Romanticにはほどとおい

 第4話 (2)
所変わって、ほぼ同時刻。
庵からさほど離れていない山道を、水桶を持って歩く女が二人。

「まったく!あのガキったら、どうしてこう逃げ足が早いんだろう!!」
愚痴りながら歩く女は、小袖に包まれていても端麗な容姿が目を惹くが、この世界では珍しい明るめの栗色をした長い髪をしている。
「飯を食わせてやってんだから、手伝いくらいマトモにしろって、アンタもキツく言ってやんな!」
「使用人の立場で、そんなこと言えるわけがないじゃないですか」
女の文句に応じているのは、長い黒髪の娘。まだ年は15〜6の少女だ。
彼女が自分で言っている通り、この娘は女の家で使用人として雇われている。
主と呼ばれる男と、その妻である女と。
その他に、まだ幼そうな少年と、落ち着いた男性が共に暮らしているのだが、彼らのつながりはさっぱり分からない。
……そういう自分もまた、いつからこうして雇われているのか、覚えが無いのだ。

『アンタは私らが大和国にいた頃から、使用人として一緒にいたんだよ。
戦に関わりたくなくて、家も国も捨てて逃げて来て、京に辿り着いたんだ。
ただ、逃げた身だからこうしてしばらくは、隠れて生きなくちゃいけない。』

ことあるごとに、女はそう説明した。
そう言われたら、もう"はい、分かりました"としか言えないのだ。
自分の出生さえも、今は記憶にないのだから。

とにかく、まあそれなりに生きてはいるし。
口は悪いが、女主人も無理難題を押し付けるほど、非常識でもない。
このまましばらくは、こんな生活でもいいか…と割り切って日々を過ごしている。

「ああそうだ。今夜は蕗の煮物を作っとくれ。アクラム様が、召し上がりたいと言っていたんだよ。」
「蕗ですか。じゃあ遠回りしても良いですか?」
少し岩場から上がって行ったところに、蕗が多生えているところがある。
ついでだし、せっかく今日は二人分の手があるのだから、多めに採っていって保存食として仕込んでおこう。
なかなか麓の町まで降りる機会はないので、食料を溜め込むために工夫しなくてはならない。
何故だかこういう知識は、身体に染み付いているかのように、覚えているが自分でも不思議だった。



岩場から少し上がって、やや斜面が続いている辺りに蕗が多い。
「へえ、こんなに生えているもんなのかい」
女も滅多に見たことの無い光景に、最初は驚いていたようだったが、娘が黙々とそれらを摘み始めるのを見て、自分も同じように作業を始めた。
ああいうことがあって、娘を元に戻すきっかけを無くしてしまったが…よく働くし、作る飯も美味いし、側に置いていて損はない。
表立った生活が出来ない以上、人手だけが頼りだ。

生まれ変わった彼のために、これからは新しい生活で一からやり直すのだ。
彼に付いて行くのではなくて、彼とともに生きて行く。
寄り添いながら、この手を自ら握りしめてくれる…あの人と共に。
「ムフフフフッ」
思わずこぼれた笑い声に、娘が不思議そうな顔でこちらを振り返る。
困ったものだ。あまりの嬉しさに、ついにやけてしまって笑いが止まらない。
長い間、胸に熱い想いを募らせながら、ひたすらに彼に着いて来たのだ。
しもべと夜伽役でしか近付けなかった彼が、今はこの手を握ってくれるなんて…人生捨てたもんじゃないな、と思ったりもする。
「シリン様、具合でも悪いんですか?」
「フフッ、ま…アンタも好きな男でも出来れば、女の喜びが分かるようになるさ」
そう答えると彼女は、やたら浮き足立って鼻歌まで歌いながら、蕗を次々と摘み始めた。


「男と女と言えばー…こないだからこの辺りで、図々しい男と女がいましてね」
蕗を摘みながら、思い出したように娘は自分の記憶を蘇らせた。
「これがまたホント、ケダモノ同士で!」
空き家の庵を忍び場所にしているのか、しょっちゅうやって来ては甘ったるい雰囲気をまき散らして。
「ふーん。でも、しょうがないじゃないか、男と女はそんなもんだよ」
「でもですねえ、こっちが水汲みに行き来するたび、聞こえてくるんですよ!?いちゃいちゃしてる、やらしい声が!」
さすがにこないだはキレて、頭を冷やせ!って水をぶっかけてやりました!と娘が言うと、彼女はその威勢の良さに声を上げて笑った。

「そりゃ相手も災難だっただろうねえ。しかし、こんな山の中で睦みあってるなんて、訳ありなのかね?」
「さあ…。結構年は離れてそうですけど、男は結構身なりの良い感じで…こう、くるっとうねるような長い髪をしてまして」
………ん?
その風貌は、どこかで見たような感じが…。
「で、娘はまだ若そうですねえ、あたしと同じくらいですかね。小袖を着て、髪は肩くらいの娘で。」
………おや?この形容詞も、どこか覚えがあるような気が…。
誰だっけ?でも、つい最近までよく見ていた感じがするのだが…。


「…やっ、やだーっ!!だ、だから…ダメですってばーっ!!!」
二人とは違う女の声が、どこかから聞こえてきた。
娘と女は顔を見合わせて、声の出所を探ってキョロキョロ見渡したが…彼女たちの目は、揃って少し上にあるボロボロの庵を見た。
おそらく、声はあそこから聞こえているみたいだ。
「シリン様、またですよ!ケダモノがまた潜り込んで来てるんですよ!」
丁度ここからだと、庵の裏手がせり出しているので、中の声が響いて聞こえてくるのだ。

「ここでそんなこと言うなんて…随分じらすのが上手くなったね」
「そ、そういう意味じゃありませんってばっ…ちょ、ちょっと……!」
ガサガサ、スルリ、と衣擦れの音まで聞こえてきて。
時々、男のものか女のものか分からないが、言葉にならない声も耳に入る。
「…じらされると、男は更にその気になるものだよ?これを機会に、それを身に染みて感じてごらん」
「ダメーッ!と、友雅さんっ!!ダッ、ダメッ………」

………………友雅?
………………まさか!もしやこの二人の正体は……!!!

「ちょっと、ラン!あの庵に乗り込むよ!」
「分かりました!また水でもぶっかけて、あいつらの頭を冷やしましょう!!」
意気揚々と娘は言ったが、女には複雑な想いが渦巻いていた。

その名前が同姓同名の他人ではなければ…男はあの、八葉の一人。
そして彼と睦んでいるのは、間違いなくあの時の…龍神の神子。
ほんの少し前には、敵だった相手。
もしや、自分たちがここで隠れ住んでいるのが、バレたのか?
捕らえて刑に処すために、わざと近くまで来て探っているとしたら…?
せっかく手に入れた、幸せに満ち溢れたこの日常。いまさら奪われてたまるか!
あの時は、まんまと彼らの策に丸め込まれたが、今回は絶対に引きずられても振り切ってみせる。

八葉と神子が恋仲だって、知ったことか。
こっちだって……やっと握りあえた彼との手を、離すものか。
幸せは守ってみせる。
…恋する女の意地は、そうやすやすと崩れたりしないのだ!

シリンはランを引き連れて、山道を力強く上がって行った。


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Megumi,Ka

suga