Romanticにはほどとおい

 第2話 (1)
その文が届いたのは、午後になってからの事だった。
一日三食という習慣が無いこの世界ではあるが、現代っ子でしかも育ち盛りの天真には、朝晩だけの食事で事足りるわけが無い。
食が細そうな詩紋でさえ、正午くらいになれば空腹感を感じるようになる。

…というわけで、最近の土御門家は朝・昼・鈑の三食が基本。
最初は首をかしげていた藤姫も、"あかねだって一日三食で過ごして来たんだから、二食じゃ腹が減ってるはずだ"と天真に言いくるめられ(自分が空腹だったから言っただけ)、今ではそんな日常に違和感さえも覚えない。


昼食もしっかり摂って、腹休めに天真は庭先の簀子にごろりと転がる。
丁度良い風が吹いて来て、汗ばむ初夏だが過ごしやすい。
うつらうつらと居眠りを始めていた、その時。
「天真殿、詩紋殿、少々よろしいですか?」
小刻みなリズムの急ぎ足で、藤姫が部屋に駆け込んで来た。その手には、文が一枚抱えられている。
「んー?どうかしたのか?」
耳を澄ましてみると、廊下では侍女たちが慌てて行き来する姿が見える。
そんな騒がしさに、壁にもたれてぼんやりしていた詩紋も、ゆっくりと身体を起こした。

「申し訳有りませんが…外出をお頼み出来ませんか?」
「出掛けるって、どこに?」
「この文に書かれているところでは…蚕ノ社の近くですわね。」
藤姫はもう一度文を開き、そこに認められているらしい文字を目で追った。
すると部屋の前を通り過ぎようとした侍女が、立ち止まって顔を出す。
「姫様、神子様のお召しかえの着物は、こちらで宜しいですか?」
「あ…そうですわね。それと、被衣と代えの草履も用意なさい。そうそう、笠もお持ちした方が良いですわ。」
彼女に言われた侍女は、うなづいてまた部屋を出て行った。

「ねえ、どうしたの?あかねちゃんに何か…あったの?」
あかねは友雅と共に、二人で街に出掛けたきり帰って来ない。
それなのに、彼女の着替えを用意しているなんて…ただ事じゃないだろう。
藤姫は広げた文に再び視線を落とし、はあ、と頭を抱えて溜息を着いた。
「詳しいことは記されておりませんが…お二人ともお召し物をかなり濡らしてしまわれたそうですの」
服を濡らした…って、一体何をやらかしたんだ?
見上げる空は晴天。通り雨さえ振りそうにない青空だというのに。
外は結構汗ばむ陽気だし、川に入って涼もうとでもしたんだろうか。
まあ、あかねならはしゃいでやりかねないが、友雅は……ないだろう。多分傍観者で留まっているはず。
しかし、だったら何故友雅までびしょ濡れなんだ?

可能性を考えてみる。
例えば前述のように、あかねが川で遊んでいた場合に、思い付く展開と言えば…。

(1)わざとあかねを驚かせて、彼女が傷を負わない程度に転ばせ、服を(意図的に)濡らさせる。
(2)"濡れた服を着ていては、風邪を引いてしまうよ"とか言って、あかねが小袖を脱がせざるを得ない状況へ持って行く。
(3)"私も濡れてしまったな"とか言って、自らも衣を脱いだりする。
(4)"服が乾くまで、身体が冷えないように暖めあおう"とか言って、そのままどこかへ連れ込んで--------------。

「有り得る…っていうか、それしか思い浮かばねえーーーーーーーっ!!!!」
「……天真先輩、また妄想ですか…」
既に法則が出来上がってしまった天真が、じたばたわめいているのを、藤姫と詩紋は唖然として眺めていた。


「と、とにかく。じゃあ僕らに、着替えを持って行って欲しいってことだよね?」
「ええ、お願い出来ますでしょうか?」
そりゃあ、それくらい何て事は無い。
天真は一人でさっきからパニック起こしてけれども、まあいつものことなので同行しても問題ない(だろう)。
「うん、分かった。ここに行けば良いんだね?」
藤姫に見せてもらった文には、友雅の筆で場所が書かれてあった。
地理的には、蚕ノ社よりも少し奥に入った辺りだ。
"宿屋・ゆかりの"という宿に、部屋を借りて待機している…と書かれてある。
蚕ノ社付近なら、何度も行ったことのある場所だから、何となく土地勘もあるし迷うことはないだろう。

