Romanticにはほどとおい

 第10話 (2)
そしてまた、次の日の朝。
普段よりやや早めの時間に、友雅は左近衛府へと出仕した。
こういう場合は、何かしら理由があってのこと。
そんなことがなければ、彼が進んで仕事に身を投じるということは、あまりない。

「おはようございます、友雅殿」
「おや、二人揃って早くからお待ちかねとは。こちらから出向く手間が省けて、ありがたい。」
詰所の入口をくぐると、中にいたのは数人の近衛と部外者二人。鷹通と、泰明だ。
「いえ、私も朝早く治部省に向かいましたら、泰明殿が先においでになられておりまして。」
「先日の天真の一件、鷹通にも話した方が良いと思ったのだ。」
「ああ、泰明殿が説明してくれたのなら、話は早い。実はねえ、急展開な出来事が起こったのだよ。」
役人達が用意した飲物を手に、三人は腰を据えて今回の話を始めた。


「と…いうことは、もう晴明殿は軌道修正を整えたということかい?対応が素早いねえ。」
突然の騒動から、まだ三日しか経っていない。
もう少し準備期間が必要か、と考えていたのだが、晴明はよほど臨機応変なシステムを築いているのだろうか。
「わが師・安倍晴明を見くびっては困る。」
「誰もそんなこと、思ってはいませんよ。逆に、一目置いているくらいです。」
鷹通が言うとおり、コネクションがなければ尻込みするほどの、大陰陽師。
晴明の実力については、身分問わず文句を言う者など皆無に等しい。

「今後は、娘を連れて来る間隔を短めに取る。今まで週に一度だったが、今後は三日に一度程度にするとのことだ。」
「そんなにかい?」
「様子の変化次第で、二日に一度の割合になる可能性もある。」
「また、随分と頻繁ですね。何か、急がねばならない理由が、あるのですか?」
「娘が感覚を覚えているうちに、天真と顔を合わせる機会を増やしたいというのが、お師匠の意向だ。」
つまり、完全に蘭の記憶が戻っていなくても良い。
引き出したわずかな記憶の残像が、目の前に居る天真の存在に、何かしら反応を示すかもしれない。
「娘の中には、必ず"天真=兄"という記憶があるはずだ。そこにわずかでも引っかかれば、好機が来るとお師匠は言っている。」
「なるほどね…。だから、出来るだけ二人が会う機会を作るというわけか。」

蘭の方は、まだ天真に気付いていないだろう。
天真にはこの間、必要以上のリアクションを見せるな、と言っておいたが…。
果たして、あの直情型の天真が、どこまで冷静を保てるか…。
それが問題かもしれない。
「しかし…そうなりますと、交替で妹君を送り迎えするのも、今以上に大変なことになりますね。」
鷹通も友雅も、一応自分の仕事があるし。
イノリだって家の手伝いや、刀鍛冶の師匠の雑用などもある。
永泉は寺の行事に携わっているし、頼久だって土御門家の方を優先せねばならない立場だ。
「詩紋…一人では、まだ危なっかしいしねえ」
彼はしっかりした子ではあるが、こういう事に一人だけで任すには心許ない。
だからと言って…あかねに任せるのは、もってのほかだ。

「仕方ない。少しの間は、時間を調整してやりくりするしかないね。」
「最悪手が足りぬ場合、屋敷の弟子を数人ほど都合する。」
晴明の弟子は、何も泰明一人というわけではない。
はっきりした人数は知らないが、少なくとも5人ほどは弟子がいるみたいだ。
「あとは状況次第だな。」
まだまだ、先の見通しは不透明ではあるが。



その日の午後、友雅は仕事が終わった足で、彼らが隠遁している場所へ向かった。
歩き慣れている山道だけれど、一人でここを通るなんて殆どなかったな。
そんなことを思いながら、少し傾き加減の陽射しを見上げつつ、歩いてゆく。
逢瀬のために使用していた古い庵も、今日のように一人では用も無し。
つまらないねえ…とか独り言をつぶやきつつ、さっさと前を通り過ぎて先に進むと、うっすら何かを煮る匂いが漂ってきた。
…そろそろ、夕餉の支度でも始めているのかな。
友雅は更に道を下りてゆく。

