Romanticにはほどとおい

 第7話 (1)
その日も友雅は、いつものように土御門家を訪れていた。
だが、普段と少し違っていたのは、今日は表の入口ではなく裏口から足を踏み入れたことだ。

「友雅殿、どうなさったのですか?こちら側からお越しになるなど…」
厩の前を通り過ぎようとすると、馬の世話をしていた頼久が彼を見つけ、手を休めてこちらにやって来た。
「いや、別にこれと言って理由はないんだけどねぇ…」
とは言ってみたが、実はちょっとだけ企みはある。
表から入ると、藤姫と顔を合わせる確率が多いからだ。
彼女が自分とあかねの関係を、すんなり受け入れていないことは明らか。
しかも、あの小さな身体から立ちのぼる恨み節は、結構気圧されるものがある。
けれども、こちらも大人しくしてはいられない----ので、こっそり裏手から入って、あかねを連れ出してしまおう、という魂胆だった。

が。

「神子殿でしたら、本日は藤姫様や侍女の方々と、偏つぎを楽しまれているようですが。」
頼久の言葉を聞いて、友雅はがくりと気を落とした。
ああ…遅かったか。
これでも早めにやって来たのだが、相手は早々に手を打ったらしい。
女性同士が集まって、さぞかし盛り上がっているであろうところに、自分が登場して彼女を連れ去って行ったら…
「間違いなく、不動明王様か仁王様が登場しそうだ…」
「は?どうかなさいましたか?」
深く溜息を付く友雅に、頼久は首を傾げた。

「……そういえば、天真の妹君のことですが。」
頼久が切り出した声に、うなだれがちだった首を上げた。
そういえば、頼久にも事情は話しておこうとあかねたちが言っていたな。
ただでさえ同じ屋敷に住み、同じ青龍同士なのだから、普段から顔を合わせる機会も多い。頼久がこの現状を知っておいて、決して損は無いはずだ。
「話は聞きましたが、面倒なことになりましたね。」
「そうだねぇ…。でも、幸い手を貸してくれる人もいるし、意外と相手側が協力的だから、何とかいろいろ試すことは出来そうだよ。」
あれほどに敵対していた鬼たちも、今はもうすっかり形を潜めている。
晴明たちの力もあるし、そろそろ動かなくては、と思って彼女を誘いにやって来たわけだ。

「もしも協力が必要でしたら、お申し付け下さい。」
「まあ、取り敢えず天真にはこの事を、もうしばらく知られないように…気を配っていておくれ。」
「勿論です。余計な不安は、抱かせたくはありませんから。」
友雅は黙って、ぽん、と頼久の肩を叩いた。
天真を思いやることなら、やはり頼久以外に任せられる者はいない。



「あーん、もう〜…難しいよーこれー」
庭の隅にやって来た時、真っ先に聞こえて来たのはあかねの声だった。
その後ろから、賑やかな数人の女性の声が混じっている。
「私の世界じゃ、もっと簡略された文字になってたしー。考えているうちに進んじゃうものー。」
泣き言を言う声も愛らしいもので、耳を澄ましているだけで顔がほころぶ。
ここからは顔が見えないが、おそらく困ったような顔で、しゅんとして溜息なんかついてるはず。

…んー、やっぱりここで、遠慮してはいられないな。
耐えかねた友雅は、すぐに向きを変えて一歩前に踏み出した。


「ですが、これもお勉強のひとつでございますよ、神子様」
侍女の一人が二枚の札を取り、それらを並べてみせた。
偏つぎというのは、漢字を当てるゲームである。
つくりとへんを合わせて、漢字を作って読み方を当てたり…というものだ。
しかし、単純なゲームでありながらあかねが苦戦している理由は、札に書かれている文字が達筆すぎるのと、馴染みが薄い旧漢字が多いことだった。
「これから御文などを、ご自分でお読み書きする機会もございますしね。」
「はぁー、分かってますけどー…」
今になって漢字の勉強だなんて、小学生に戻ったような気分だ。

「頑張っておくれ。橘家の奥方として、筆を認めることもあるだろうからね」
突然現れた男性の声に、皆が視線を庭先へと向けた。
庭に咲く大輪の葵にも負けない、雅やかなその男は高欄を静かに上がり、迷わずあかねの隣に腰を下ろす。
「分からないことがあれば、私にお聞き。付きっきりで何でも教えるよ。」
すっと両手を伸ばし、あかねを抱き寄せようとした友雅に、ぴしゃりと歯切れの良い声が響く。
「友雅殿にお願いしなくても、結構ですわ。神子様には私や皆が、きちんとお教えして差し上げますから」
ちらっと目をやると、思った通りにそこには…見た目は可愛いが仁王の如き気配を醸し出す幼姫が、ムスッとしてこちらを睨んでいる。

