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Romanticにはほどとおい
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第25話 (2) |
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「悪いが、それ以上私の姫に触れるのは止めてもらいたいな」
いきなり後ろから肩を掴まれ、びくっとした次の瞬間に身体が硬直した。
「聞こえないかな?その掴んでいる手を離しなさい。止めぬのならば、力づくで引き離すよ?」
耳元で、囁くように男の声がする。
低めだが強さを感じさせる口調は、畏怖の念を抱くに相応しい。
「ちょっ…友雅さん!脅すのやめてくださいっ!」
慌てて彼女が、その男の名らしい言葉を口にする。 とたんに掴まれていた肩の力がふっと緩まり、身体の自由が利くようになった。
「ふふ、すまなかったね。少し冗談が過ぎたかな」
男性は笑いながら、そう言った。
装いから見て、それなりの身分の男だろう。
大柄だがすらりとしていて、男のくせに妙に色気がある。
さっきまであんな凄みを効かせていたとは、とても思えないのだが。
「さ、悪ふざけはこの辺にしておいて…急ごうか」
友雅は再び背後にまわり、彼を奥の部屋へと押し出す。
「あの、さっき蘭という女性の話を…」
「詳しいことはあちらに行ってからだ。とにかく、彼女が待つ部屋に行こう」
蘭が待っている?この屋敷の部屋で?
どうして彼女がこんなところにいるのだ。
まさかここが彼女の家?
まさか。
でも、本当の事は分からない。
尋ねても彼女は、はっきりとした身の上を答えなかった。
よく覚えていないのだ、と。
知り合いの家の使用人みたいなことをしている、と曖昧なことしか言わなかった。
住んでいる場所も教えてはくれなかったし、いつも外で待ち合わせていた。
だから、京に戻っても連絡をつける手段がなかったのだ。
どんな理由で、自分がここに連れて来られたのか分からない。
しかし、ここで彼女に再会することが可能ならば、良しとしよう。
会わせてくれるのなら、会えるのなら、ここは流れに任せてしまおう。
「いやいや、申し訳ない。急なことで驚かれただろう」
見知らぬ子どもに引っ張られてきた屋敷で、妖艶な美女が登場し、続いて普通の娘が顔を出し。
更に見目の良い公達が現れて、次はどんな奴が出て来るのかと思ったら、今度は白い顎髭を生やした老人が登場した。
その隣には人形のように整った顔立ちの青年がいるが、どうもこの老人の弟子の一人らしい。
「順を追って説明させてもらうからの。取り敢えず、こちらに入りなされ」
ただし、静かにな、と老人は付け加えて戸を開けた。
庭に面した奥の蔀は開け放たれ、遠くに望む青竹がさらさらと風に波打つ。
娘たちに続いて、彼は部屋の中に一歩足を踏み入れた。
「ら……っ!」
思わず声を上げそうになったところで、しっ、と友雅が声を控えるように促した。
慌てて彼は、言葉と一緒に息を飲み込む。
広い部屋の中にふたつの床。若い男女が並んで横たわっている。
その一人、女性の方は…間違いなく彼が再会を望んでいた彼女だったのだ。
「やはり彼は、妹君のお相手のようですね」
「そうだな、間違いなさそうだ。良い気付け薬となってもらえそうだ」
青年の様子を伺いながら、晴明と友雅はそう話した。
素のままで京の環境に順応した天真と違い、蘭は本来の自分を失ったまま京で生き続けて来た。
欠けている部分が本質であるだけに、それそのものを引き出すのはかなり困難だと思われる。
故に、蘭がここで培って来た経験や知識を集め、それらを手がかりにすれば意識を引っ張り上げることが出来るかもしれない、と晴明は考えた。
彼女自身の中に、強く残っているものや人物。
実の兄でさえ分からない蘭にとって、大きな存在になっている人物は…共に暮らして来た鬼の一族。
「さすがに彼らには、任せられんしなあ」
さらわれて利用された負の記憶は、出来れば思い出させたくはないし。
既に首領のアクラムは、当時の意識も人格も吹っ飛んでいるし。
「恋の力に期待、というわけですか」
「さあて、な。期待出来そうなものは、何でも試して損はなかろう」
「確かに」
この二人がどれほど親密なのかは知らないが、彼女の姿を目の当たりにした様子は尋常ではない。
誰だって愛する人がそこにいたら、胸が高鳴り平常心を失う。
恋というものは、そういう作用がある。
もしかしたら、奇跡だって起きるかも。
「では、これまでのことをお話しようか」
蘭の枕元で呆然としている青年を、糾すように晴明が声を掛けた。
+++++
部屋に入った時から呆然としていたが、話を聞き終えたあとも彼の表情は変わらなかった。
一度に説明されても、一部始終があまりに突拍子もないことというか、想像を超えた内容であったため無理はない。
「じゃあ、その…蘭は記憶を失っていて、親族のことも覚えていないんですか」
「うん、そうなの。お兄さんはずっと蘭のこと探してて、やっと見つけたんだけど…こういう状態で」
ま、すべて真実を告げるわけには行かないので、適当に誤摩化してはある。
蘭は京に来る旅の途中でトラブルに巻き込まれ、兄の天真と逸れてしまった。
幸い、心ある人々(笑)に拾われて、世話になりながら暮らしていたのを、兄がようやく見つけたのだが、なんと彼女は記憶を失っていた---------という作り話を彼に伝えた。
「君のことは、彼女から聞かせてもらっていたよ。ふふ、なかなか良い関係だったそうだね」
「それは…それなりに…」
「なら、彼女の記憶が戻って欲しいと思わないかい?」
友雅は彼と向き合って話を続ける。
「兄上はね、精も根も尽き果てるほどの想いで、妹君を探し続けていた。彼女だって一人でいるより、身内と再会出来るほうが幸せだろう?」
「はぁ、それは勿論だと思いますけど…」
でも、それを自分に言われても、何か出来るわけじゃない。
法力使いでもないし、人の失った記憶を回復させるなんて出来るわけがないし。
「可能性が皆無なら、わざわざ連れて来させたりしない」
初めて耳にしたその声は、感情の起伏が一切感じられないものだった。
声の主は、老人の隣にいる弟子の青年。表情も声と同様、全く感情が読めない。
「お師匠の考えには、すべて意味がある。おまえをここに呼んだのは、蘭の記憶回復の手がかりになるからだ」
弟子の泰明はそう言うが、正直そこまで確信できる策はないのだがな…と晴明は思った。
だが、この青年の存在は蘭にとって大きなものであり、青年にとっても蘭の存在は大きい。
人間の情念は、善かれ悪しかれ強いほどに力を持つ。
この二人が強い想いを抱いているなら、互いを呼び合う力があるのでは。
その可能性に賭けたい、と晴明は考えている。
「無茶なことはさせぬよ。とにかくしばらくの間、この部屋にいてもらいたい。蘭殿のそばから離れないでいてやって欲しい」
「…それだけで良いんですか」
「まあ、今のところはな」
様子を伺いながら、彼の力を利用させてもらおう。
どれほどの時間が掛かるかは、分からないが。
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