恋愛論理

 第30話 (5)
小刻みに響く水音は、雨の滴が水面に落ちる音だ。
その中から、あかねだけにあの音が聞こえる。

------シャン。
澄んだ金属の音、重なる鈴の音。
ふと、顔を上げてみると、さっきと同じように、龍神の姿が浮かんでいる。

一見、何も変わらないように思えた。しかし、異変はすぐ近くで起こっていた。
「……友雅さん…?」
あかねは友雅の姿を覗き込む。
じっと胸元に手を当てたまま、彼はうつむいて顔を上げない。
「どうしたんですかっ…具合が悪いんですかっ!?」
無我夢中で彼の手にしがみついたあかねを、友雅がゆっくり顔を傾ける。
そして、彼女の目の前で、その手のひらを胸から外した。
「………それ…」
目の当たりにしたあかねが驚くのは予想が付いたが、それ以上に驚いているのは友雅本人だ。

いつのまにか消えたと思っていたのに。既に、八葉ではなくなった自分には、こんなものが必要であるはずがないのに。
何故、今になって?再びこの身体に戻ってきたというのだ?
胸が熱くなる。亡くしたはずの宝玉が、この胸でまた輝きを放っている。
「一体、どういう意味なのか説明してもらいたいね。今更私に、この宝玉を与える理由を聞かせてもらえないだろうか?」

龍神の神子を護るために、八葉は存在した。その八葉である証が、この身体に埋まった宝玉だった。
天地の四神からの気を与えられ、彼女を護るためだけに存在する意味があったが、京に平穏が戻り、あかね自身が神子の命を終えた今は八葉は無意味なはずだ。
何故、今一度宝玉が返ってきたのか、その意味は一体何なのだ?

"マモレ"

聞き覚えのない声が、どこかから聞こえた。
一体、誰の声なのかと周囲を見渡してみるが、友雅たち以外には誰もいない。
すると、あかねが友雅の腕を、ぎゅっと握った。
「……龍神、の声」
彼女の言葉を聞いて、友雅は空中で揺れ動く龍神に目を遣った。
動きは全く変化がないが、今の声は確かに人間の声とは考えにくかった。
声、ではなく、身体に直接響いてくる、音のようなもの。だが、それはぎこちなくとも人の言葉を紡いでいる。
「…守る?私が?」
友雅は、尋ね返してみた。
もう一度、返事をしないだろうかと考えていると、龍神がくるりと身体をひるがえして見せた。

"イノチヲカケテ、マモレ"---------命を懸けて護れ。

それは、再び自分に八葉の役目を与える、という意味か?もう一度、神子である彼女を護る命を与えると、龍神はそう告げているのだろうか。
その声に反応するように、胸の宝玉が瞬き始めている。
「命を懸けろ、ということは、彼女をずっと護り続けるために、そばにいても良いと考えても良いのかな?」
最初からそれくらいの覚悟は出来ているけれど、あかねを護るためには離れて生きることは不可能だ。
そのために、この宝玉を再び与えられたのか。

龍神は、ゆるゆると身をねじらせながら、宙を優雅に舞い踊る。
それきり、言葉を発しなかった。


やがて、白く光を放つ龍はあかねと友雅の間を一度だけ、包み込むようにゆっくりと周りながら、ゆらめく水面へと吸い込まれていく。
「待って…!」
消えゆく龍神に、あかねは手を伸ばして近づこうとしたが、池の縁ギリギリで後ろから友雅に引き留められた。
「もう、終わったよ。もう、心配しなくても良い。」
そう言って、背後から友雅はあかねを抱きしめた。
雨の雫が滴るのも忘れて。

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「こんな格好を見たら、また天真が大騒ぎしそうだね」
笑いながら、まだ生乾きの髪を拭いつつ、友雅が言った。
土御門の屋敷へ戻ると、あかねたちは問答無用で着替えを強制された。小一時間も雨の中にいたのだから、衣もかなり水を吸っている。夏も近づいて肌寒さもないとは言え、そんな格好でいたら風邪をこじらせるのは必須だ。
そのまま友雅を帰らせるわけにも行かず、家捜しをして着替えの衣も何とか用意できた。