「じゃ、僕ら急いで行って来るよ。荷物の準備は…まだ時間掛かる?」
詩紋が尋ねたとたん、足早に侍女が風呂敷包みを持ってやって来た。
「こちらが神子様のお召し物です。濡れられているとのことですから、少し今日は暑うございますけれど、重ね着をして頂くようお伝え下さいませ」
紅色の綺麗な包みを差し出し、藤姫と侍女は深く頭を下げた。

しかし、詩紋にはひとつ気に掛かったことがあった。
「……ねえ藤姫、友雅さんも濡れてるって…書いてあるよねえ?」
「そうでございますわね。」
「あの、じゃあ友雅さんの着替えも…持って行かないと。」
詩紋が切り出すと、藤姫の表情が突如険しく変わった。
「神子様をこのような目に遭わせる方になど、お着替えのものは必要ございませんっ!!」
外は真っ青な良い天気。
だが、とてつもない大きな雷が鳴り響いた。
「大切な御方をお護り出来ずに、水浸しにされるなんて……言語道断ですわ!」
「いや、でも…濡れたままじゃあ、友雅さんも風邪ひいちゃうし…」
「存じません!自動自得ですわっ!!お召し物が乾くまで、そこにいらっしゃれば良いのですわ!」
ああ、藤姫は本気だ…。
小さな背中から暗雲がもくもくと沸き上がり、稲妻が飛び交っている。…一種異様なほどの激怒ムード。
これじゃとても、口を出せない。

すると、後ろで混乱していた天真が、いつのまにか平静に戻って顔を出して来た。
「だけどよ、藤姫。あいつ着替えが無いなら無いで、ろくなこと考えねえぞ?」
何ですと?
ぴたっと藤姫の動きが止まった。
「あかねの事だから、濡れたままじゃ風邪引くって騒ぐぜ?あかねが心配そうな顔で言ってみろよ。あいつが逆らえっこないじゃん」
まあ確かに、そう言われれば。
他人から心配されようが、あまり気にしない友雅であるが、相手があかねなら別問題で。
惚れた弱みというのか。それとも、彼女の素直さに揺らぐのか。
不安そうな顔であかねに言われたら、無視もできない。

「とは言っても、あかねの着替えはあっても、あいつの着替えは無い。そうなったら、あかねの前で素っ裸だぜ?」
ま、あかねもそんなもんは、今更見慣れてるだろうけど………と言ったら、詩紋に後ろからどつかれた。

「そ、そ、そのようなことは…い、いくら何でも宿の方がいらっしゃる前で…!!!」
動揺しながら藤姫が返すと、天真は手のひらをぱたぱたと払うような仕草をしながら、彼女を見下ろす。
「甘い!"部屋を借りてる"って書いてあんだろ?じゃあ、個室で待機してんじゃん。誰もいるはずないじゃん。」
それに、水浸しのみっともない格好のまま、人前でじっとしているなんて、無理だろう。
「というわけで、俺の推測するのは------」
ぴしっと天真が人差し指を伸ばす。

代えの着物でも借りているだろうが、まずは着替えなくてはいけないわけだから。
二人きりの個室の中なら、他人の目は入らないから安心。
いやいや、安心どころか!
"着替えを手伝ってあげよう"とか言って手を差し伸べ……まんまと脱がして(!)、そして辿り着くところは前述フローチャートの(4)。
あかねが嫌がろうが、戸惑おうが、誘い込むことはお手のものの友雅だ。
良いように思うがままにされてしまったら、間違いなくあかねは------。

突然藤姫が、すくっと立ち上がった。
そしてくるりと天真たちに背を向けて、足早に部屋を飛び出して行く。
「ちょ、ちょっと誰かぁーっ!!!とっ、友雅殿のお召し物もすぐに!すぐにご用意して下さいませぇーっ!!」
しゃなりとしたいつもの足取りなど、かけらもなく。
板張りの床の上を、ばたばたと駆けて行った。

「…はぁ。ありがとう、天真先輩。おかげで藤姫、気が変わってくれたよぉ〜…」
ホッと胸を撫で下ろした詩紋だが、天真はぽりぽりと頭を掻く。
「っていうか、俺、ホントのこと言っただけなんだがな…。」



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Megumi,Ka

suga