明に了解を取って屋敷の庭へと下りた。



土御門家のような手入れの行き届いた庭ではないため、どこもかしこも雑草が生い茂り歩きにくい。
あかねが歩きやすいように、友雅は前を歩いて足下の草を踏み倒しながら木陰へと向かった。
さらさらと、かすかな柔らかい風が葉を揺らす音を奏でる。
せせらぎにも似た水音もどこかから聞こえてきて、涼しげな雰囲気を醸し出す。
「……」
彼が言葉を発するのを待ったが、話しかけてくる素振りは一切ない。
肩が触れ合うほど近くにはいるけれど、顔を覗き込むこともなければ見つめることもなく、視線は他の方へと向いている。
多分、気分転換に連れ出してくれたんだろう。
あそこにずっと座っていたら、どんどん悪い方向に考えが向いてしまうから。
目の前にある不安要素から離れて、気持ちをリセット出来るようにと。
「あ、桔梗…」
足下に視線を下ろしてみたら、紫色の花が咲いている。
見渡してみると、あちこちに。花の色も紫だけでなく、白いものも結構ある。
「晴明殿の紋は桔梗と呼ばれているからね」
晴明が自ら植えたとは思いにくいし、おそらく自生しているのだと思う。
彼らはこの場所が、自分たちが育つに相応しい場所なのだと感じて、ここに根を生やしたのかもしれない。

「どんなものにでも本能というものがある、と以前晴明殿に聞いたことがあるよ」
命あるものは、生まれながらの感覚を持っている。
危険を回避するための防衛本能、生きるために必要なものを欲する生存本能…幾多の本能が生き物には備わっている。
それらを自覚しているものもいれば、無意識のまま生きているものもいる。
「でも、本能というものは正しい方向を判断することが可能で、意外と自ら進んで行くものでもあるそうだ」
迷っている中で、突然ひらめく"なんとなく"という直感。
散々悩んで出せなかった答えも、そのひらめきに任せてみたら案外良い結果になったりする、ということもある。
「これも自然の理、と晴明殿はおっしゃっていたよ」
知恵を持ってしまった故に、何でも複雑に考えて混乱してしまうのが人間。
そういう時は一旦そこから退いて、本能という自然の理に委ねてしまうのもアリだ、と晴明は話していた。

「だから、天真たちはあるべき形に戻って行くよ」
隣を見ると、友雅の横顔がある。
彼は目の前に広がる桔梗の花を眺めながら、話を続ける。
「あの二人は本能で分かっているはずだからね、お互いが兄妹だということに」
同じ血を持って授かった命同士、引き寄せられる本能が二人にはきっと存在する。
例えどれだけ時間が掛かろうとも、その魂は必ず同じ場所に行き着くだろう。
「私は、そう感じるよ。なんとなく、だけどね」
彼の口調は静かだけれど、とても力強く聞こえた。
そうだ、天真と蘭は同じ血で繋がっている。
二人の中にある本能が、引き寄せ合って必ず目覚めさせてくれる、と信じたい。


「-------だと思わないかい?」
「え?」
顔を上げたら、友雅が覗き込んでいた。
うっかり彼の話を聞き漏らしてしまったが、何の話をしていたのだっけ?
「私たちも同じだと思うのだけど」
「は、私たちが…ですか?」
「そう。私たちも、本能が引き寄せたと思わないかい?」
着かず離れずにいた指先同士が、いつのまにか絡み合っていた。
視線はお互いを見つめ、身体と身体の距離が更に狭まる。
「私はずっと、君を欲していたのだと思うよ」
「ほ、欲してって、そんな」
艶やかな瞳にこちらの顔を映し、そんな言葉を口にするから顔が熱を帯びてくる。
気恥ずかしくて目を逸らすと、背中に回された腕があかねの身体を抱き寄せた。
「本能で求めていなければ、こんなにも君を愛おしく思うはずがない」
他人に執着などしたこともなかったのに、彼女と恋に落ちたらこのざまだ。
一時でも離れたくないくらい、いつもその人のことだけを考えている。
"恋は盲目"という言葉があるのだと、以前詩紋から聞いたことがあった。
恋をすると周りが見えなくり、理性をも失ってしまうという意味らしいが------
「確かにね」
友雅のつぶやきに首を傾げるあかねに顔を近付け、その柔らかな唇を奪う。

なかなか、良いものだよ。盲目になるほどの恋とは。
もっと若い頃に経験していたら…とは思うけれど、出会う相手が君じゃなければこうはならなかっただろうね。
晴明に言わせるところの、これもまた自然の理の一部か。
早くても遅くてもいけない。今、でなければ意味がない。
人生を遠回りするのも、こんな結果が待っているなら悪くはないな。
足下に広がる桔梗の花の中で、あかねを抱きしめながら友雅は思った。



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Megumi,Ka

suga