Romanticにはほどとおい

 第1話 (1)
梅雨も終わり、いよいよ夏がやって来た。
まだ猛暑の気配はないが、少し外を歩けば汗がじわりと吹き上がる。
それでも、天には真っ青な空が広がっていて、流れ行く雲とのコントラストが爽快感を与えてくれた。

しかし、そんな爽快感とは程遠い空気が、ここ土御門家には流れている。
部屋の中には、藤姫、あかね、そして友雅。
庭から忍び込んだ天真と詩紋が、簀子に上がってこっそり中の様子を伺っている。


「だからね、藤姫殿。出来上がってから改めて取りに来れば、それで良いんじゃないかと思うんだがね?」
腕組みをして彼女の前に座っていた友雅が、そう言った。
いい加減、もうこれで何度目になるか。
ニュアンスは違えども、同じ意味の台詞を彼は繰り返している。
それに対して、藤姫の返事もまた同じ。
「ですが友雅殿?せっかくの神子様の輿入れでございますのよ?出来る限りきちんと整えた上で、私共はお送り差したいのです。」
常に迷わず、姿勢をピンと伸ばして藤姫は答えた。
友雅は、再び深いため息をついて頭を抱える。
あかねは…ハラハラしながら二人の様子を眺めている。

「藤姫も頑固だなあ。意地はっててもしょうがないだろーに」
「仕方ないよ…藤姫は、ホントにあかねちゃんのこと、大好きなんだもん」
天真たちは不穏な部屋を覗きながら、コソコソとそんな話をする。

友雅と藤姫の間に流れる、この微妙な空気。
事の起こりは---------先週のことだった。


晴れてオープンになったあかねと友雅の関係は、結婚することが当然という順風満帆な状態になる…かと思われた。
確かに、最初は大パニックに陥った周囲の者たちも、日を過ぎて行けば何となく雰囲気が馴染み、気付くと反対する者は誰一人といなかった。
もう、問題は無い。
やっと彼女と二人、夫婦として暮らして行ける…。
屋敷に用意していた二人のための部屋も、ようやくこれで本来の意味を持って使われることになる。
そんな充実感に浸っていた友雅に、あかねが言った一言。
「…あの、友雅さんのところに引っ越すの…もう少し待ってもらえませんか?」
既に気持ちは、これから始まる彼女との蜜月に酔いしれていたというのに。
その彼女が告げた言葉は、これまで春めいていた友雅の心を、一気に曇らせる威力があった。

「どうして?まさか、気が変わったというわけじゃないよね?」
「ち、違います!それは…ないです…よ」
ぽうっと頬を染めて答えた愛しい姿に、ホッと少しだけ安心した…が、だからと言って"はい、わかりました"と、すぐに納得出来るわけでもない。
「理由、教えてくれるね?」
あかねの頬に唇を寄せながら、その真相を友雅は聞き出した。
……「藤姫が、どうせならいろいろ用意が整ってからの方が良いって、そう言ってくれてるんです」
これが、すべての始まりだった。

詳しく聞くと、藤姫は嫁ぐ(というか友雅の屋敷へ移り住む)際に、持ち物を揃えてからの方が都合良いだろう、と言ったらしい。
季節に合わせた袿は、この土御門家には既に用意されている。
いつまで掛かるか分からなかった神子の役目に合わせ、あかねの為にと四季折々の一式を用意していた。
結局袖を通さなかったそれを、是非持って行って欲しいと言われ、あかねは喜んでそれを受け取った。
が、そこで終わりではなかったのだ。

「ですが、せっかくのお輿入れですわ。袿だけではなく、打乱筥や文台も新しく新調致しましょう。」
つまり、嫁入り道具を新しく誂えよう、という提案だ。
あかねはこの世界の者ではない。
そのため、本当に自分のもの、という品物が存在しなかった。
普段着ている水干も、この部屋にあるものもすべて借り物。
藤姫がくれた多くの袿でさえも、元々は屋敷にあったものであり、完全にあかねのものではない。
唯一言うとすれば……友雅が仕立ててくれた、外出着の小袖くらいだろうか。


