半月が過ぎて---------本格的に梅雨の時期がやって来た。
一連の問題が解決したせいで、一気に京の町には潤いが戻り、それまであまり顔を見せていなかった雨蛙なども、庭のあちこちで元気よく飛び跳ねる姿を見かける。
すべてが、穏やかに推移している。そんな毎日。
あかね達が住まう土御門家では、賑やかな空気が連日渦巻いていた。
もうすぐ、柚芽と豊矩の婚儀が近付いているせいである。早急すぎるような気もするが、あかね達が京にいるうちに…という彼らの意向だった。
元はと言えば、あかね達のおかげで巡り会った縁なのだから、彼等がいなくては意味がないと考えてたのだろう。
土御門家の侍女である柚芽と、武士団の一員である豊矩の婚儀ということで、藤姫をはじめとした屋敷の者たちは、あれやこれやと大わらわだ。
当の本人である柚芽の方が、かなり恐縮してしまっている。
「あの…たかだか侍女風情の私の事でございますから、それほど大掛かりなことはなさらなくても…」
「駄目ですよー!結婚は一生に一度の晴れ舞台ですよ?おもいっきり華やかに、想い出に残るようなことをしなくちゃ!ねえ、藤姫?」
「そうでございますわ。このような晴れやかな日をお迎えになることになったのですから。何も遠慮することはございませんのよ。」
藤姫の父である左大臣との付き合いも深いことで、公に豪勢な宴を広げるくらいは容易いことだ。
だったら、いっそのこと想いっきり賑やかにしてしまおう!などと、あかねと藤姫の二人が率先して屋敷の中を盛り上げていた。
「そうそう。遠慮なんかしなくても良いんだって!俺たちの世界だって、結婚式って言ったらもうスゴイもんな。」
横から口を挟んだ天真も、こういういお祭りごとには黙っていられない。
詩紋もまた、天真のようにはしゃぐわけではないにしても、婚儀のために仕立てる柚芽の袿などを選ぶ際に、あれこれと話に参加しながら楽しそうにしている。
「本当に…あまりお気になさらないでくださいませ」
柚芽は照れたように言いながらも、嬉しそうな表情であかねたちの賑やかな様子を眺めていた。
「そういえば神子様も、婚礼の儀には新しい袿をお仕立てになりませんと。」
「え?私の分も?」
藤姫に言われて、あかねはきょとんとした。主役は柚芽と豊矩なのであるから、参列するあかねまで袿を新しく仕立てる必要はないと思っていたのだが。
「い、いいよ。だって、そんなに着る機会もないんだから…、わざわざ作らなくても…。前のものを借りるだけで良いから。」
「いいえ、折角なのですから是非。」
とは言っても……今更作ったところで、袖を通す機会もなくなってしまうのに。
……柚芽たちの婚儀が終わったら、ここに留まる意味がなくなる。
そうしたら、自分はどうすればいいんだろう。神子の役目が終わった今、あかねの存在は異世界から来た一人に過ぎない。
元々、存在しないはずの自分が、ここに残ることは許されるんだろうか。
「んじゃ、俺はこれから稽古があるから、ちょっと出掛けてくるぜ」
天真はそう言って立ち上がった。
「今日は雨だけど、何の稽古するの?」
「んー…この天気じゃ、弓か剣だな。天気が良けりゃあ遠乗りも出来るんだけどなぁ。馬って結構乗り心地良いもんだぜ。」
鬼との対決が終わったあと、彼は頼久に色々な稽古の相手をしてもらっている。
これまでの剣術に加え、今は馬術を指導してもらっているそうだ。
現代ではバイクを乗り回していた彼が、今度は馬を相手に走り回っている。
飲み込みが早いから教えがいがある、と頼久に言わせたその成果は、既に彼と共にちょっとした遠乗りにも出掛けられるくらいだ。
「あ、じゃあ僕も…。さっき、お昼の支度を手伝う約束してたんだ。」
詩紋はと言うと、すっかり土御門の生活に慣れ親しんでいる。
元々素直な性格が功を奏して、侍女たちからも可愛がられるだけではなく、この世界にあるものを利用して料理をアレンジしてみたりさせて、彼女たちを驚かせつつも興味を引いているようだ。
更に、藤姫の父である左大臣にも、熱心な勉強家であるため気に入られている。
イノリと共に町に出る機会も増えて、随分と明るくなったな、とあかねが見ても分かるくらいだ。
「あの、そういえば天真くん…こないだ言ったこと、考えてくれた?」
天真のあとを着いてきたあかねが、切り出した言葉に足を止めた彼が振り返る。
「あ?ああ……あの事か……」
それほど詮索しなくても、天真はすぐにそれを思い出せた。
二日ほど前のことだ。床に着く前に、二人はあかねから尋ねられたことがあった。
”天真くんたちは、元の世界に戻りたい?"
