Romanticにはほどとおい

 第18話 (1)
漂う香は、独特な香りだ。
友雅の使う侍従や伽羅にも似ているようで、それほどに重厚でもない。
だからと言って軽いものでもなく、甘すぎず辛すぎず苦すぎず…他ではなかなか嗅がない香りだ。
「これは、晴明殿が毎回調合しているのだよ」
「へえ…そうだったんですか」
唐国からの珍しい香木や、薬草を煎じたものなどを組み合わせ、この世に二つとない香を晴明は作り出す。
天地に通じる彼だから組める、呪の効果を高める儀式専用の香なのだと言う。

「さてと。天真殿、こちらへ参られよ」
晴明から声を掛けられ、はっとした天真は顔を上げた。
目の前には、まるで眠り姫のように瞼を閉じて、静かに横たわる蘭がいる。
「そなたもこれまで、施術の様子を見ていたであろうから、大体の段取りは分かっておるだろう」
「ん、ああ…何とか」
向かいには、晴明がいる。そして背後には泰明が。
蘭と天真を左右から挟むように、安倍家の師弟が座っている。
あかねと友雅はというと、部屋の隅で彼らと距離を置きながら、その様子をうかがうことにした。

年輪を刻んだ晴明の指先が、蘭の顔の上にかざされた。
小難しい呪が晴明によって唱えられ、それに重なるように泰明が呪を続ける。
何か…緊張してきた。
儀式の様子は何度となく見たが、常に結界の外から眺めていただけで、こうして参加するとは思ってもみなかった。
薬膳にも似た、独特の香に包まれながら、空間に広がって行く呪の声。
自然と自分が異空間に連れて行かれそうな、そんな気持ちにさしかかった頃。
「さあ、妹君と久しぶりの再会であるぞ」
顔を上げた晴明が、天真を見て口元を緩ませた。
蘭の呼吸音が変わる。すう、すう、リズムがゆっくりと落ち着いて行く。

「よく来てくれたな、蘭殿。今日は、そなたに会わせてやりたい者がおるのだよ」
「…………私に会わせたい、人?」
「そう。そなたに会いたいと言っていた者だ。今、声を聞かせてやろう」
晴明の手が、合図を送った。
話しかけてもよい、と。
しかし天真は狼狽えてしまい、声が出ないどころか身動きさえも止まったままだ。
「あかね、行っておいで」
部屋の隅で様子を見ていた友雅が、隣のあかねにそっと耳うちをした。
「背中を押してやると良い。友達である君ならば、簡単に出来ることだよ」
せっかくやってきたこのチャンスを、無駄にしてはならない。
信頼する者が手を貸してやれば、きっと自ら動き出せるだろう。
こくりとあかねはうなづいて腰を上げると、足音を忍ばせて彼らの元へと向かう。

「天真くん、持って来たやつ…蓋開けてみたら?」
はっとして振り返ると、いつの間にやって来ていたのか、あかねの姿があった。
彼女は天真のそばに置いてある、葡萄色の風呂敷包みを指差した。
包まれているのは、唐草模様の陶器の壺。
中には桃を甘葛で煮詰めたものが、たぷたぷと汁ごと入っていた。
…蘭の好物はいろいろあったが、桃のコンポートも好きなもののひとつ。
世間でよくあるように、熱がある時は冷やした桃の缶詰を食べたがったり、アイスクリームやヨーグルトには、よくコンポートを添えて食べていた。
幸いここ京では果樹の栽培も盛んで、桃などを山で育てている農家も多い。
ただ、さすがに生で食べるには甘みが少ないのも多く、それならば…と、詩紋が蜂蜜や甘葛のシロップで煮てみたのだ。
好きな物の香りがすれば、何か良い反応があるに違いない。
現代と同じ材料の入手は不可能だが、少しでも近いものを工夫して作ってみよう、と詩紋とあかねが提案してくれたのである。

天真のかわりに、あかねは風呂敷の結び目を解く。
綺麗な文様の壺の蓋を開けると、甘い果実とシロップの香りが鼻をくすぐった。
「はい、蘭に匂い嗅がせてみて。良い匂いだよ」
「お、おう…」
あかねから壺を受け取った天真の鼻先にも、桃の香りが上がって来た。
確かに、蘭が好んでいたあの香りによく似ている。
「うむ?どうやらそなたの好物を持って、会いに来てくれたようだぞ」
それに晴明が気付き、蘭に伝えた。

「……あ、桃の匂いがする」
目を閉じたまま、くん、くんと蘭が鼻を利かせ始めた。
「え、えーと…お、おい、ほら…おまえの好きなやつ、持って来てやった…ぜ」
天真はぎこちない口調ながら、その壺を蘭の顔の近くへと持って行った。
するとまた、くんくん…と彼女は鼻で匂いの元を探り始める。
「もっといろいろ話しかけてみて。答えてくれるよ、きっと」
肩越しに、あかねのエールが聞こえる。
ようやく一歩、蘭に近付くことが出来たのだ。もう、後戻りしてはいけない。前に進まねば。
「桃のコンポート…だぜ。あ、甘みはちょっと少ないけどな…」
「あ、甘い…良い匂いー…おいしそう…」
ふっと、蘭の顔が笑顔になる。
その変化を見て、晴明も満足したようにうなづいた。
「オ、オレの友達が作ったんだぜ。そいつ、男のくせに料理とか菓子作るの上手くってさ…」
「友達?」
「そ、そう!下級生でさ、クオーターのくせにちびっちゃいんだけどさ」
詩紋の名を出しても、きっと蘭は分からない。
彼と出会ったのは蘭が行方不明になったあとだし、会った事さえもないだろう。
それは、あかねに関してもそうだ。
「でもさ、そいつ良いヤツなんだぜ、ホント。真面目だしさ……」


「---------------お兄ちゃん?」

天真の言葉が遮られたとたん、部屋の中にいる誰もが一瞬息を飲んだ。
術を掛けられているせいか、ややかぼそい感じではあったが、はっきりと聞き取ることの出来た言葉。
蘭が、蘭の声で発したその言葉は、間違いなく天真を呼ぶ言葉だ。
「てっ…天真くん!」
硬直している彼の腕を掴み、あかねは慌てて何度も揺すった。
今、蘭は兄である天真を思い出している。
言葉を交わすなら、今こそが最大のチャンスだ。少しでも会話をして、彼の妹としての姿を取り戻さねば。
「そ、そうだ…」
あかねは立ち上がり、すぐに友雅の方へ戻って来た。
「友雅さん、何かすくうものとか、ありませんか?」
「すくうもの?」
「はい。あの壺に入れて来た桃、蘭の好物だったから…少し食べさせてあげたら良いんじゃないかって思って」
箸のような、つまめるものでも良い。
一口でも想い出のある味を知れば、記憶が更に蘇りやすくなるかもしれない。
どんな方法でも、試す価値はある。
「なるほどね、分かったよ。じゃあ私が聞いて来よう。あかねは…天真のそばに着いていておやり」
ふわっと友雅の大きな手が、あかねの髪を優しく撫でた。
彼はあかねをもう一度天真の方へ押し、自分は戸を開けて部屋の外へ出て行った。



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Megumi,Ka

suga