Romanticにはほどとおい

 第19話 (1)
蘭を指定の場所まで送り、車は土御門家へ。
門をくぐり中に入ると、藤姫と女房たちが彼らの帰宅を待っていた。
「おかえりなさいませ。今日も一日お疲れ様でした」
「おーっす。疲れて疲れて、すっかり腹ん中が空っぽになってるわ俺」
豪快に屋敷に上がってくる天真を、くすくす笑いながら女房たちが見る。
決してそれは卑しい視線ではなくて、彼の名が示すのと同じ"天真爛漫"さが微笑ましくて、つい笑顔になるだけだ。
「夕餉のお支度は、殆ど済んでおりますよ。さあさあ、中へお入りくださいな」
藤姫たちはあかねの背を押し、屋敷へ招き入れようとする。
その細い肩を、友雅が軽く叩いた。
「それじゃ、私はこれで失礼するよ」
晴明宅での施術も無事終えたし、あかねも屋敷に送り届けたし。今日はこれで退散しても良いだろう。

「あっ、友雅さん!ちょっと待って下さい!」
立ち去ろうとした友雅を、あかねの声が引き止めた。
振り返ると、彼女は藤姫たちからすり抜けて、友雅の前に戻って来た。
「これからお夕飯だし…食べていきませんか?」
「ああ、気持ちは有り難いのだけれど、今夜は宿直があるんだ。だから、あまりゆっくりしていられないのでね」
今から出仕だと、少々時間は早いか。
とはいえ、屋敷に戻って夕餉を取るのも面倒くさいし、早めに顔を出して時間潰しでもすれば良いか、と考えていた。
しかし、彼の袖をぐっとあかねが掴む。
「だったら尚更ダメですよ!これからお仕事があるんだもの、ご飯食べないと体が持ちません!」
「大丈夫、それくらいで倒れたりはしないよ」
「ダメです!最近は夜だって、結構暑いんですからっ」
徐々に夏は、本番へと近付いている。
昼間は緑も色が濃く鮮やかに、黄昏時から闇が訪れるまでの時間が長くなる。
池の水面に映る月を背負い、泳ぐ魚たちが涼しそうに思える夜が増えた。

「藤姫っ、お夕飯一人分、追加で用意してもらえるかなあ?」
「え?ええまあ…それくらいでしたら」
大人数で食事することが楽しいのだと、あかねたちから教えられた土御門家の人々は、出来るだけ皆広間に集まって食事を摂る。
あかねや藤姫、数人の女房たちに天真と詩紋。
その中でも天真は食べる量も多いので、普段から少し多めに料理を作ることを心がけている。
だから、今更飛び込みで一人分を揃えるくらい、何て事は無い。

「全く…私の姫君は可愛いねえ」
支度を手伝おうと掛けて行く背中を眺め、友雅がつぶやく。
食事なんて普段から適当で、今更一食や二食抜いても平気なのだ。
それなのに、あんなに真剣にこちらの身体を気遣ってくれたりして…。
彼女の真っすぐで澄んだ心に惹かれて、どんどん恋という深みにはまって行く。
「そう思わないかい、藤姫殿?」
問い掛けた友雅の言葉に対し、藤姫はと言えばその気の無い素振りで応じる。
彼女にとって友雅は、まだまだ"招かれざる客"の域から抜け出せていない。



「お酒は今日は無しですよ。これからお仕事なんですもん」
「はいはい、我が君の仰せのままに」
今宵は月がほぼ満月で、くっきりと雲もなく美しい。
盃を傾けながら、淡く優しい光を愛でるなど風流で良いものだが、酒が無いのでは少し味気ない。
「では、酒の代わりに酔えるものが、傍らに欲しいね」
友雅はそう言ってあかねの手首を掴み、自らの胸の中に抱き寄せた。
「うん…酒なんかより、こちらの方が甘くて酔いそうだ」
「やんっ!や、やめてください〜っ」
彼らの甘いじゃれ合いを目の当たりにし、きゃあきゃあはしゃぐ女房たちと真っ赤になって目を逸らす詩紋。
そして、ムスッと不機嫌丸出しの顔で友雅を睨んでいる藤姫。
……まあ、これが土御門家の日常風景と言えよう。
あかねがいれば、常に側に置きたがる友雅。
人目があろうがなかろうが、そんなことはおかまい無し。
用意された肴をつまみつつ、一度抱き込んだあかねを離そうとはしない。

