Romanticにはほどとおい

 第21話 (1)
「天真くんは…まだ部屋なの?」
夕餉の時間だというのに、膳の席はひとつ空いたまま。
他の者より多く盛られた飯、具沢山の汁物が入った碗。
彼の分量に合わせて揃えているのに、当の本人の姿が見えない。
「僕、呼んで来るよ」
詩紋が立ち上がり、一人で部屋を出て行く。
空っぽになった座席を前にして、あかねと藤姫は顔を上げた。
「ご心配なのでしょう…。まだ目をお覚ましになられませんもの」
心身ともに、異常はないだろうと晴明は判断した。
自然に目が覚めるまで、寝かせておいても問題はないはずだと彼が言ったので、そのまま土御門家の部屋を借りて、蘭をずっと床に寝かせている。
目覚める気配は、まだ何も無い。
そんな彼女のそばから、天真は一度たりとも離れようとしなかった。

「蘭が記憶戻ったら、天真くんどうするんだろう…」
ふと、あかねがそんな疑問を口にした。
アクラムたちから引き離して、天真の元に連れて帰るまでは良いとして…果たしてその後は?
「やっぱり、向こうの世界に戻っちゃうのかな、一緒に」
「ええっ?まさか…み、神子様も京を離れてしまわれますのっ!?」
「え?あ、私はー……そのー…」
戻るべきなのかもしれないが、戻れない理由があかねにはある。
出会ってしまった運命のその人と、この手を繋ぎ合った瞬間から…戻れないと自覚した。
あの人がいる場所が、自分の生きる場所。
だからもう、帰る場所はもうどこにもない………京以外には。

あかねの肘にしがみつく藤姫を見て、女房たちがくすくすと笑い声を上げた。
「まあまあ藤姫様、神子様は既に京人(みやこびと)でございますよ」
ちらちらと、意味深にあかねを見ては顔を合わせ、どこか目配せするような仕草。
「神子様は少将様の奥方様となられるのですもの」
「うふふ…まず、そんなことを少将様がお許しになられませんわ」
頻繁に顔を見にやって来ては、一時たりとも手放そうとしない。
時々行き過ぎては、周囲から注意が飛ぶほどの執心振りには、女性として羨ましいやら苦笑いしてしまうやら。
そんな彼があかねを元の世界に戻すなんて…。
「寧ろそのようなことになれば…ご自分から着いて行ってしまわれるのでは?」
女房たちの笑いに、あかねは少し気恥ずかしくなった。



そうっと戸を引き、足音を忍ばせる。
広い部屋の真ん中に、用意された床に伏せる少女がひとり。
そんな彼女のそばには、天真の姿があった。
「天真先輩、晩ご飯の支度が出来てるんだけど…」
「ん?あ、もうそんな時間か」
顔を上げて外を見ると、初夏の夕暮れもすっかり夜の帳が下りて来ていた。
ぼんやりと池の波間に映る、黄金の月の光。
燈台の明かりも、暖かに部屋の中を照らしている。
「じゃ、食いに行くか…。何も変化なさそうだしな」
後ろ髪を引かれる思いで、天真は詩紋と共に部屋を後にする。
強い結界の張られた土御門家の中なら、一人で寝かせていても問題は無いと分かってはいるのだが。
「目ぇ覚めたときに、一人で知らない場所に放置されてたらさ、やっぱあいつも不安だろーしな」
少しずつ漂ってくる羹の匂いに、鼻を利かせながら天真は廊下を歩く。
後ろから着いて行く詩紋は、彼の背中を見て表情を緩ませた。
……口は悪いけど、やっぱり蘭さんが心配でしょうがないんだよね、天真先輩。
兄妹揃ったところは知らないけれど、きっと喧嘩するほど仲が良いんじゃないかな…と詩紋は思う。
早く彼女が、戻ってきますように…と、そう願わずにはいられなかった。


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じっくりと時間を掛けて煮込むにつれて、野菜と肉の香りが一層濃厚になる。
昼間は汗ばむ陽気だが、夜になれば山の気温は初夏でも冷え込む。
こういった暖かな汁物は、四季を通じて夕餉には欠かせない。
「ランはどうした」
「そういえば…まだ戻っておりませんわ。年頃の娘ですから、色々と野暮用でもあるのかもしれませんわね」
薪の炎に照らされて、金色の髪が鮮やかに輝く。
汁物をかき混ぜるシリンの手に、横から男の手が伸びて来た。
「ならば構わん。あの娘が戻るまで、我々だけの時間を過ごそうではないか」
よろけるように、彼の方へと傾いて行くシリンの身体は、即座に両腕で抱きとめられた。
人気の無い山の中は、男と女にとって好都合。
他人の目を気にすることなく、心を剥き出しに出来るからだ。

生まれ変わった、まっさらな彼の中に自分の色を添えた。
その色はすうっと染み込み、そして広がりゆく。
つなぎあう指先と重なり合う唇と。
そして……求め、求め返される幸せに溺れる毎日。


カサッ。
乾いた草が、踏みしめられる音。
「……誰だい!!」
獣のような、素早い足音ではない。
これは…一歩ずつ踏み込む、意志を持った足音だ。
「ふう、お邪魔しては申し訳ないから、日を改めようと思ったのだけれど、見つかってしまったか」
「あんたは…っ」
暗がりに潜むその男は、ややわざとらしく控えめに顔を扇で隠しつつ、ゆっくりとこちらの方に顔を向けた。
緩やかな長い髪と、すらりと伸びた佇まい。
やけに雅やかな風貌は、嫌でもそう簡単には忘れることは出来ない。
「で、二人でお楽しみのところを、お邪魔しても良いかな?」
何を今更、この場所でそんな口を叩くか。
どこかしら楽しそうに、こちらを見ている感じも面白くない。
思い切り蹴り倒して、とっとと放り出したい気持ちなのだが。
「実は、あの娘のことで急な問題が起こってね。一応、保護者的な君らにも、断っておこうと思ったんだが」
「…あの娘って、ランに何かあったのかい」
身体を締め付けるアクラムの手を、そっと静かに避けたシリンは、友雅の声に耳を傾けた。

ふうん、意外だ。
この女…天真の妹のことを気にかけているのかな?
すっかり心も吹っ切れて、今や親愛の情でも抱いているのだろうか。
妹のような?もしくは娘のような感じで、どこかしら心配をしていたりと?
「ぼうっとしてないで、さっさと話しなよ!」
「はいはい、さっさと済ませるよ」
鬼と呼ばれた女も、今やただの女…か。
人並みの人情と、人並みの恋心を抱いて、いたって普通のどこにでもいる女。
"見た目で人は判断出来ない"と、出会った頃の彼女が言っていたのを、ふと友雅は思い出した。



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Megumi,Ka

suga