Romanticにはほどとおい

 第25話 (1)
塀の中から溢れ出る長い蔓草。
鬱蒼とした木の枝は屋敷全体を包むように生い茂り、これじゃ外壁や垣根などあってもなくても良いのでは。
「あの…ここって空家?」
思わず青年はそんな言葉を吐く。
まあ、他の土地者ならそう思っても仕方あるまい。
外からの見た目もだが、中は更に荒れ放題の雑草まみれなのだし。
「ええと、私は商いがあって…」
「ちょっとそこで待っててくれって。親分に言われたこと守らなきゃいけねーの、オレら」
子どもたちに窘められ、青年はその場から立ち去るのを止められた。

宿に戻って来たら、客人がいると告げられた。
京へ来てしばらく経つが、親しい者などそう簡単に増えるわけではない。
幸い商いをしていることで、顔見知りや馴染みの客から親交が広がってはいるが、人数はまだまだ多いとは言えない。
が…一人だけ、彼が特別に親しくしている者がいた。
だから、宿で自分を待っている者がいると聞いたとき、真っ先に彼女の顔が脳裏に浮かんだ。
一旦故郷に戻り、再び京にやって来て、ずっと彼女のことを探していたのに、未だ再会出来ていない。
住んでいるところを聞いておけば良かった…と、何度も悔やんだものだ。
なのでもしかしたら彼女が、自分のことを聞きつけて会いに来てくれたのでは?と期待した。
……のだが、待っていたのは見ず知らずの子どもたち。
『ちょっと用事があるから着いて来てくれ』などと、呆気に取られている暇もなく手を引かれ背中を押され、連れて来られたのが…この屋敷の前。
それなりに大きな屋敷のようだが、どう見てもうさん臭そうな感じ。
相手が子どもじゃなかったら、力づくでも逃げるところだ。

しかし、それにしても…ホントに家人が出て来るのか?
だってさっきから、声も掛けずにずっと門前に立っているだけじゃないか。
人が住んでいるとは思えないけれど、いるのならばせめて大声で呼ばなければ気付かぬのでは。
そう思った矢先。

キイ……
ひなびた門戸にしてはしなやかな軋み音を立てて、ようやくその扉が開いた。
「お待たせ致しました。イノリ様のおつかいでいらっしゃいますね」
「はーい。親分に言われたとーり、この兄ちゃんを連れて来ました」
「左様でございますか。では、皆様どうぞ中へ」
子どもたちは何の疑いも持たず、門をくぐって進んで行く。
「おい兄ちゃん、ぼーっとしてないでさっさと着いて来なよ」
唖然として立ち尽くしていた彼を、振り返った子どもたちが急かすように言う。
彼らはこの状況に、何の疑いも持たないのだろうか?
廃墟のように人気のない荒れた屋敷。
そこに立っているだけで、声も掛けていないのに家人が出て来るという。
しかも登場したのは、身震いするほどの美女である。
何から何まで、予想しない展開。
まるで、夢でも見ているのかと思うような。
「主がお待ちでございます。お気になさらずお入り下さいませ」
「は、はあ…」
どこか妖艶で浮世離れした女性の笑みに、彼はふらりとつられて足を踏み入れた。
ざくり、と雑草を踏む音。草の潰れた青い匂いが濃厚だ。
ここまで来たら、もうどうしようもない。
青年はまとわりつく草をかき分けて、前を行く子どもたちの後を着いて行く。


通された屋敷の中も、決して豪奢な雰囲気ではなかった。
床板は軋むし庭は予想通り、野草や雑草が生えまくり。
もうちょっと手入れすれば良いのに…と、余計なお世話を言いたくなる。
だが…不思議なことに空気だけは、異常なほどに澄んでいる。
驚くほど静かで、だからこそ足音が気になるのだ。
木々が外部からの音を遮断しているのだろうか。
澄み切った空気は、緑の息吹のせいか。
一体ここは、どこなのだ。
表札と言うようなものも見当たらなかったし…。

「あっ、土御門の姉ちゃんだ」
子どもたちの声がして顔を上げると、彼らの前に若い娘が立っていた。
「こんにちは。ホントに連れて来てくれたんだ?」
「当たり前じゃん。オレらが親分との約束を破るわけないだろー」
「うん、そうだよね。どうもありがとう」
この娘は、子どもたちと顔見知りらしい。
ということは、この娘が屋敷の主?…なわけないか、さすがに。
だが、使いの女性とも親し気に話しているし、他に人らしい家人はいなさそうだ。
でもこんな若い娘が、屋敷を取り仕切っているわけが…。

次から次へと頭の中で考え事が混在し、まとまりがつかないでいる彼に構うこともなく、少年たちがくるりと踵を返した。
「んじゃ、オレらはちゃんと役目終えたんで帰りまーっす」
「ええっ!?」
いきなりそう言って、子どもたちはその場を後にする。
ちょっと待て。自分はこれからどうすれば!
勝手にこんなところに連れてきたと思えば、一人放置されるなんて聞いてない!
っていうか、何一つ説明されていないというのに、自分だけ放置して帰るって!
軽いパニックに陥った彼の肩を、小さな手がポン、と叩いた。
「すいません、いきなりこんな所まで連れて来てしまって…」
振り返ると、娘が少し申し訳なさそうな顔をして立っている。
「あの…色々と困惑してますよね。でも、実は急を要することがあって」
「え、いや、待って下さい。私は京の者ではありませんし、手を貸さねばならないようなことは…」
自分くらいの年の男なら、そこらにいくらでもいるだろう。
特に身分を必要としているわけでもなさそうだし、それなら土地の者の方が融通が利くだろうに。

しかし。
「いえ、あなたじゃないとダメなんです!」
彼女の両手が、がしっと腕を掴んだ。
真剣な瞳をして、こちらをじっと見る。
ここの空気のように、穢れを感じさせない澄んだ目で。
「ちゃんと説明すべきなんですけど、急ぎの事態なんです!だから、一緒に来て欲しいんです!」
「い、一緒にって…」
悪意や企みはなさそうだが、そこまで嘆願する意味とは。
振り払おうとすれば簡単に出来る。
でも、凄みを帯びた彼女の表情が、それを拒む。
「お願いします!一緒に来てください。あなたがいれば、もしかしたら蘭が……」
「……蘭?」

その言葉は、彼にとって聞き馴染みのある言葉。
何度も口にして、何度も呼んだ。長い黒髪の----------------。
「君、今、蘭って言った?それ、女性の名前?」
「はい。そ、そうです、女の子の…私と同じくらいの」
そうだ、この娘と同じくらいの年頃で、背格好で。
名前を呼べば、振り向いた。手を繋いだ。
いつしか、特別な存在に思えていた…その人の名前だ。



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Megumi,Ka

suga