「おまえな、しょっちゅうそんなことしてると、あかねに抱きぐせが付くぞ?」
「抱きぐせ?」
あまり聞き覚えの無い単語に、友雅は尋ね返した。
言葉だけのイメージだと、何となく色めいた風にも思えるのだが、実はそういうものではなかった。
「よく赤ん坊とか抱っこしすぎると、『抱きぐせがつくから止めろ』とか、言われたりしなかったか?」
「聞いたことある!親戚のおじさんが、孫の赤ちゃん抱っこしてて言われてた」
隣の詩紋が、思い出して顔を上げた。
「その癖がつくと、縁起が悪いとか弊害とか、あるものなのかね」
「んー、よくわかんねーけど、迷信みたいだけどな。オレが聞いたのは、抱っこばっかしてると子どもが甘えん坊になるとか、かな」
天真が生まれた時は、跡取りが出来た!と一家で大喜びだったらしい。
男であるから、それほど甘く育てられなかったけれど、蘭のときは父がしょっちゅう抱っこしたがり、よく母に窘められていたらしい。

「でも、確かにそれはあるかもしんねーけど」
さっさと食事を片付けて、天真はごろりと後ろにのけぞった。
「実際、あいつも甘ったれに育っちまったしなあ」
誕生日はあれが欲しい、買い物に付き合って欲しい、これが好き、こっちはイヤ。
最終的には両親に、"お兄ちゃんなんだから"の決まり文句を言われて、どれだけ譲歩してやったことか。
「そういうところが、愛おしいんだろう?」
友雅が、見通したように微笑を浮かべて、天真の話に耳を傾けている。
「はー?どーだかねえ。着いてまわられて騒がれて、そりゃ五月蝿かったぜ」
…なんて憎まれ口を言ったって、天真の本心は誰の目にもお見通し。
そんな風にしょっちゅう妹の話をするほど、常に心の中の一番浅い場所に存在があるという証拠だ。
いつでも思い出せる場所。
深く沈んだ奥底ではなくて、閉じ込められないほど近くに妹の姿がある。
「でもまあ、あのうざい声も聞かなくなるとな、無性に聞きたくなるわな」
照れ隠しの言葉の裏に、ぽろりと本音がこぼれた。

「もうじきだよ。近いうちに、君のところに戻って来るさ」
そうしたら、思う存分言い合いでもすれば良い。
本当に仲が良くなければ、兄妹喧嘩なんて出来ないことなのだから。
「焦らずとも上手く行く。期待して君は待っておいで」
「ああ、そうだな-------------------って、おい!」
遠い目をして、妹の姿に想いを馳せていた天真だったが、ふいに顔色を戻して友雅の方を見た。
「おまえ!今の話聞いてたか?抱きぐせがつくからいい加減にしとけって、言っただろうが!」
突っ込んだつもりだったのに、友雅といえば全く身動き一つ変えない。
相変わらず彼の腕の中には、あかねが住み着いたように座っている。
「別に、私はあかねにくせがついても、いっこうに構わないよ?むしろ大歓迎だ」
両手を後ろから広げて、ぎゅっと強く抱きしめて。
恥ずかしそうにじたばたする彼女の顎を、そっと振り向かせようとする。
「抱きぐせがつくように、もっと溺愛してあげようかねえ。姫君が私に甘えてくれるなんて、たまらないじゃないか」
「ちょっ…もうっ!」
ああまったくホントに、この男の遠慮ない惚気と言ったら。
どうすれば、少しは落ち着いてくれるのだろう。
こうも場所をわきまえないと、同席しているこっちが困る。

「お戯れはいい加減になさいませ、友雅殿っ!神子様のお食事を邪魔せずに、ご自分の分をお済ませになられませ!!!」
ぴしゃっと小さな雷が、土御門家に落ちる。
何度この落雷が直撃しようと、びくともしない彼はまさに不死身である。



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Megumi,Ka

suga