「ですから、きちんとした素晴らしいものを、神子様ご自身のものとしてご用意しましょう、と申しておりますのよ。」
「…藤姫殿の気持ちは、分かるんだがね…」
友雅は、すんなりとそれを受け入れられない。
これから発注するとしたら、出来上がるにはひと月以上掛かるだろう。更に仕様も凝れば凝るほど、仕上がる時期は遅くなる。
数ヶ月……数ヶ月、離れて暮らせというのか?
互いを受け入れ合い、愛を確かめ合った二人が数ヶ月も、離れて暮らして行けと?
…あまりにも酷じゃないのか。

「友雅殿っ、神子様は大切な御方ではありませんか。しかも輿入れは、女性にとって重要な一生に一度の儀式。そのために、最高のご用意をした上で幸せな生活を始めて頂きたいと…そう思いません?」
「まあ、それはそうなんだが…」
小さいながらも、藤姫は手強い。
幼いだけに生真面目さも筋金入りで、言うことはもっともな正論しか口にしない。
彼女の倍以上を生きている友雅も、反論の余地がないのだ。

自分だって、あかねには最高のものを用意してやりたい。
彼女はこの世でただ一人、心から愛せる最愛の人だ。藤姫の言う通りに、そんな調度品を誂えてやりたい気持ちはある。
だが…困ったことに、自分は男であるから。
想いが強くなればなるほどに、そんな形式上などすっとばして、ただ愛し合いたい衝動が押し寄せて来てしまう。
言ったところで信用する者は皆無だろうが、敢えて言っておこう。
これでも…ああいう欲望だけで言っているのではない。
そばにいたいのだ。彼女のそばに。
そして、そばにいて欲しいだけなのだ…触れられるところ、目の届くところに。
だから困るのだ。早く彼女が屋敷に来てくれないと。
……寂しい独り寝は、むなしいものだから。

「お分かりですわね?友雅殿?」
「……はいはい。よく分かった…よ」
がくりと友雅は肩を落とした。
ここは退くしかないか…あかねも、困った様子だし。

「第一ラウンド、藤姫のストレート勝ち」
聞き耳を立てていた天真は、詩紋の頭をくしゃっと掻きながらつぶやいた。


+++++


「ごめんなさい…友雅さん」
隣を歩きながら、あかねが申し訳なさそうに言う。
「君のせいじゃないよ。藤姫殿の言うことは正しいし…謝ることでもないよ。」
「でも…」
友雅が仕立てた小袖に着替え、彼の腕に手を回して歩く。
こうして寄り添い歩く姿は、誰が見ても恋仲同士だと思うだろう。
時折細い彼女の肩を抱き、売り歩いている花を一輪彼女の為に買ってやれば、その代わりに微笑みが返ってくる。
これからは毎日のように、その笑顔に触れていられると思ったのに…それはまだ先のことか。
「正直、残念ではあるよ。何せ私は、一瞬でも君と離れているのが辛いのでね。」
指先でそっと唇をなぞりながら、あかねの顔を見つめる。
時間に縛られず、その唇を重ね続けられたらいいのに。
抱き締めて、二度と離したくないのに…その想いは形にならない。

「おおっ、見せつけてくれるねえー、お二人さん!」
通りすがりの男に声を掛けられて、はっとしてあかねは友雅から身体を離した。
冷やかされなかったら、公衆の面前でキスシーンを見せびらかしてしまうところだったのだ。

「行こうか。やっぱり…二人きりになれるところに場所を移そう。」
友雅はあかねの肩を抱いて、市から離れて大通りから反れた道を入る。
こんな気持ちを消化出来るのは、誰の邪魔も入らない空間しかない。



***********

Megumi,Ka

suga