彼女からそう尋ねられたとき、二人は一瞬言葉に詰まった。
自分の考えがまとまらなかっただけではなくて、何故彼女がそんなことを言い出したのか……その理由が何となく分かったからだ。
だからこそ、その場はごまかしてやり過ごしたのだが。
戻りたくないわけではない。生まれ育った世界は、自然体で生きられる居心地の良い場所だ。戻れたら、これまでみたいに気楽に生きていけるはず。
だが……それとは反対に、肌に馴染んでしまったこの世界での空気から、離れてしまうこともどことなく寂しいと感じるのが、正直なところだ。
「俺はまあ、何て言うかさ。まだこっちに来て半年も経たないんだけどさ。住めば都っていうのをさ…感じるようになったな。」
先に切り出したのは、天真の方だった。詩紋は、彼の言葉に耳を傾けながら、これから答えなくてはいけない自分の意見を、何とかまとめてみようとする。
「別に元の世界でも、こっちの世界でもたいして変わらないモンかもなあ…ってさ。特に俺はあっちに思い残すことがあるってわけでもないし、慣れたら結構暮らしやすいっていうか。多分、馴染むコツってのを覚えたんだろうな。だから…うん、まあ、どっちでもいいかって、そんな感じか。」
決してそれは、嘘の答えではない。本心から、天真はそう思っている。
「適当臭い答えかもしんないけどさ。でも、それが本音なんだよな。気の知れたヤツも随分と増えたし、顔の効く奴らも多くなったからさ。何とかなりそうな、って感じなんだよな」
元々サバイバルには強い性格の天真であるから、どんな世界でも生きていける力を持っているんだろう。
そんな前向きな彼の力が、今は少しだけ羨ましいとあかねは思った。
「詩紋くんは…?」
天真から目を離し、今度は詩紋にあかねの問いかけが回ってきた。
答えは……少し迷っているところもあった詩紋だが、それでも結論だけはある程度まとまっているのだ。
「僕は…うーん…正直言って、元の世界が懐かしいって気持ちはあるんだ。でも……ね」
少しうしろめたそうな目をして、言いにくそうな感じもしていた詩紋だが、顔を上げてあかねの顔を見てみた。
「向こうで出来なかったことが、ここで出来るようになったんだよね。あかねちゃんも知っているだろうけど、僕、向こうの世界ではずっといじめられているばかりで、何も出来なくって…。でも、そんな自分がいたから、役立つことがあったんだって、気付いたんだ。」
これまでコンプレックスだと思っていたことが、逆に良い影響を与える事もある。
自分が経験してきたことがあってこそ、相手の気持ちがわかる。
だから、詩紋は鬼たちの目線で見ることが出来たのだ。
「きっと他にも、セフルみたいに…僕みたいに、外見が違うだけで嫌われてる人っていると思うんだよね。だけど、僕はこうやって八葉になって、それで結果を残す事が出来たから。天真先輩ほどじゃないけど、このカッコで町を歩いても逃げられることもなくなったし。だから、僕がそうやって、鬼だって言われてる人たちの架け橋になれたらなあ、って思ったりしたんだ。そりゃ、そう簡単なことじゃないけど…。でも、根気よく頑張れば、伝わるはずだって思うから。」
もちろんそれも、詩紋の本心。あかねに流されて決めたことではない。
そんな未来を選んでも良いだろう、と弾き出した自分の答えだ。
「だから、僕は出来たら……ここで、僕みたいに隠れて辛い生活をしてる人たちがいたら、助けてあげたいって、何かそう思ったんだ。」
「そっか……。じゃ、二人は戻らなくても良いんだ…」
「ん。ま、何とか暮らしていけるだろ。これまでもどうにかなったしさ。」
彼らは自分よりもずっと、明るい未来を思い描いている。これまでの経験をしっかり見据えた上で、更に先の事を考えながら歩き出している。
自分自身の答えで選んだ道なのだから、例え険しい未来でも後悔はしない、という強さが二人には見て取れた。
「…やっぱり男の子だなあ…二人ともしっかりしてる…」
軽く頭を掻きながら笑ったあかねの表情は、どこか乾いたような笑顔だった。
「そういうおまえは、どうなんだよ」
「私………?」
見上げると、天真と詩紋の目があかねを見ていた。
「俺たちの意見じゃなくってさ、おまえが迷ってたんだろ?残っていいのかどうかって」
天真の言う通りだ。
どうしていいのか、迷っている。残るべきなのか、それとも戻るべきなのか。
正しい選択はどちらなのか、はっきりとした答えが出せなくて。どうしたら後悔しないでいられるか、それが分からない。
だから二人の意見を参考として聞きたかったのだけれど。
すると、天真があかねの頭をくしゃっと掻いた。
「何を考え込んでんだよ?一番残りたいのは、おまえだろ?」
にやりと笑って、彼はあかねを見下ろす。
その言葉はストレートで、胸の中に突き刺さった。
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