Romanticにはほどとおい

 第4話 (3)
「…くうん…」
子犬のような声が、身体の下から聞こえてくる。
押し倒したまま抱きしめて、そのぬくもりを腕で確かめる。
「可愛い声だね。でも、もっと大きな声で啼いてくれなくちゃ…」
「む、無理ですうっ…!」
「無理?これでも…無理かな?」
「……★×★○×☆」

---------と、庵の中の二人の状況が、どんなことになっているかは…ま、ご想像にお任せするとして。

既に庵に近付いていたシリンは、透き間から中を覗き込む。
薄暗い中に見えるのは、男の広い背中。そして、ゆるやかな流れを帯びた長い髪。
そして男の身体の下から、細く白い手足が覗いている。
…もちろんそれは、女のものだ。
「…やっぱりあいつら…!!」
確信した。間違いなくこの男女は…龍神の神子と地の白虎。
さんざん自分たちを弄んだやつらだ。
それが、暢気に目の前で絡みあって、相見ようとしているとは…!!
「どこまで図々しい奴らだい!」
「違いますよ!図々しいんじゃなくて、非常識なんですよ、あの二人!」
気が付くとランの手には、なみなみに汲まれた水桶が握られていた。


「……うまく行ったようだね」
耳朶を甘噛みしていた友雅が、囁くような声でそう言ったとたんに、あかねは我に返って耳を澄ませた。
彼が神経を向けている方向から…人の気配?
忍ばせる足音のようなものが聞こえている。
「残念だけど一時中断だな。続きは、いずれゆっくりとね」
物音を立てないようにあかねを抱き起こし、戸の裏手に近付く。
おそらく、目的の相手が外に待ち構えているはず。
だが、まだ水浸しにされても困るから、隠れたまま一気に戸を開けてやろう。

「…行くよ。君は隅に隠れているようにね」
「は、はい…」
友雅は戸につま先を掛け、思い切り蹴飛ばすように戸を押し開けた。

「何度言ったらわかんのよ!このケダモノどもーっ!!!」
あの威勢の良い声とともに、庵の中に飛び込んでくる水しぶき。
戸の裏に逃げていて正解だった。
さっきの状態で目の前にいたら、間違いなく水浴び状態になっていただろう。

「相変わらず元気なようで、なにより……………」
水桶が空になったことを確認してから、友雅は開け放った戸の前に立った。
だが、外を見下ろした彼の視線が停止し、声もまた途中で途切れる。
少し驚いているようなその横顔に、あかねは目を丸くする。
な、何があったの?
あの声は、間違いなくあの子の声だったはずだよ…ね?
そんな彼が、今見ているであろう目の前の人物は、天真の妹かもしれない彼女のはずなのだが。

「……ここでまた、アンタたちと会うとは思わなかったよ!地の白虎」
えっ!?この声は…さっきの…彼女の声じゃない。
でも、あかねはこの声を知っている。
この声の主は…。
そして、友雅を"地の白虎"と言い放てる女性と言ったら……限られる。
「隠れていても無駄だよ!そこにいるんだろう!?龍神の神子!!」
自分を呼ぶ声にどきっとして、おそるおそるあかねは友雅の横から顔を出した。
………まさかこんな!こんなところで……彼女と再会するなんて。
明るい栗色に髪を染めてはいるが、その優美で華麗な佇まい。
男でも女でも、一度見たら記憶に刻まれる姿。
「シ、シリン……」
友雅に続き、あかねもその場に唖然として立ち尽くした。


「フン…相変わらず、人目を憚らない図々しさは変わってないようだね!」
からっぽの水桶を手に、睨む娘を隣に置いてシリンも睨みを返す。
だが、しばらくすると友雅も、気持ちが大きくなってきた。
「おや。恋心を抑えることの難しさは、君だって分かっていると思ったがね?」
後ろに隠れていたあかねに、友雅は手を差し伸べて引き上げる。
そして腕に彼女を抱きかかえ、今度は余裕の笑みで彼女たちを見下ろした。

「時に、あれから愛しのお館様との関係は、どこまで進展したんだい?まだ迷いがあるなら…私たちが助言でもしてあげようか?」
「ばっ…馬鹿にするんじゃあないよっ!私たちはおまえらみたいな…っ」
食って掛かろうとしたシリンだったが、その最中に隣の娘が割って入ってきた。
「うちのシリン様とアクラム様を、おまえらみたいなケダモノと一緒にされちゃ困るんだよっ!!!」
「ラン!おまえはちょっと黙ってなっ!」
前に踏み出した娘の腕を、咄嗟にシリンは引き戻した。

