Romanticにはほどとおい

 第16話 (3)
「友雅さんっ!ど、どうしてここにっ…!!」
「しっ…静かに。一応頼久には断ってきたけれど、あまり大きな声を出すと他の者に気付かれるよ」
友雅はあかねを引き寄せ、そっと唇を手で覆う。
だが、彼女はまだ状況が把握出来ていない。
土御門家に着いたあと、彼はすぐに屋敷を後にしたはずだ。
ちゃんと車寄まで見送りに行ったのを、あかねは覚えている。

「実はね、ここを出てからすぐに、晴明殿に会いに行って来たんだよ」
「え、晴明…様?」
あかねは友雅の顔を、改めてじっと見る。
床に寝ていたのは彼女のはずなのに、後からやって来た部外者の彼はと言えば、ごろりとそこに横たわってあかねを見上げている。
「今回のことを、もう少し詳しく聞きたくてね。それと、これからどうするかということも、ちょっと」
夜更けに屋敷を訪れるのは非常識だが、彼に関しては常識は通用しない。
その証拠に、友雅が晴明宅に到着した際、入り口で出迎えてくれたのは主の晴明であった。
"お待ちしておりましたぞ"と。
約束もしていない自分が、今ここへやってくるのを分かっていたらしい。
「それで…その、何かありましたか?」
「うん、まあ今回の傾向は良いからね。だから、今後は天真に直接彼女と話をさせてみてはどうか、って」
天真と話をさせる?
二人を一対一で会話させるということか?
「というかね、施術で彼女を睡眠状態にしている時に、問いかける役目を天真にさせてみようと言うんだよ」

これまでは晴明が、状況に沿って蘭に語りかけて来た。
しかし、こうして彼女が自分から記憶を思い出そうとしているのなら、きっかけを作るには天真が効果的だろうと言う事である。
「それもね、ちゃんと兄と妹として話しかけてみては、と」
「えっ…?でも、蘭はまだ天真くんを、お兄ちゃんだと思い出してないですよ?」
「ああ、それは承知。普段は慎重にしなきゃいけないけど、睡眠状態にしている時なら、大丈夫だろうと晴明殿は言うんだ」
最初は戸惑うかもしれないが、徐々に何かが変わりそうだ。
兄妹の話をしながら、その会話の中で現在の彼女が、"森村蘭"という人格を思い出すかも。

「これまでの様子で分かっただろう。彼女は施術を受けている間は、まさに天真の妹君に戻っている。そこで本物の兄上と話をすれば…」
そこでの刺激が意識に残り、導火線となるかもしれないと。
「それに、天真も出来れば兄妹の会話を、久々にしてみたいんじゃないかな?」
おそらくあの二人のことだから、口喧嘩にしかならないかもしれないけれどね、と友雅が言うとあかねは笑った。
多分きっと、蘭がどんな状況であろうとも、天真はいつものように突っかかる。
でも、それが彼らであり、彼らなりの親愛の情なのかもしれない。
だとしたら…そんな方法も悪くないだろう。
「意識がないうちでも、あんな調子だからね。さぞかし兄と妹となったら、賑やかな言葉合戦が繰り広げられそうだよね」
「ふふっ、そうですねえ。悪いけど…ちょっと面白そうかな」
それが日常的に行われるようになれれば、もっと楽しいはずなのだが。

「というわけで、その事を天真に伝えてあげようと思って、またここにやって来たんだよ」
「…はあ、それは分かります…けど」
けど、そんなことなら、明日改めて来れば良いわけで。
急を要するというわけでもなさそうだし、こんな夜遅くに来なくても良いのでは。
すると友雅の手が、寝着から少し覗いているあかねの膝に触れた。
「どうせなら朝一番に、天真に教えてあげようと思ってね」
……なんて。
すぐに彼は言葉を翻して、もう片方の手であかねを抱きかかえる。
「朝一で話をするなら、ここで夜を明かした方が良いじゃないか」
「ええっ!?ちょ、ちょっとそれはっ…」
漂う侍従の香りが、いつのまにか形を作り出して。
その香りを身に纏う人が、自分を抱きしめている。

「夢の中でも、私を想ってくれていたんだろう?名前をつぶやくくらいに」
覗き込む瞳の甘やかさ。香りのような艶やかさ。
夢の内容は覚えていないけれど、彼を想い描いていたのは…間違いない。
「形のない夢ではなくて、形のある本物の私に愛されなさい」
何て甘美な言葉なんだろう。
それに加えて、媚薬のように包み込む彼の香りが広がって…。
帳に覆われた御帳台の中、何度も交わされる熱い口づけ。

「声を出さなきゃいけないようなことは、我慢するから。取り敢えず…朝まで抱きしめて眠らせてくれるね?」
「う、それならっ…」
彼の前では、本心を隠しきれない。
その腕の中がどれだけ心地良いかを、十分に知っているから拒めない。
「ちょっと物足りないけどねえ。まあ、お楽しみは後日ということで…今は一緒に朝まで眠ろう」
夜の静寂が広がりつつある。
誰もいない…ここには二人だけ。
目を閉じても、離れないからぬくもりが伝わる。
初夏だというのに、暑苦しさはおろか…彼の心音が子守唄ように、穏やかな睡魔を誘った。




ピーカンという言葉を思い起こさせるほど、真っ青で爽快な晴天の朝。
詩紋より先に起きた天真は、剣の朝稽古でもするか…と、蔀の格子を上げた。
……随分と朝早い時刻だと思う。
こんな早くに起きている者と言ったら、頼久が仕切っている武士団の者たちか、或は朝餉の支度をする女房たちであろう。
しかしその女房たちが、やけに今朝は騒がしい。
「何かあったんかな」
天真が外に出ると、数人の侍女が姦しい声でさえずっている。
「おはよーさん。何かあったんすか」
「あら天真殿、おはようございます。今朝は神子様のお部屋には、あまり近付かぬ方が宜しいですわよ、うふふ」
意味深な笑い方をしながら、彼女たちはそそくさと去って行く。

あかねの部屋がどうのとか言っていたが、何だったのか。
そのまま天真は広間へと向かうと、今度は藤姫が頼久と何やら話をしていた。
「頼久とあろう者が、何故にお部屋に通しましたの!」
「ですが藤姫様、友雅殿は既に神子殿と夫婦の誓いを立てておりますし…」
「だからと言って、まだ正式に夫婦となってはいないのですよ!容易く通してはなりません!特に夜は!」
見た目は小さな姫君だが、大の大人の頼久を完璧に叱咤する。
ただしそういう場合は決まって、あかねと友雅の関係についてに限られるが。

「ははぁ…なるほど」
天真は母屋の向こうにある、彼女の部屋を遠巻きに見る。
随分と夕べはあっさり帰ったな、と思っていたのだが…後から寝所に忍んで来ていたようだ。
まったくどいつもこいつも、お盛んだよな、まったく。
あかねたちを思い浮かべながら、同時にシリンたちを思い出すと、そんな言葉しか出て来ない。

しかし、無事蘭のことが片付いたら…友雅にも礼をしなくてはならないだろう。
「あいつのことだから、藤姫のフォローをしろ、とか言いそうだなあ」
そんな風に天真がつぶやく間も、頼久にガミガミと怒りをぶつける藤姫の声が、朝の空気の中に響き渡っている。



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Megumi,Ka

suga