Romanticにはほどとおい

 第2話 (2)
土御門家の騒ぎなどつゆ知らず。
問題の二人は、近くの宿で部屋を借りて、迎えが来るのを待っていた。
「そんじゃ、生姜湯置いておくからね。服が乾くまで、それ飲んで暖まってなよ」
宿の女主人は小降りの碗をふたつ、部屋の隅に置いて出て行った。
肌寒い日に飲んだことのある生姜湯。
しかし今日は、こんなにも青空で汗ばむ初夏の空気。
「風邪をひいては大変だからね。芯を暖めないと」
「そうですね…」
氷を入れた冷たい水が恋しいけれど、状況が状況だから仕方有るまい。

窓から見える景色は、遠い山の景色まで眺められる。
西市が近くにあるにも関わらず、意外と静かな落ち着く宿で、市に買い出しに来た田舎の客や、商いに来た者たちが多く泊まっているらしい。
「…ひゃ!な、何ですか!?」
急に友雅が後ろから手を伸ばし、あかねの額に触れた。
「熱はないね。良かった。」
山で通り雨に降られたときは、そのまま熱を出して倒れてしまって。
幸い朝比名たちに遭遇したから良かったものの、あのまま誰にも会えなかったら、彼女の容態は悪化したかもしれない。
「今回はあの時よりも、多めに水を被ってしまったからね。ちょっと心配だ。」
「大丈夫ですよ。すぐに着替えたし、今日は天気も良いから寒くはないし。」
今、こうして部屋にいるだけでも、晴天の気温に汗ばむくらい。
これに加えて、生姜湯を飲んでいるのだから、冷えるはずはないだろう。

けれど、友雅の指はあかねの頬を優しくなぞる。
「心配性になってしまうんだよ。だって…私にとって君は、誰よりも大切な人なのだから。」
辛そうな、苦しそうな顔をさせたくない。
ずっと隣で、微笑んでいて欲しいから。そのためなら、力も惜しまない。
「ふふっ、ホントに大丈夫です。あまり心配されちゃうと、逆に友雅さんのことが心配になっちゃう。」
「…そうかい?」
あかねはうなづきながら、笑顔を見せた。
そして、こつんと彼の腕にもたれかかる。
「でも…ありがとうございます。心配してくれて。」
すっかり乾いた彼女の髪が、友雅の腕をくすぐった。

「んっ?どうしたんですか?」
背中に伸びてきた彼の手が、身体を引き寄せて胸の中へとあかねを抱き込む。
「君があまりに可愛いことを言うから、胸がときめいてしまったよ」
「と、ときめ…くって、私…何も別に…」
何も思い当たらないあかねは、腕の中で小さくなっている。
だが、そのさりげなさが友雅にとっては、ある意味"罪"なのだ。
どこまでも素直な心を持っているから、ふと自然な口調で感謝の言葉を口にする。
それは不意打ちにやってきて、すっと胸に染み込んでくるから困る。

「…確かめてごらん」
友雅はそう言うと、あかねの手を取り、自分の胸に当てさせた。
「ときめいているのが、分かる?」
「え、えっ…と………」
浴衣の奥から伝わる鼓動の動きより、じわりと感じるぬくもりの方に気を取られて、あかねは頬を赤く染める。

「じゃあ、こうすれば分かるかな」
「え?…きゃ、ちょっとや、やめっ……!!」
緩く結んだ帯が更に緩み、はだけた胸に抱き寄せられて。
「………分かるまで、こうして耳を澄ませておいで」
そ、そんなこと言われても…。
素肌の胸に寄り添っていたら、鼓動なんて落ち着いて聞いてなんかいられない。
彼の鼓動より、こっちの鼓動の方が乱れてしまいそうだ。

あ…いつもの侍従の香り。
着ていた衣は代えてしまったのに、まだ残り香はそこにある。
分かった。髪に香りが染みついているのだ。だから……こうして身体を寄せていると、鼻をくすぐるのだ。
深く豊かで、どこか甘い香りは…鷹通の侍従とは少し違っている。
もっと雅やかで、少し艶やか。まるで、彼そのもの。
そして、あかねにとっての侍従の香りは、この香りこそが基本だ。

「分かったかい?」
「え?あ……」
つい香りに気を取られていて、鼓動なんて聞いていなかった。

ふう…と友雅は、溜息をひとつ。
「仕方がない。それじゃ、あと一歩進むしかないか」
「………う、きゃあっ!!!」
その重みは急に上から押しよせて来て、一気にあかねを床に横たわらせた。





そこは、さほど大きな宿ではなかったが、土間から続く茶屋には人が溢れていて、なかなか賑わっているようだった。
詩紋は接客に歩き回る一人の女中を、その場で声を掛けて呼び止めた。
「こんにちは。あの…ここにいるお客さんから連絡を貰って、迎えに来たんですけど…」
「お客さん?どんな人だい?」
彼女が聞き返すと、後ろから天真が割って入ってきた。
「あー、ほら、髪の毛がうねっと長くてさ、いかにも女タラシみたいな男と、髪が肩くらいまでの若い女なんだけどさ」
本人が目の前にいないからと言って、天真は言いたいこと言っている。
だが、それはストレートに分かり易い説明だったようだ。
「ああ!びしょ濡れでやって来た二人ね!」
女中はすぐに店の奥に引っ込むと、すぐに貫禄のある女主人を連れて戻ってきた。

「はいはい、ご苦労さん。お二人さんは二階の部屋にいるけど…生憎、まだ衣が乾いていないんでね。」
「あ、着替えなら持ってきました。濡れたものは持ち帰って乾かしますんで。」
「そうかい。じゃあ、部屋まで案内しようね」
彼女は店内の客に出す料理を、他の者に手渡してから中に詩紋たちを案内した。


階段をゆっくり上がる。
三人分のきしみ音を響かせながら、二人は女主人の後を着いてゆく。
汗ばむ陽気のせいか、戸を開け放っている泊まり客も多い。
ちらっと覗く部屋の中は、だいたい六畳くらいの一間のようで、客は一人かせいぜい二人くらい。
「そこの突き当たりの部屋だよ」
彼女が指を差しながら、先頭を切って進んでゆき、目的地の前で立ち止まった。

「……どうかしたんですか?」
追いついた詩紋たちに、女主人が意味深に笑う。
「…ほっほっほ。今はちょっと、お邪魔なようだねえ」
「はぁ?何だよ一体」
怪訝な顔をする天真をも、彼女はニヤニヤして軽くあしらう。
「あんたたち、下で茶でも飲んでおいでよ。しばらく時間を見た方が良いんじゃないかい?」
とは言っても…あまり遅くなっては、また藤姫の頭上に暗雲が立ちこめかねない。
ま、早く帰ろうが遅くなろうが、友雅にはきっと落雷が落ちるだろうけれど。

「ほっほっほ。まあ、私らには関係ないけどもさ。馬に蹴られないように気を付けておいでよ」
高笑いをしながら、女主人は詩紋たちを置いて階下へ降りていった。
「…何なんだよアレ」
彼女の後ろ姿が消えてゆくのを見ながら、天真は疑問系のマークを頭の中に散らしていたが、ふと振り返って詩紋を見ると……部屋の前で何やら真っ赤に顔を染めていた。



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Megumi,Ka

suga