Romanticにはほどとおい

 第19話 (2)
次の日の朝も、空は快晴だった。
毎朝頼久を相手に剣術の稽古を終えて、その後ランニングのつもりで屋敷の外を一周するのが天真の日課。
最後に冷たい水で、ざばっと簡単に汗を流す。
それら全てが終わって屋敷に戻ると、丁度朝餉の用意が出来た頃になる。

濡れた髪を手ぬぐいで拭きながら、広間に続く廊下を歩いて行くと、賑やかな声が聞こえて来た。
藤姫と詩紋、そしてあかねの声もする。そして、慌ただしい女房たちの声も。
「おっす。朝から何やってんだ?」
「あ、おはよう天真くん」
風通しの良い簀子の近くに集まって、彼女たちは何やら相談している。
「そうですわ。天真殿、今日は何かご予定がございますの?」
「んー?別にねえけど」
八葉の役目が解けてから、天真たちにこれと言って優先する用事はない。
永泉は仁和寺に戻り仏門に専念しているし、イノリも鍛冶の修行に戻っている。
この世界で生まれ育った者には、彼らの生活と自身の仕事などがあるのだが、異世界の人間であるあかねたちにその権利は無かった。
かと言っても、一日中ぼうっとしていられないし。
たまに友雅に声を掛けられて、検非違使代理のようなことをしたり。
またはイノリの知り合いの仕事を手伝ったり…と、それなりに働いたりしている。
だが、今日は特に連絡もないし。
こういう時は居候として、頼久の武士団に加わることにしているが。

「天真先輩、一緒に買い物行ってくれませんかー?」
詩紋の隣に腰を下ろすと、庭からかすかな風が流れて来た。
朝早くでも結構気温は高いし、風も決して冷たいとは言えないのだが、その空気の流れが肌に触れると、不思議に涼を感じさせる。
「私も行ってみたいんだけど…今日はちょっとね」
残念そうにあかねが答えると、隣の藤姫が顔を上げた。
「神子様は、本日物忌みなのでございます。特に、西の方角に凶が出ておりますので、出来れば外出はお控え頂いた方がよろしいかと…」
鬼との件が終幕してから、あかねも神子の役目は解かれた。
今更、それほど物忌みというものに左右されることもないだろうが、この世界ではそんな迷信と思えるものが"絶対"だ。
それに、まったくそういうことが非科学的だとも言えない。
だとしたら、晴明や泰明の力は説明できないのだし、自分たちが手にしていた八葉の力もそうである。

「で、俺に同行しろってか」
「ご迷惑でなければですが…」
「良いぜ。それくらい容易いもんだ。力仕事なら任せろ」
買い物は詩紋一人で十分でも、問題はその荷物をどう運んでくるか。
こんなことで武士団を引っぱり出せないし、使用人もいるが何かと忙しいし。
「他の奴らは自分の仕事があるしな。雑用は、俺ら居候が受け持つわ」
世話になっている恩は、些細なことでも返さねば心苦しい。
異世界の自分たちに居場所を与えてくれているのは、この土御門家すべての者たちであるのだから。


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「こりゃ、確かにおまえだけじゃ無理だわなあ」
両手に大きな布袋を抱えて、二人は大通りを歩いている。
まあ、大袋を持ってるのは天真であって、詩紋は小袋を数個抱えている程度だ。
「でも、天真先輩が一緒に来てくれて良かった。あかねちゃんと一緒でも良いけど、女の子を荷物持ちになんて出来ないもんね」
「そんなことした時にゃ、左近衛府からあいつが駆けつけるぜ、マジで」

『我が姫の手に傷でも着いたら、どうしてくれるのだね』
……なんて。
「あはは、言いそう!友雅さん絶対に言うー!」
思わず声を上げて、詩紋が大笑いする。
その姿が、あまりにも容易に浮かんできてしまったから。
「あいつの溺愛っぷり、半端じゃねえからな」
当人がいないところなら、こうして笑って話していられる。
けれど、目の前にいられたらそうも言っていられない。
常に暴走しかける友雅に、鋭いツッコミ入れるタイミングを計らねばならぬ。
…ツッコんだところで、間に合わないこともしばしばだが。

そんな二人の後ろを、全速力で追いかけてくる少年がいた。
「おーい!おまえら何やってんだ?」
呼びかけられた声に立ち止まり、振り向くとイノリがそこに立っていた。
「見りゃわかるだろ。買い出し。こいつの荷物もち」
どっさりと中身の詰まった袋を、目の前で下ろして紐を解いてみせる。
中は芋や果実、豆に乾物の魚介類。他に調味料なども数種類あり、それらは素焼きの瓶に入っているため、更に重い。
「随分買ったなあ」
「これでも足りないよ。お屋敷の食事に使うんだもん。ホントはもう少し欲しいくらいだよ」
欲張りなわけじゃなく、それは詩紋の本音。
彼もまた居候の自覚があるので、自分の出来る厨房の手伝いをしながら、現代に似た味を作って味わってもらえたら、とか思っている。

「よし。じゃあ、俺が何人か連れて来てやる。おまえら俺が戻って来るまで、そこの店で腹ごしらえでもしてろよ!」
「えっ!イノリくんっ!?」
まかせとけ、という感じで胸を叩いたイノリは、また全速力でその場から立ち去って行った。
おそらく、彼を慕っている町の子どもたちでも集めて、荷物持ちでも手伝わせようということだろう。
「せっかくだから、厚意に甘えようぜ、詩紋。そろそろ一休みしても良いだろ」
街角にある、小さな茶店。
市に来る買い物客だけでなく、行商人たちも簡単な食事や茶を飲み談笑している。
殺伐とした、あの頃の京の光景はもう、ここにはない。
笑顔ばかりが溢れ、活気のある声や笑い声、子どもたちの遊ぶ姿が絶えない街角。
生まれた世界ではないのに、今は天真たちにとって京は故郷と大差ないほど、深い想いを感じ始めていた。


冷たくてほんのりと甘い麦湯をすすりながら、詩紋が頼んだ饅頭をひとつもらう。
深く張り出した庇で日差しを避け、疲れを癒すひとときはなかなかの気分。
と、そんなのんびりした時間を、突然引き裂いた叫びのような女の声。
「だから!言いがかりはよしてよ!何もしてないでしょうが!」
「…なんだろ、喧嘩かなあ」
女性の声だから、喧嘩というよりは絡まれているという感じか。
町には柄の悪い男も少なくないし、娘にちょっかい出す光景もたびたび見かける。
「誰か、呼んで来てあげたほうが良いかな……え!天真先輩!どこに行くの!?」
何かに反応したように、ぱっと天真が立ち上がった。
麦湯と買い物袋をそのままに、彼は市の方へと猛ダッシュで駆けて行く。

「ど、どうしよう…」
一人取り残された詩紋だったが、ここにじっとしているわけにもいかない。
取り敢えず、店の者に代金だけを支払ったあと、荷物を一時預かってくれと頼んでから、慌てて天真のあとを追いかけた。




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Megumi,Ka

suga