……ラン、とシリンが彼女を呼んだ。
天真の妹の名前は……「蘭」。
この威勢の良い性格と、その首に下がったペンダントの形。
そして…同じ名前。
あかねの手が、友雅の袖をぐっと強く握りしめた。
ついに確実性が、100%の純度に近付いてきた。
やっぱりこの娘の正体は……行方不明になっていた、天真の妹なのか。

「さっさと家に帰んなさいよ!イチャつくんだったら、自分ちで思う存分絡まってりゃ良いでしょうが!」
「まあまあ落ち着いて。ところで……茨の君?」
ランをなだめたあと、友雅はシリンの方に目を遣った。
「君らの愛の巣は、どこにあるんだい?彼女は、この庵が屋敷の近くだと言っていたけれど、そういうものは見当たらないんだが?」
「はん!誰が教えるもんか。あたしらは、おてんとさまから隠れて生きるしかないんだよ。あんたたちに居場所なんか知られたら、また住む場所を追われちまうじゃないか!」
染料を使って、この金色の髪を栗色に染めて。
外に出るたびに、鬼の容姿を隠さなくてはいけない。
そんな自分たちが、京の人間たちの中で生きていくなんて無理だ。
だから、ひっそりと山奥で暮らしているというのに。

「ま、それなら詮索はしないでおくよ。そのかわり、この少女のことを詳しく教えてもらえないかな?」
「なっ、何ですって?」
シリンとランが、同時に友雅の顔を見上げた。
「ちょっと気になることがあってね。話の流れによっては…身元を引き受けたいと思っているんだが」
「か、勝手にそんな事を言われても困るんだよっ!!」
アクラムを一人で残すことも気がかりで、滅多に山を下りて買い物にも行けない。
そんな自分たちの代わりに、ランは必要不可欠な使用人だ。
…例え彼女が、黒龍の力を宿す依代として、さらってきた者であっても。

「結論はもう少しあとで良いよ。取り敢えず、話をしないか?」
そう言って友雅は、庵の中へと手招きをしたのだが、生憎さっきの水で床はびちゃびちゃで、腰を下ろすことは無理だ。
「別に私は、公的な理由で来ているわけじゃないから、君らの営みを邪魔なんてしないよ。ただ、彼女が気になったのでね」
胡散臭そうな顔で、ランは友雅の顔を伺っている。

「あ、別に男女のどうこうってわけじゃないよ?私にはあかねがいるから、見目艶やかな茨の姫君さえも、全く必要ないんだ」
その言い方に、シリンはカチンと来た。
誰がおまえなんかを、相手にしてやるか!
こっちだって、アクラム様さえいれば良いんだよ!
ブツブツと心の中で愚痴っていると、再び友雅はシリンを見た。

「こちらの希望を考慮してくれるなら、ことの次第では、君らがまっとうに普通の生活が出来るよう、心添えをしても良いんだよ?」
……心添え?普通の生活が出来るように、って…どういう風に?
「望むのなら、ちゃんとした屋敷を建てられるように頼んであげようか」
友雅が言っても、まだシリンたちの目は疑心暗鬼。
「今さら敵対する理由はないし。それに、お互いに恋に溺れる者同士じゃないか。悪いようにはしないよ。」

シリンとランが、何やらコソコソと相談しあっている間、あかねが友雅の腕を引っ張った。
「と、友雅さん…大丈夫なんですか?あんなこと言って」
「まあ、平気だよ。鬼の騒ぎは、京ではすっかり落ち着いてるからね」
町には活気が戻って賑わい、田畑や荘園では穀物が順調に育っている。
雨で水源も潤い、人々の表情はいつも明るい。
ほんの少し前には、穢れに包まれてどんよりしていた空気が、うそのようだ。
「鬼たちへの記憶は薄らいでいるよ。近いうちに、普通に暮らせるさ」
知り合いの棟梁に頼めば、小さな屋敷くらいはすぐに作ってもらえるはずだ。
「それで天真が妹君と再会できるなら、安いもんだよ」
友雅はそう言って、あかねの背中をぽん、と叩いた。



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Megumi,Ka

suga