Romanticにはほどとおい

 第22話 (1)
晴明が掛けてくれた呪が、そう簡単に解けるとは思い難いのだが、念のために支度は女房たちにさせることにした。
もし、また蘭が目覚めてしまった場合、天真がそこにいたら再び騒ぎが拡大する。
「しかしまぁ…そなたの妹君は、威勢が良過ぎるのう」
呆れ気味に、それでいて苦笑いを浮かべる晴明。
これまでずっと施術に関わっていた彼から、改まってそう言われると天真としてもバツが悪い。
今の蘭は、自分たちが兄弟であることを知らないはずなのに、言葉を交わしているうちにいつのまにか、昔のような雰囲気になってしまう。
売り言葉に買い言葉。
ちょっとした一言から派生して、あっという間に口喧嘩に発展。
三つ子の魂百までという諺があるが、まさにそれは自分たち兄弟を表している。
「あーあ…全然変わってねーや、俺ら」
気まずそうに頭を掻く天真を、頼久と友雅が笑いながら眺めていた。



一条戻橋を過ぎると、間もなくして晴明の屋敷が見えて来る。
パッと見は寂れた邸宅だが、一歩中に踏み入れればそこは、外気とは違う空気に包まれる。
「お帰りなさいませ」
人形のように美しい女房が、無表情のまま主と来客を出迎えた。
泰明も大概感情表現に乏しい男だが、それでも彼女とは比べ物にならない。
おそらく彼女は、晴明が作り上げた式だろう。
そもそも、この屋敷で生気を感じるものなど、ほんのわずかである。
主の晴明でさえ、一般的な人間の生気ではなく異質なものが放出されているような気もするし。
この屋敷の中で一番生き生きとしているのは…勝手気ままに生えている雑草たちくらいか。

「さて、善は急げであるからな。すぐに準備に取り掛かるぞ」
踵を返した晴明は、まず背後にいたあかねを見た。
「神子はうちの女房と共に、妹君の支度を手伝ってくれるかね」
「あ、はい!」
いきなり晴明に指名され、あかねの背筋がぴんと伸びた。
普段は割と柔和で砕けた雰囲気なのに、こうして本業に立ち向かう時の晴明のオーラには、いつも気圧される思いがする。
続いて晴明は、泰明に用を命じた。
施術を行う部屋の結界の強固、他の弟子たちへの作業の伝達…その他諸々。
「お師匠、内と外の両側に結界を作るには、榊の数が足りない。どうすればよろしいか」
「ああそれならば、もうすぐ届けに来てくれるであろうよ」
届けに来る?…って、誰が?

「ちわーっす」
耳に馴染んだ元気な声と一緒に、草擦れの音が廊下から聞こえて来た。
わさわさと茂った榊の束を両手いっぱいに抱え、赤い髪の少年が姿を表す。
「さっき、うちの工房に鳩が来てさ。いきなり榊を集めてもってこいとか言うもんだし、みんなびっくりしてたぜ」
澄み切った青空を駆け抜ける、一羽の白い鳩。
太陽の光に翼を輝かせていたその鳥が、急に工房に飛び込んで来て、イノリの肩に止まった。
これは一体どうしたことか、と周囲が沸く中で、鳩は当たり前のように人間の言葉を発した。
"裏の林にある榊を、出来るだけ多く採って屋敷に届けて欲しい"

「安倍晴明サマの御用じゃなかったら、仕事中断して出て来るなんて出来ないぜー?」
「すまんのう。あの辺りは質の良い榊が多いのでな」
晴明は榊を一瞥すると、満足げにそれらを泰明に手渡した。


「で、これから大仕事が始まるんだろ?」
そう言って、イノリは天真の顔を覗き込む。
事情については、既に晴明が簡潔に説明しているのだろう。
「なあ、オレも見学しても良いよな」
「見学ってオマエなぁ…結構深刻な施術なんだぜ?」
興味津々な顔をしているイノリに、天真は言う。
身体から一時的に魂を抜き取り、別の体内へと移動させる…なんて、あまりにも現実離れした作業。
妹の魂が、天真自身の身体へ。その間、天真の魂は別のものに移行される。
一体、どんな感覚なのだろう…魂が抜き取られるというのは。
その間は、自覚があるのだろうか。それとも麻酔に掛かったかのように、次に目が覚めるときまで意識はないのだろうか。
「さあ?それは私も自分で体験してはおらんから、分からんなあ」
肝心の施術を行う者はといえば、こんな感じで割と暢気に構えている。
きちんと説明をされて納得はしたけれど、目の前に迫ってくると不安な気分が勝り始めてくる。
「でもほら、何せ泰明の師匠の手が掛かってるんだしさ!危険なんかないって!安心しろよ天真」
イノリはぱんぱん!と背中を叩く。
彼はこれでも励ましているんだろうが、あまり深刻な雰囲気にも見えない気が。

複雑な気分が抜けない天真は、何気無しに友雅の方を見た。
その視線を察してか、彼は静かに微笑んで口を開いた。
「彼女が君の元に戻ってくるための、これは最終通過点かもしれない。心して頑張りなさい」
淡々とだが、その言葉は天真の中に深く刻まれた。
最終通過点…これが、ラストスパートになる可能性が高い。
長い間探し続けて、見つけたのに引き戻せないという、もどかしいばかりの日々がもうすぐ終わる…。
そう、間違いなくそれは天真が求めていたゴールだった。

ああ、どんなことだろうと俺は…やってみせるさ。
あいつを取り戻すために費やした、この長い時間を無駄になんてさせやしない。
天真は拳を握りしめ、自分の心に強く誓った。


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「ご案内致します」
さっきとは違う女性(おそらく彼女も式神だろう)が、天真たちを呼びに来た。
いつも施術を行う部屋を通り過ぎ、彼女はどんどん裏庭の方へと進んで行く。
竹薮の生い茂る薄暗い道を、誰もが口を閉ざして歩く。
これからの出来事に、個々それぞれ緊張感を抱き始めていた。
しばらくすると、女房の足が止まった。
同時に皆が歩みを止めて目を凝らすと、小さな庵の前に泰明が立っていた。
「準備は整っている。静かに中に入れ」
彼が戸を開けると、薄暗い室内にぼんやり燈台が灯されているのが見えた。
周りが竹林で覆われ、四方を扉で閉ざされているせいで、中は夜のように深い闇が広がっている。
「何かさあ、異世界に行くような感じだよな」
前を歩くイノリが、ぽつりとそんな風につぶやく。
確かに、この庵の空気はどこか不思議だ。
晴明の屋敷に入った時から、空気は外と全く違っているのだが、ここはまた雰囲気が別に思える。
不気味なような、でもどこか落ち着くような。
ほのかに甘く、濃厚な草の香りが混じった香が薫る。

広間とは言い難いほどの部屋に通されると、ふたつの燈台の灯火がゆらゆらと輝いていた。
部屋の四隅に榊が祀られ、その中央に静かに蘭が寝かされている。
そして、彼女の隣にはもうひとつ、床が用意されていた。

「さあて、天真殿よ。こちらがそなたの席だ」
蘭と並んで横になり、そのあとは…彼、晴明任せ。
いよいよ、最後かもしれない施術が始まろうとしていた。



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Megumi,Ka

suga