Romanticにはほどとおい

 第23話 (1)
その人は、初対面から人当たりの良い印象だった。
今日は着物や布物を売る商人が多い日なので、蘭は食事などの雑用をてきぱきと済ませると、早々と町中の市へと出掛けた。
「うーん、ちょっとねえ丈が足りないのよ」
吊るされていた女物の小袖を手に取り、店主の男につぶやく。
「もっと長い丈の衣って、ない?」
「うちでは大体、女物はそれくらいの丈で揃えてんだよ。これでも結構長くしてるんだ」
標準の丈よりわざと少し長く作っているのは、長身の女性でも着られるように。
例え長過ぎたとしても、大概腰あたりで折り込んで帯を結べば調整が効く。
だが、いくらなんでもこれ以上の丈は商品にはならない。
あまりにも、平均的な女性の身長ではないからだ。
「もっと長くしたいんだったら、向こうの反物商のところで誂えた方が確かじゃないかね」
主人の言う通りなのだが、予算的にそれは厳しい。
必要なのは、女性物を一着と男性物を二着。これら全部をオーダーメイドなんて、とてもとても懐が足りない。

根気強く見て回ったものの、なかなかコレと言ったものは見つからなかった。
「私とセフル様の分なら、問題ないんだけれどな〜」
蘭自身は標準体型だし、セフルはまだ子どもの着物が着られる。
これから彼の身長が伸びたとしても、しばらくは大人の男物で間に合うだろう。
しかし、問題はアクラムとシリンのものだ。
男物ならばまだしも、女物で彼女の丈に合わせるものは見つからない。
普段からシリンもそれは納得しているようで、仕方なく派手めの男物を選んでは"らしく"着こなしていた。
「でもねえ…女物の方がやっぱりねえ」
派手と言っても男と女では、雰囲気が違うもの。
そういう理由もあって、商人が集まるこんな日には、時間を掛けて多くの店を見てまわるのが蘭の習慣になっていた。

点々として、辿り着いた店。
他とは違って派手な色遣いが多く、それが蘭の目を引いた。
「女物の丈は、これが一番長いやつだねえ」
濃いめの紅色は華やかで、きっとシリンに似合いそうだと足を止めたのだが、やはりここでも丈が短い。
ちらちらと男物も見てみたが、小豆のような色や鳶色など。これくらいじゃあ、彼女の艶やかさがくすんでしまう。
でも、これ以上探しても仕方ないか。
シリン様も文句は言わないだろうし、申し訳ないけど妥協して派手めの男物にしておくしか…。
蘭がほぼ諦めを決意し、男物の衣の方に視線を移そうとした時のこと。
「どれくらい、丈が必要なんだい?」
隣の店から声がして、振り向くとそこには若い青年が座っていた。
葛籠を何個も積み重ね、ずらりと市に並べている反物は、素人目に見てもなかなかの上質。
もちろん貴族が着る衣の生地にはならないが、町で暮らす庶民たちの一張羅には使えそうなものばかりだった。

「何だい兄さん、うちの客を横取りされちゃ困るよ」
横から割り込まれたので、店の主人は怪訝そうに青年を横目で見る。
だが彼は穏やかな調子を崩さず、そんなつもりじゃないと笑ってみせると、蘭の見ていた小袖の裾をぱっと裏返した。
「ああ、これくらいだったら、一日ほどで丈の手直しが出来るよ」
青年はあっさりと、そう答えた。
ほんのちょっと見ただけで、迷いもせず彼は言う。
「気に入ったなら買うと良いよ。そのあとで僕が直してあげるよ。どうかな娘さん、ご主人」
「ん?んー…まあそういうんだったら」
最初は少し威嚇してやろうと気を張ったが、あっけなく血の気がさっと引いた。
何より、敵意のない青年の物腰が、戦意さえも失わせてしまう。
「…じゃあお願いするわ。それと…あんたにも丈の直しを…」
「分かった。仕立て代は明日、小袖と引き換えで良いよ。見て気に入らなかったら、代金はいらない」
そこまではっきりと言い切るには、腕にそれなりの自信があるのだろう。
ホントにこんな若い青年が、簡単に仕立て直しなんて出来るものか?と半信半疑のところもあったのだが、背に腹は代えられない。
取り敢えず蘭は小袖を一着だけ、試しに彼に預けてみることにした。


次の日、もう一度蘭は町へと向かった。
鴨川近くの宿に泊まっているという彼に、橋の付近で会う約束をしていたからだ。
調子の良いこと言っていたが、果たしてどんな結果になっているやら。
期待半分で行ってみると、彼は蘭を見つけてにこやかに手を振った。
「はいよ。これね、約束の小袖」
きちんと折り畳まれて袋に入っていたそれを、蘭は静かに広げてみる。
丈が合わなければ元も子もないので、普段彼女が来ている小袖を比較のため持参してきた。
二着を重ね合わせてみると…
「大丈夫だろ?」
確かに。殆ど丈は同じと言って良いほど寸分違わず。
それに、裾の始末やまつり方も丁寧で、最初からこの長さで作られていたかのように、とても自然な仕上がりだ。
「あんた凄いのね…。助かったわ。ねえ、もっとお願いしても良い?」
オプション価格を追加しても、これだけ完璧に直してもらえるのなら、今までのように買い物に迷うことも減るだろう。
「構わないよ。そのかわり、僕がここに逗留している間、町を案内してくれると有り難いんだけど」
「町案内?私が?」
「ああ。もうしばらく仕事がありそうだし、それまでこのあたりを見て回りたいんだ。君、ここらの人なんだろう?」

蘭は、一旦言葉を止めた。
自分は…どこの生まれなのだろう。実は、はっきりとした記憶を持っていない。
生まれ育った場所も、家族のことも、本当は自分の名前さえ正確なのか自信がなかった。
気付いたら当たり前のように、シリンやアクラムという者たちと生活をしていて、お手伝いさんのような立場で暮らしている。
尋ねてもみたが、はっきりとした答えはなく、現状維持のままこんな日常が続いていた。
でも、暮らしは細々としてはいても、彼女たちは親切に接してくれているし。
セフルという少年は結構気難しやだが、シリンは姉のようにあれこれと構ってくれたりもするし。
例え自分が分からなくても、今のこの生活はそれなりに不満はない。
自分の真実について、気にならないと言ったらウソになるけれど。

「駄目かなあ。そんなにうさん臭い男に見える?」
黙っていた蘭を気にかけたのか、彼は少し困ったような顔でこちらを見ていた。
「ううん、そういうんじゃないわよ、別に。うん、それくらいなら構わないけど」
「そうかい?よかった。じゃあ、しばらく付き合ってくれよね」
彼は手を伸ばし、握手を求めた。
その手に、蘭も自分の手を伸ばす。
しっかりと結び合った、他人同士の手と手。
ゆっくり伝わる、自分以外のぬくもり。
朗らかで清々しく、どことなく優しい語り口と眼差しは、これまで出会った人たちとは何となく違ったように思えた。
何がどう違ったのか。どうして、そう感じたのか。
その意味にお互いが気付くまでの時間は、さほど長く掛からなかった。

数日後には、町中を揃って歩く姿が見られるようになった。
気に入った着物を見つけては、彼がそれを適当な丈に仕立て直してくれたり。
そんな買い物とは別に、ふらりと散歩がてら川沿いを歩いてみたり。
傍目から見れば仲睦まじい男女に思えたのか、馴染みの行商人や店の者にひやかしの言葉をかけられることも増えたころ。
ごく自然に、気持ちは近付きつつあった。
恋という名前の感情を伴って。



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Megumi,Ka

suga