「いやいや。でも、こういうことは夫の役目だからね。他人に任せるのは、こちらが気が引けるよ。」
「いいえ、とんでもございませんわ。お勤めがお忙しい友雅殿に、お時間を割いて頂くなんて。」
二人はそれぞれ笑顔ではあるが、明らかにそれは作り笑い。
裏側に忍ばせた表情は、ひきつっているに違いない。

更に藤姫はにっこりと微笑み、友雅に抱かれているあかねも視界に入れて話す。
「それに、私共は神子様と同じ屋敷に暮らしておりますし。ご一緒に過ごせる時間は、友雅殿よりも長いですもの。たくさんのことを学ばれるには、私共の方が都合が良いですわ」
勝ち誇ったような彼女の笑顔に、友雅はさすがに苦笑いを浮かべる。
その両側で、侍女たちはハラハラしながら様子を見守っていた。

…藤姫様も、神子様のことになると頑固でいらっしゃるから…。
…でも、友雅殿だって、こうも藤姫様に立ちはだかれちゃあ、ちょっとお気の毒ではありますわよねえ。
あかねを巡っての友雅と藤姫の攻防戦は、既に土御門家では名物というかお馴染みの展開。
互いに一歩も引かない二人に、呆れる者もいれば面白がる者もいる。

「…分かったよ。じゃあ彼女の手習いは、皆にお任せするよ。」
友雅は白旗を挙げるように、両手を掲げた。
しかし、それで黙っている友雅ではない。
「その代わり、男女関係の手習いだけは、私にしかさせないからね?」
そう言ったあとあかねを抱きしめて、唇を耳元へと近付けた。

侍女たちの黄色い声が響く中、彼の声があかねだけに小さく聞こえる。
「今日これから、天真の妹君を晴明殿のところへ連れていってみようと思う。同行してくれるよね?」
顔を離すと、あかねはびっくりしたようにこちらを見た。
勿論そういうことなら!
こくりと彼女がうなずくと、友雅はその場から立ち上がってあかねを引き上げた。

「では、今日は夫婦生活の予行練習のために、彼女を連れていくからね?」
「なっ…なんですって!?ちょ、ちょっとお待ち下さいませっ!!!」
きゃあきゃあ騒ぐ侍女を無視して、藤姫が血相を変えて立ち上がる。
冗談じゃない!今日はこっちが先に、あかねのスケジュールを確保していたっていうのに、後からやって来て簡単に連れていかれてたまるか!
引き止めようとした藤姫だったが、あろうことかそれを制したのはあかねだった。
「ごめん、藤姫。ちょっとその…友雅さんと約束してたの忘れてて…。」
藤姫にとってのウイークポイントは、まさしくあかねである。
彼女に頼まれたら、身の危険に関わること以外は、はね除けることが出来ない。
まあ、友雅に連れていかれることが、彼女の身に危険を及ぼさないわけがないのだが、困ったことに二人の想いが繋がっているだけに…何とも反論しづらいのだ。

「それでは、たっぷりと楽しんで来るからね」
戸惑っている間に、友雅はあっさりとあかねを連れて部屋を出ていく。
賑やかな侍女たちに囲まれつつ、しばらく唖然としていた藤姫だったが、どんどんと不満が溢れかえってきた。


「チキショー。後からやって来て神子様連れて行きやがって、超ムカツク!ふざけんじゃねーぞ、この女タラシの不届きモノが!てめえなんざに神子様を渡してたまるか。そう簡単に譲ってやらねーぞコノヤロー」
「…天真先輩、変なアフレコ入れないでよ…」
「一応藤姫の心の叫びを、代弁してみまシタ」
騒動を聞きつけた詩紋と天真が、こっそりと廊下からご機嫌斜めの藤姫を伺う。

「ったく、友雅も調子に乗りすぎやがってー」
呆れつつぼやく天真を、ちらっと詩紋は様子見した。
実は詩紋はあらかじめ頼久から、友雅の来訪を聞きつけていたのだ。
今日はこれから、蘭を泰明の屋敷に連れてゆく予定だと言う。

果たして、吉と出るか凶と出るか。
取り敢えず天真にばれないよう、あかねたちが戻るのを待つしかなさそうだ。



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Megumi,Ka

suga