Romanticにはほどとおい

 第6話 (1)
それなりの敷地を持つ屋敷だが、中に入ると殆ど手つかずの庭が広がる。
草は自然に生えたまま。花は四季に応じて、自由に咲いては枯れて…の繰り返し。
丁度今は露草の時期で、小さな青い花が草間の陰で点々と咲いているが、そんな光景も意外と悪くない。

「これまた随分と、久し振りですなあ、橘少将殿」
白く伸びた顎髭を弄りながら、彼は母屋に姿を現した。
"陰陽師"と言えば、彼の右に出る者は居ない----安倍晴明、その人が目の前にいる。
「御無沙汰しておりました、晴明殿。」
「いやいや、お会いするのは久々だが、噂だけは随分と聞いておりますぞ?」
すると晴明は、どことなく含んだ笑いを浮かべて、友雅の耳元に近付いてきた。
「……神子とはかなりお盛んな関係なようで?」
「おや、ご存じでしたか?さすが晴明殿。」
「ほっほっほ…。まあ、良いではないか。神子もまんざらではなかろうに。」

二人して、何をこそこそしてニヤニヤしてるんだろう…。
部屋の隅に座っていた泰明は、師匠と友雅の様子を不思議そうに眺めている(けれど表情は無表情)。



「泰明から聞いたが、天真殿の妹君が、そんなことになっていたとはなあ。」
先日、内裏で泰明と事前に話をしていたので、既に晴明には事情が全て伝わっているらしい。
天真の妹のことは前から知っていたが、ここでこんな展開が待っていようとは。
さすがの晴明でも、これは予想外だった。
「彼女を見つけ出し、本人かどうかまでは確認出来ましたが…これ以上のことは、私共には手に負えないもので。」
「それで、我々に助言を求めて参ったということか…」
ふーむ、と晴明は腕を組んで、静かに目を閉じる。

怪に心を捕らわれているならば、祓えばすべて事が終わる。
しかし今回は、そういうわけではない。
妖術をかけられたせいで、本来の記憶を取り払われている状態だ。
鬼の首領であったアクラムという男は、かなりの強力な術使いだったらしい。
彼らを迎え撃つために、龍神の神子と八葉を呼び集めたほどだ。元から、よほどの力を操っていたのだろう。
そうなれば、かなり強力な呪いが掛けられている可能性がある。
それを取り払うには、どうすれば良いか。

「どのような術が掛けられているか、それが分かれば…少しは解除の方法も思い付くものなのだがな…」
「生憎、彼自身が当時の自分の意識を、ほぼ削除してしまっているので…。尋ねても、反応はないでしょうね。」
となると、術解除とは別の方法も考えた方が良いか。
晴明は頭を抱える。
大陰陽師である彼が、これほど悩んでいるということは、現状はかなり厳しいということか。
…そうは言っても、このまま彼女をうやむやには出来ないしねぇ…。
天真にとっては気の毒だし、あかねだって気を病むだろう。
何か、良い方法がないだろうか。

「……こちらから術を掛けて、記憶を引きずり出してみるか…」
さらりと涼しい風が流れたと同時に、聞こえた晴明の声。
友雅と泰明は、顔を上げて彼を見た。
記憶を…引きずり出す?何だか随分と、乱暴なことを考えているように思えるが。
「晴明殿、詳しくお話を聞かせてもらえませんかね?」
「うーむ…。でもな、確実に成功するとは、限らんぞ。」
どのみち、今は八方塞がりの状態。何かを試さねば、新しい答えは出て来ない。
以前あかねが教えてくれた、"失敗は成功の元"という諺があるのだし、そこから答えのヒントが見つかることもある。

「妹君に、もう一度術を掛ける。そうして、彼女の記憶を後退させるのだよ。」
急激には無理だが、少しずつ弱めの術を掛けて、彼女の記憶を自ら思い出させる力を付けさせる。
それを繰り替えしながら過去の記憶を蘇らせ、最終的には元の彼女へと戻す…という手段だ。
「ただし、今言ったように、上手く行くとは限らん。相手の掛けた術がどれほど強いものか…微量の術では反応がないかもしれん。だからと言って、無意識に近い娘に最初から強い術を掛けるのは、心身を更に傷付ける恐れもある。」
「ふう…難しい問題だな」
簡単に行くとは思っていないが、先々で目の前を塞がれる思いだ。

「でも、この際ですから、どうかお願い出来ませんかね?確実ではないにしても、安全な方から試してみたい、」
「それは構わんがなあ…。」
晴明の方としても、蘭の身に危険が及ばない方法を、選んでもらった方が有り難いし安心だ。
けれども、慎重に行わなければならない呪いである。
準備を整えるのも、少々時間が必要になる。
「そちらの都合に合わせますよ。それに応じて、彼女を連れて来られるように手配しますので。」
「…ふーむ。仕方あるまい。腰を据えて、ちと気張ってみるか。」
ようやく、晴明はその気になってくれたようで、友雅は少しホッとした。
結果はどうなるか分からずとも、彼が力を貸してくれるということだけで、少しは期待を膨らませる事が出来る。
「こら泰明、おまえも手を貸すのだぞ。出来る限り早急に、準備をせねばならんからな。」
「無論それは承知の上。」

こうして、稀代の陰陽師・安倍晴明と弟子の泰明の二人が、蘭の意識を取り戻す(個人的な)一大プロジェクトに、揃って力を貸してくれることとなった。


++++


取り敢えず、何とか話のめどはついたので、友雅は土御門家へと向かった。
随分と心配していたようだから、あかねには伝えておいた方が良いだろうと。
…なんて、それは半分口実でもあって。
もう半分の本音は、ただ彼女の顔が見たいという気持ちを、便乗させてもらっている部分もある。
…一緒に暮らせたら、こんなに心許なくならないものだろうにね。
そんなことを思いながら、友雅は目的地である屋敷に辿り着いた。


「あら、友雅殿。如何なさいましたの?こんなお時間に。」
「…まったく意地が悪いねえ。八葉ではなくなった私がここに来る理由は、ひとつしかないだろうに。」
最初に彼を出迎えたのは、藤姫である。
やって来てすぐに、ある意味"天敵"の彼女に会ってしまうとは、今日はついていないな…と心の中でつぶやいてみる。

すると藤姫が、やけににっこりと微笑んだ。
「生憎、神子様はお出掛けになっておりますの。」
「おや。どこか、用事でもあったのかい?」
「いいえ。実は一昨日から、詩紋殿が左京の神社へお手伝いに行かれておりますの。それに今日は、神子様もご一緒されているのです。」
こういう場合、どうも怪しむクセがついてしまっている。
自分がやって来れば、すぐにまたあかねを連れて行ってしまうから…。
もしかして、それを阻止しようと、わざと一緒に出掛けるように促した、とか?

いくらなんでも、そこまで藤姫はひねくれてはいないか。
何のかんのと口実をつけ、今だにあかねを引き取らせてくれないからか、最近は彼女へ違和感を覚えるようになってしまった。
「残念でしたわねぇ〜友雅殿。また後日、いらして下さいな。」

……やはり、当たらずとも遠からず、か?
妙に嬉しそうな藤姫の笑顔に、どことなく裏が見えたような、そんな気がした。



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Megumi,Ka

suga