柚芽が季節はずれの火鉢を用意したあとに、入れ違いで詩紋が暖かな麦湯を手にやって来た。
香ばしい湯気を立たせた小鉢を、二人に手渡すと、彼の手を見て友雅が言った。
「詩紋、ちょっと手を見せてもらえないかな」
突然そんなことを言われたので、一瞬詩紋は戸惑ったが、自分の両手を差し出してみた。すると、友雅は詩紋の右手の甲を指さす。
「宝玉は…ないね」
「え?あ、そうですね…。いつのまにかなくなってたみたいです。多分、八葉の役目が終わったからじゃないかと思うんですけど。」

詩紋には宝玉は戻っていない。……ならば、他の者はどうなのだろう。
「すまないが、頼久はいるかな?それと…天真。見かけたら、ちょっと部屋まで来てくれるように言ってもらえるかい?」
理由は分からないが、詩紋は友雅の頼みを快く承諾し、部屋を後にした。

「友雅さん…その宝玉は…どうして戻ってきたんですか…?」
衣の襟を留めているので、さっき詩紋は気付かなかったようだ。
だが、あかねは知っている。彼の胸に、宝玉が戻ってきたことを。
「さあね。私も分からないんだが…気付いたら胸が熱くなって、消えたはずのものがまた現れていたんだ。取り敢えず、何人か確認をしてみないとね。詩紋には戻ってきていないようだが、あとの数人はどうか、わからない。もしも私以外に宝玉が戻ったとしたら、何か深い意味があるのかもしれないが。」

龍神の言葉。-----"命を懸けて護れ"-----。その意味が何を差すのか。
少なくとも友雅自身は、この胸の宝玉が、あかねを護る命を持っている意味を示す。果たしてその命を担った者は、他にもいるのかどうか、それを確かめたい。
願わくば……自分一人が、と思うのだが。



「何か用事があるとか聞いたんだけどよー…」
言葉と同時に、ガラッと戸を開けて天真が顔を出した。真っ先にそこにいた友雅を見たが、残念ながら今回はからかえるほどのリアクションはない。
「今日は大人しいじゃないか、天真」
「二度も驚くかよ。それに、おまえ今日はちゃんと服着てるじゃん」
お互いの反応に軽く笑ってみせると、頼久もあとからやって来た。
「友雅殿、如何なさいましたか。ご用があるとのこと伺いましたが。」
「ああ、ちょっとしたことなのだけれども」
立ち上がった友雅は、天真の後ろに回って、むき出しになっている彼の肩を見た。
もしも宝玉があるとしたら、彼の場合はこの辺りにあったと思うのだが……何もそれらしきものはない。

「何だよ?何か気になることでもあったのか?」
天真はあかねに尋ねたが、事が事だけに何とも今は答えられない。
次に友雅は、頼久の耳に目を遣った。しかし、つい最近まであったはずの宝玉は、もうそこにはなかった。

3人の八葉のうち、誰一人として宝玉が戻ったものはいない。
ただ一人、友雅だけが胸に宝玉の熱を抱いている。
「……八人の一人ではなく、今度は私一人が選ばれたのだ、と考えてもいいのだろうかね…」
独り言のようにつぶやく友雅を、天真たちは不思議そうに見ている。
その時だった。これまでとは違う声が聞こえた。

"そなたの命は、彼女を護ること。そなた一人に許された命だ。"

友雅はとっさにあかねの方を見たが、彼女はその反応に驚いている。
「ど、どうしたんですか?」
……聞こえていない?あかねには聞こえていない声?もしかすると、友雅一人だけに聞こえている声なのか?
龍神よりもはっきりとして、人らしい言葉を話すその主は誰だというのか。

"愛しい者を護る力を、もう一度私を通じてそなたに与えよう"

もしかすると、この声は……。
指先が触れた、その宝玉が鼓動のように動き出す。
「……この宝玉の主かい?」
友雅にしか聞こえない声。選ばれし者に伝わる、その声が身体の中へと語りかけてきた。
もう一度、この手に力を与えると。
彼女を護る力を、もう一度与える、と言った。
その輝かしい、白虎の力を。


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Megumi,Ka

suga