Romanticにはほどとおい

 第17話 (3)
大きな楠の下。
いつもの場所で、彼女は迎えの車が来るのを待っていた。
土御門家の紋が入ったそれが、目の前で静かに止まる。
彼女を牛車から送り迎えする役目は、今は天真一人に任せている。出来るだけ、蘭と彼が直接触れ合う機会を増やすためだ。
「ほんの数分でも、一言二言は会話が出来るからね」
話のネタはないかもしれないが、彼らには彼らしか分からない何かがある。
そんなところからきっかけが作れれば、良い方向へ転換が出来るかもしれない。

しばらくして、蘭を連れて天真が戻って来た。
戸を開けて、二人の座る場所を空けようと思ったとき、外から彼の声がする。
「おーい。あのさあ、シリンのヤツが一緒に来てんだけど」
「おや、どうしたんだろうね」
普段は待ち合わせの場所には、蘭一人だけがいるはずなのだが、果たして何用か。
しかも天真によれば、シリンは友雅と話がしたいと言っているのだそうだ。
「話と言っても、思い付かないんだがねえ?」
食料や衣類等の提供を増やせという注文でもあるのだろうか。
いや、十分に支援は足りているはずだ。
シリンの背丈にあわせた小袖や、蘭の衣類に男たちの衣類まで。セフルのための、子供用の衣類も用意している。
これ以上増やしたところで、彼らだけでは消費しきれないだろうに。
「とにかくさあ、行ってこいよ。あっちで待ってるってさ」
あれこれ考えても、先には進まない。
天真に急かされた友雅は、仕方なく重い腰を上げて車から下りた。


言われたとおり、彼女はそこで友雅を待っていた。
「どんな美女のお声が掛かろうと、今の私にはあかね以外を相手するつもりはないんだがね?」
「ハッ、相変わらずバカな男だねアンタ」
彼の冗談を、シリンは鼻でせせら笑うようにあしらう。
友雅自身もそうだが、彼女もまたアクラム以外に目もくれないだろう。
昔から、彼女はそういう女だ。
「それで用件は?晴明殿を待たせているから、早めに済ませてもらいたいんだが」
そう言うと彼女は、やや金色を交えた長い髪を掻きあげ、楠に寄り掛かる。

「あの子の記憶ってのは、どこらまで回復しているんだい?」
「うん?そうだね…少なからず進歩はしていると思うよ」
ただ、ここ最近は予定外のことが起こりすぎる。
晴明の施術は順調に進んでいるのだが、それとは別に、蘭は突然奇妙な反応を示したりする。
だが、その時常に天真が絡んでいることは、興味深いことではあるだろう。
「それを考えると、何となく彼が兄だと気付き始めているのかもしれないね」
自覚はないけれども、血の繋がった者同士の強い何かで、互いが引き寄せられていることに、彼女が気付くのはそう遠くないかも…と期待してしまう。

「そうかい。それなら良かったよ」
友雅の答えを聞いたシリンは、ホッとしたようにつぶやく。
珍しくもその表情は、穏やかでやわらかな感じを醸し出している。
こんな顔をする女性だっただろうか?
「出来るだけ、早くあの子を元に戻してやっておくれ」
「…どういう風の吹き回しだい?」
表情だけかと思ったら、今度は台詞まで。
今までのシリンの印象が、どんどん目の前で変化していくことに、さすがの友雅も驚いた。
自らの美麗さを誇示し、どこまでも気高く強気だった彼女の刺々しさが、今は薄らいでいる。

「アンタが今言ったとおり、あの子は自分が何かを忘れているって、気付き始めていると思うのさ」
時折交わす会話の中で、自分の常識が周囲の常識と違うことに、きっと蘭は違和感を持っている。
どこで生まれたか、どんな家族の中で育って来たかも分からない。
更に、自分の価値観はこの京の人間とは違うことが、何故なのか?と不思議に思っているに違いない。
「私にゃどうにもならないしね。でも、一人じゃ悩むこともあるだろうさ。だからさ、早く兄さんと一緒に暮らせるようにしてやっておくれ」
ここからは、車の様子は見えない。
しかしシリンは、離れたところに停まっている牛車の中にいる、蘭の姿を見通しているような遠い目をして言った。

「知らなかったな。君は意外と…慈悲深いところもあるのだね」
「はあ?バカにしてんのかい!」
何を突然言い出すんだという顔をするシリンを見ながら、くすくすと友雅は笑う。
兄さんと一緒に暮らせるように…か。
彼女が周囲から取り残されて、一人場違いな感覚に陥らないように。
そんな彼女を、守ってくれる兄の元に帰してやってくれ、と。
連れ去ったのは、君らの方なのにね。
なのに今は、そんな風に言えるようになるとは---------やはり恋を満喫していると、心にもゆとりが出来るということかな。
「分かったよ。ご期待に添えるように努力をするよ」
出来ることは限られるだろうが、出来ることをやるしかない。
分かりかけて来た、チャンスが起こるタイミングを利用して、良い方向へ持って行くことに集中しよう。

「早くコトが済めば、君も愛しの君と愛の巣を築けるだろうからね」
と友雅が言うと、シリンの顔がいつも通りに戻った。
「君らに用意した屋敷も、そろそろ完成しそうだし。…ああ、寝所はセフルの部屋と離れているから、安心して睦んでも平気だよ」
「アンタって男は、そういうことしか考えられないのかい!」
「一応先人である私からの、ささやかな心配りだよ。感謝してもらいたいねえ」
呆れ顔のシリンを笑顔でスルーし、会話を終えた友雅はその場を後にした。



-----安倍晴明宅。

「え、そんなこと言ってたんですか?あの人…」
シリンの話を聞かされたあかねは、びっくりした顔で友雅を覗き込んだ。
「彼女は彼女なりに、いろいろ気に留めているみたいだよ」
それほど長く生活を共にしたわけでもないだろうし、アクラムが以前の状態だった頃は、蘭と会話をすることも少なかったという。
「あの頃は、アクラムのご機嫌を取ることに、彼女も必死だっただろうしねえ」
「…そうか…そうですね」
最近になって、ようやく彼女を扱えるようになったと聞いた。
雑用を共にこなしながら、会話を重ねて。
きっと彼女にとっても今の蘭は、妹のように思っているのかも。
だから、早く"彼女がいるべきところに戻してくれ"と、そんなことを言い出したのだろう。
「意外と優しい人…のかな?」
「そう、"意外と"ね」
きっと彼女がここにいたら、バカなこと言うんじゃないと意地を張るだろうけど。

「用意ができたぞ」
背後から、泰明の声がした。
いつのまにやって来ていたのか、驚くほど彼は気配を表に出す事はない。
「今、お師匠が最初の呪を唱え終わったところだ。しばらくしたら、天真に関わってもらう」
「そうですか。良い結果があるといいな…」
例えそれが、いつもの兄妹ゲンカでもね、との友雅の言葉に笑いつつ、三人は晴明の部屋へと向かった。



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Megumi,Ka

suga