Romanticにはほどとおい

 第1話 (2)
その小さな庵は、床は軋み、薄い板壁も剥がれ掛かっている。
ちょっとした強い雨風が襲えば、崩れそうなほど傷みが激しい。
丹波の里にある庵よりもずっと小さく狭いそこは、二人で散歩中に見つけた。
以来、度々賑やかな町を抜け出しては、たった二人きりの時間を楽しんでいる。
誰にも明かしていない、秘密の隠れ家だ。

「京って、こういう空き家みたいなのが、結構あちこちに多くあるんですね」
「そうだね。身寄りがなくなって、家を捨てて京を去る者もいるし。貧しくて別荘やらを手放す者もいるからね」
橘家もさほど栄えた一族ではないが、まあ今のところ自分の身の回りは安泰だ。
幸い帝から懇情を賜っているため、しばらく不自由をすることはないだろう。
これから始まる新しい生活も、余程のことがない限りは順調に進むはず。
……あとは、ただひとつ。
あかねが共に暮らしてくれれば、それで万事解決なのだが。
それが一番難しいこととは。


「…離したくないな。」
腕に抱いたあかねに、彼はそう語りかけた。
そんな囁きのあと、友雅の唇が重なる。
背中に回した彼の手に包まれながら、あかねは瞼を下ろした。

二人で過ごした丹波の夜から…何となく彼とのキスが変わった。
そのキスには意志がしっかり感じられ、あかねには何となくそれが分かるようになった。
おそらく今、彼が思っていることは……。

「きゃ…っ!と、友雅さ…重いっ…!!」
友雅がぐっと乗りかかって来たので、あかねは重心が崩れて床に倒れ込んだ。
彼はそのまま起き上がらず、何度も繰り返しキスを求めてくる。
「一緒に暮らせるのは、まだ先なのだから。それまでは…しばらくこうして、甘いひとときに酔いしれていたいよ…」
「友雅さっ…やっ、だめ…っ!」
拒もうとしても力は遮れず、言葉は唇で塞がれる。
だけど本心は、二人とも同じ。
同じように求め合っているから……逃げることも、逃げさせることもしない。
「…分かってるよね?ここは、何をするところなのか…」
誰にも見せない,特別な甘い眼差しをして、友雅はあかねの瞼に口付ける。
ぎゅっと彼の袖を握ったあかねは、こくりと小さく頷いた。

一緒にいたいのは…私も同じ。
出来るだけ長く、友雅さんのそばにいたい…。
そう思いながらあかねは、友雅と指を絡ませ合った。
「あか…ね…」
「…友……雅さ…ん…」
力を込めながら抱きしめ合い、名前を囁きあいながら、ふわりとした甘い空気に身体と心を投げ出す。
このままずっとこうして…ひとつになれればいいのに。
愛しさを込めて、二人は互いを求め始める。




「………ちょっとアンタたち!いい加減にしてくんない!?」

その声は、突然外から聞こえてきた。
一瞬で我に返ったあかねたちは、起き上がって辺りをきょろきょろと見渡す。
ボロい造りの板壁だが、取り敢えず四方は覆われていて、勝手に侵入者が入るすき間はないはずだ。
なので屋内には…当然ながら二人以外の気配はなく。
するとまた外から、今度はドスン!と壁を叩く振動が伝わった。
「どこの誰だか知らないけどさ!真っ昼間から、イチャついてんじゃないわよ!!」
声の調子では、まだ若い娘のようだ。
あかねと同じくらいの年…かもしれないが、やたらに威勢の良い声が響く。

「ちょっと!聞こえてる!?やるんだったら他でやってよね!人んちの目の前で盛りつかれちゃ、困るのよ!」
言いたい放題の声は、中にいる自分たちに向けて、遠慮のない言葉を怒鳴り続けている。
だが…人んちの目の前とは、どういうことだ?
二人は顔を見合わせた。ここの前に屋敷なんて…あったか?覚えがないが。


何とか落ち着いてから、友雅はそっと壁板を一枚ずらし、外の景色をのぞき見た。
人影が地面に伸びていて、見上げたそこに立っていたのは、思った通り若い娘。
背格好は…あかねと似た感じの娘で、黒く長い髪を後ろで束ね、栗色の小袖姿。
その娘は友雅が顔を出すと、こちらを不機嫌そうに睨んだ。
足元を見ると、水汲みの最中だったのだろうか、古ぼけた樽が置いてある。
「アンタ貴族でしょ!お貴族さんってのは、時も場所も構わずに、女を連れ込んで盛ってるわけ!?」
「…随分な言われ方だな。愛し合う男女には、無性に互いに求め合いたくなる衝動があるんだ。君には、まだ分からないかな?」
「冗談じゃないわよ!分かってたまるもんですか!自分んちの目の前で、あはんうふんやってたら、誰だってたまんないわ!」

いやはや、とんでもない威勢の良さだ。
見た感じはなかなか可愛いのに、一向に退こうとも控えめに出ることもしない。
藤姫とは違う意味で、迫力満点と言ったところだ。
「そう、けんか腰にならないでくれるかい?そもそも、家の前とか君は言ってるけれど…どこにそれはあるんだい?」
何せ周りは鬱蒼とした竹林。
緑に覆われた場所と言えば聞こえは良いが、単なる薮の中と言えばその程度。
こんなところに家を構えるなんて、行者か…少なくとも修行を生業にしている者たちくらいだろうに。


外の騒ぎに気付いたあかねが、小袖の乱れを整えて顔を出す。
とたんにその娘は、ギロッとあかねの顔を睨んでビッと指差した。
「ちょっとそこのアンタ!この人の女なんでしょ?旦那にもう少し節制するように言ってよ!」
「あ、あの…」
同い年くらいの娘なのに、その勢いには声さえも失う。
娘は二人の顔を交互に見ると、頭を抱えてはあ…と呆れたように溜息をついた。
「まったくケダモノじゃあるまいし!そこんじょそこらで、見境無く交尾してんじゃないわよ!」
「こっ…交尾っ!?」
「話の腰を折って悪いが…名誉の為に言っておくと、交尾はしていないよ。それに近いことでは…まあ、あるけど」
「と、友雅さんっ!!!」
そのツッコミはどうかと思うが。
既に名誉なんてものとは、まるっきりかけ離れた状況なのだし。

「ともかく!うちのご主人様の屋敷は、この竹林の奥にあるの!普段からここは人が出歩かない静かなところなの!だから、アンタたちの声も林の中だと筒抜けなのよね!」
そんなことを言われても…まさかこんなところを人が歩いているなんて、思うわけがないじゃないか。
しかもボロボロの空き家は、手つかずのまま放置されてるし。
人が近くに住んでると知っていたら…友雅を説得しようと努力はしたはずだ。
…その努力が成功したか、は別として。

「最初の頃は、まあ色惚けした男と女なんだわ、仕方ないわねーって思ってたけど。でも、何度もあっはんとか聞かされちゃたまんないわ!」
「あ、あのですね!私はそんな声出してないですっ!!!」
あかねは真っ赤な顔で、娘に向かってそう答えた。
娘はどこか冷めたような目で、ムキになって弁解するあかねを見ている。
そして、隣に座っている友雅は…というと、あかねの発言を聞いたあとから、くすくすと意味深な笑いをこぼしていた。



***********

Megumi,Ka

suga