Romanticにはほどとおい

 第18話 (2)
「ど、どうすりゃいいんだっ…」
蘭が天真を呼んだあと、彼はと言えば更に動揺していて、落ち着きを取り戻せないでいた。
彼女に"お兄ちゃん"だなんて、生まれた時からずっと呼ばれていたのに、その声にすぐ返答出来ない自分に対して、また困惑している。
どうして、こんなことになってしまったんだ。
普通に会話すれば良いのに、ばくばくと心音が乱れて呼吸もバラバラで。
「お兄ちゃん…?」
そんな中でも、蘭は彼を呼び続けている。
暗闇で姿を探し当てようとしているかのように、伸ばした手は宙を彷徨う。
「手、握ってあげなよ!」
ぽん!とあかねがまた肩を叩いた。
「ここにいるよって、手を握ってあげて。そうすれば、きっと天真くんのこと、思い出してくれるよ!」
そう言って、ぐっとあかねは天真の手を持ち上げた。
何かを求めている蘭の手の方に、彼の手を近付けてゆく。

…かすかに、指先が触れあった。
その感触に気付いたのか、蘭は更にその手を追いかけようとする。
「早く握ってあげて」
「…あ、ああ」
改まって妹の手を握るなんて、どれだけ久しぶりの事だろう。
子どもの頃なら平気だったけれど、年頃になればそんなこと気恥ずかしくて出来なかったけれど。
「お兄ちゃん…?」
やっと、天真はその手を掴んだ。
自分よりもずっと小さくて、細い指先の…でも、懐かしいそのぬくもりを。

「お兄ちゃんの…手」
「ん、ああ…」
軽く握ったはずなのに、蘭はその手をぎゅっと握り返す。
こうしたかったんじゃないか、自分もずっと…こうして妹の手を握りしめたかったんだと、改めて気付かされる。
彼女がある日突然目の前から消えて、探しても探しても見つからなくて。
途方に暮れながらも、探すことを諦められなかったのは、今みたいに手を握りしめられる時がきっと来ると、信じていたからだ。
「良い傾向が出ておるようだな」
様子を見ていた晴明からも、お墨付きの言葉が出た。
もうすぐだ。もうすぐ、蘭を捕まえられる。
この記憶が元に戻ったら、数年前と全く同じ生活が戻って来るのだ。
遠慮なくケンカだって出来る。その時を考えたら、今から楽しみで仕方が無い。

「天真くん、今ね、友雅さんがお箸か何かを取りに行ってくれてるの。それで、桃を蘭に食べさせてあげて」
「オレがかっ…?」
「うん、もちろんじゃない。お兄ちゃんから、大好物の桃を食べさせてあげてよ。もっと何かいろいろ…思い出してくれるかもしれないもん」
「そ、そうか…。そうだな…」
あかねたちも、自分のために色々と方法を考えてくれている。
そんな誠意を無駄にしてはならない。
与えられた可能性に、自分も積極的にチャレンジしなくては。

「お兄ちゃん…桃、どこ?」
さっそく蘭の方が興味を示して来た。
くんくん、また鼻を利かせて匂いの元を探っている。
「こ、ここにあるぜ!美味そうな桃のコンポートだっ」
「…食べたい。早くちょうだい。美味しそう…」
突然、ぐいっと天真の手を引っ張る。
ぶん!と振り回すように蘭は、早く食べさせてくれとせがんでいるようで。
「ど、どうすべっ!?」
「ちょっと待って…。も、もうすぐ友雅さんが何か持って来てくれるから、何とか時間をしのいで!」
しのいで、と言われても…どうごまかせば良いか。
「ねえお兄ちゃんってばっ!」
何だか蘭の方は、思い切り意識がはっきりして来たようで、目を閉じたままだが自己主張をし始めている。

が、急にその手がぱたり、と天真から離れた。
「…もしかしてお兄ちゃん…自分で食べちゃうつもりでしょ…!」
「はぁ!?」
いきなり何を言い出すかと顔を覗くと、眉をしかめ天真の反応を睨むような表情。
これはまた…嫌な雰囲気が。
「美味しいからって、独り占めして食べるつもりでしょ!」
「ば、馬鹿言うなよっ!誰がこんな甘いもん、食えるかってんだよ!」
「そんなこと言って、小学校の頃に私のアイス3つも食べちゃってたの、お兄ちゃんじゃない!」

いよいよ…またいつものパターン到来か?
どうしてこう、この二人はすぐにケンカ勃発してしまうのか。
少しくらい、穏やかな交流があっても良いものなのに、未だにやり合っている姿しかお目にかかっていない。
「おや、どうしたのかな?いきなりまた慌ただしい空気になってしまって」
呆れ顔の晴明やあかねのところへ、友雅が小さじを手に戻って来た。
「いやはや…彼らはほんにまあ、血気盛んな性格らしいのう」
苦笑いしながら、晴明は白い顎髭をいじる。
そして友雅は、あかねのそばに腰を下ろした。
「はい、これで良いかな」
「あ、ありがとうございます!天真くん!ほら、これ!」
とにかく、この二人を何とか落ち着かせなくては。
早く蘭に桃を食べさせ、満足すれば冷静さを取り戻してくれるかもしれない。
……保証は無いが。

「ああもう、うるせえっ!おまえっ、口開けろ!」
「何よ!どうしてお兄ちゃんの言うこと聞かなきゃいけな……」
んぐ。
問答無用で、口の中に突っ込まれた木製のスプーン。
そこから広がってくる、甘い香りと同じ甘い果実の味。
「どーだ!横取りなんかしてねえって、分かったかっ!!」
まだ完璧に元通りになっていない相手に、誇らし気な顔で天真は胸を張る。
大人げない…と呆れていたあかねだが、蘭の様子はというと、やはりおとなしくなって。
口の中に広がる桃の味を、舌でじっくりゆっくり味わっては満足そうな顔。
「おいしー。このコンポート、いつものやつより甘み少ないけど、桃の味が強くって、すごくおいしー」
どうやら詩紋の作った味は、蘭のお気に召したようだ。
有り合わせの材料でも、それはそれで上手く作れるらしい。
何事も工夫次第。そうすれば京の生活も、暮らしやすくなるということだろう。

「お兄ちゃん、これ、どこのお店のコンポート?どこで買ったの?すごく美味しいんだけどっ!」
「はあ?さっき言っただろーが。オレの友達が作ったって言っただろ」
「えーうそぉ!お兄ちゃんの友達が、こんな繊細で美味しいもの作れるなんて、信じらんない!」
何か引っかかる言い方だ。天真の頬が、ぴくりとひきつる。
「だって昔から、類は友を呼ぶっていうじゃない。がざつで不器用で気の利かないお兄ちゃんと、付き合える友達なんて…!」

ぴきーん。
天真のこめかみに浮き出た血管が、途切れる音が聞こえたような。
「このやろぉ…おとなしくしてりゃあっ…!」
「はいはい兄上殿、落ち着いて。可愛い妹君に手を上げてはいけないよ」
とっさに背後から、友雅が抑えに掛かるというお決まりの展開。
しかし蘭はといえば目を閉じつつも、天真の方に向かってあかんべえ、と舌を出し悪態をついた。



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Megumi,Ka

suga