「おや、今日はこんなところに厨房を構えているのかい?」
突然現れた友雅に、蘭はぎくりとその場から立ち上がった。
枯れ木を薪代わりに、鍋には芋やら葉もの…。
それと、少しは肉のようなものもあるか。
「いつもは、もっと住居に近いところで、火を起こしていたじゃないか。」
「…いろいろ、こっちにも都合があるのよっ!別にあんたには、関係ないでしょうがっ!」
確かに彼女の言うとおり、そんなのどうでも良いことなんだが。

「そんなことより、一体こんな時間に何の用事なのよ!今から爺さんのところに連れていくなんて言ったって、無理だからね!」
「今すぐとは言わない。ただ、これから企画変更せざるを得なくなってね。」
これまで以上に連れ出す機会が増えるので、一応シリンたちに断りを入れておいた方が良いだろう。
そう思って、わざわざ律儀にここまでやって来たのだ。

「で、君の女主人殿は、どこだい?」
辺りをぐるりと見渡してみたが、蘭以外の気配は特にない。
かと言って、セフルのような子どもの気配もないし、イクティダールは…おそらくここにはいないだろう。
「今日は君じゃなくて、彼女に用があって来たんだけどね?」
ここにいないのなら、やはりいつもの洞穴近くか?
アクラムも普段はそこにいるだろうし、そちらに向かえば会えるか…。
友雅は蘭の前を通り過ぎ、その先にある居住エリアへと進んで行こうとした。

「ちょっと待ってよ!勝手にあたしたちのところへ、入り込まないでよ!」
とたんに蘭が、慌てて友雅の後ろを追いかけて来た。
「待ちなさいよ!人の住まいに勝手にっ…不法侵入でしょうがっ!」
「悪いけど、のんびりしていられないんだ。もうすぐ日も陰って来るだろうし。」
初夏とはいえ、山道に陽射しが差し込む時間は短い。
やっと夕暮れが…と思い始めた頃には、ここら一帯は夜更けのような暗さになる。
男でもそんな道を一人で下るのは、足元が危険だ。日がわずかでも照らす間に、山を下りなくては。

「ダメだって言ってるじゃないのよ!アンタ、それ以上洞穴の方へ進んだら、煮えた鍋を頭からぶっかけてやるからっ!」
こりゃまた、物騒なことを。
威勢が良いのも通り越して、これじゃ好戦的と言っても良い突っかかり方だ。
でも、天真の妹君だからねえ……と思うと、それも納得してしまうのだが。
友雅は洞穴近くまでやって来て、蘭の言う通りに立ち止まった。
「…だったら今すぐ、君の女主人をここに連れて来てくれないか?それで用件は済むのだから。」
シリンと話せば済むのだが…そこで何だか言葉を濁すから、こちらが動かねば進まないのだ。

「今はちょっと、都合が付かないのよ!」
「どこかに出掛けているのかい?町の市は通り過ぎて来たけれど、姿は見かけなかったが。」
例え髪の色を染めて変装していても、下地の美麗さまでは隠せるものではない。
そこにいるだけで醸し出せる華やかさは、好き嫌いの好みはあっても、誰もが素通り出来ないはずだ。
「いるけど、今は取り込み中なのよ!」
「取り込み中…?」
蘭の頬がかあっと赤らんで、ははーん…と友雅は状況を理解した。
「なるほどね。つまり、恋に理性を奪われて、本能に身を焦がし合っているというわけだね」
遠目に見える薄暗い洞穴。周りには誰もいない。
だから蘭もわざと、こんなに離れたところで木を焼べて…。

これでは、無理強いは出来ないか…。
「しかしまあ、方や夕餉の支度中だというのに、時と場所も選ばず、欲望に忠実な二人だねえ」
そうつぶやいた友雅に、蘭は腹の底から"おまえが言うな!"と怒鳴りたかった。



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Megumi,Ka

suga