ふと庭の水たまりに目をやると、丁度太陽が真上にやってきているのか、水面にきらきらと光の粒を散らして輝かせていた。
「今日は本当に良いお天気で…。友雅殿、干しておいた袍も、あっという間に乾いてしまいましたわよ」
高欄に干しておいた友雅の袍は、干してから30分も経っていないというのに、既に完全に乾いてしまっていた。
裾のほんの少しを濡らした程度であるから、湿った部分もわずかだったのだが。
「如何なさいます?ご自分の袍にお着替えになりますか?」
「そうだね。やはり私には、大将殿の衣はまだ荷が重いようだからね。自分の袍の方が気楽で良いよ。」
友雅はそう言って、潮から自分の袍を受け取った。
太陽の光を浴びていたせいか、ほのかに暖かな木漏れ日に似た香りがする。
「というわけで…ちょっと姫君方には目を反らしていて貰えるかな?」
こちらを向いてそう言った友雅の言葉を、咄嗟に理解したあかねは、はっとして気が動転した。
「え?あ、あっ…は、はいっ!!」
真っ赤になったあかねが、くるっと後ろを向いたのを確認すると、友雅は笑いをこらえながら着ている袍の襟元を緩めた。
着ていた借り物の袍を脱ぎ、自分の衣を手に掛けた時、庭の隅の方から足音が近づいて来ることに気付いた。
顔を出したのは、天真、そして後ろから頼久と豊矩が着いてきていた。
「よぉー…一段落付いたからってんで、やって来たんだけど……おおおお!!!???」
簀子に立つ友雅の姿を見て、思わず天真が奇妙な絶叫を上げた。
「何だい天真。そんなおかしな声を上げて…」
「な、な…んで!何でおまえ、そんなカッコしてんだよぉぉ!!」
背後にいる頼久と豊矩の方はというと、別段焦ることもなく普通と変わらないのだが、天真だけがどうやら過剰反応している。
「そんな格好と言われてもねえ…まあちょっと、色々とあったのだよ」
「いろいろって……いろいろって何だそりゃー!!!!」
単に着替えの最中なだけなのだが、天真の頭の中はとんでもない想像力が渦巻いているらしい。
一体どんなことを思い描いているのやら…と思ったら、妙におかしくなってきた。
「天真くん!?ど、どうしたの!?」
後ろで騒ぎ立てている天真の叫び声に驚いて、あかねは思わず振り返ってしまった。が、途端に目に入ってきた光景に一瞬頭が真っ白になった。
と、同時に顔色はそれと正反対に、かーっと耳たぶまで真っ赤に血の気が上昇したのが分かった。
「きゃ〜〜〜っ!!」
慌てて両手で顔を隠したあかねは、もう一度後ろを向くと、柚芽の膝に顔を押しつけてうずくまった。
「そこまで目を覆われると、複雑なんだがねえ…」
笑いながらそうつぶやく友雅の声が、赤く染まったあかねの耳に入ってきた。
しかし柚芽と潮が顔を揃えて、くすくすと笑っていることまでは、多分気付く余裕もないだろう。
「姫君方、もう済んだから、こちらを向いても構わないよ」
友雅のお許しの声がして、あかねは柚芽に背中を支えられながら顔を上げた。
いつもと同じ姿の友雅がそこにいる…が、時折先ほどの画像が頭の中でフラッシュバックして、顔がまた真っ赤に熱を持ってきた。
すると、いつのまにか簀子に上がり込んでいた天真が、しげしげとあかねの方を見ていた。
「……ど、どうしたの、天真くん…ジロジロこっち見て…」
あかねが不思議そうに尋ねると、天真は頭を掻きながらばつの悪そうな顔をして、苦笑いしながらあかねに言った。
「あ、いや…さっきの俺、勘違いしてた…かと思って」
勘違いって、一体どんなことを考えていたというのんだろう。
あれだけ大騒ぎしていたくらいだから、多分ろくな事じゃないだろうな、と思ったりしたのだが、その内容は想像を絶するものだった(少なくともあかねにとっては)。
「ホラ、何ていうかー…さ★友雅があんなカッコしてるもんでさ…いやあ…てっきりそのー……」
一瞬、天真の言っていることの内容が理解出来なかったあかねだったが、突如その意味に気付いて、更に顔を赤くして天真に食い下がった。
「……な、な、な、何考えてんのーーーーっ!!!!」
「いやいやいや!だから誤解してたって!おまえ、ちゃんと服着てるし、それに柚芽さんとかいるんだし、まさか友雅だってそんな暴挙はなあ…と」
「へ、へ、へ、へ、変な深読みしないでよぉぉぉ!!!!」
紅梅か、それとも南天の実か。そんな色を思い起こすような顔色をして、天真の首根っこを掴んで揺さぶっているあかねは、すっかり興奮してパニック状態であったが、その敏感過ぎる反応がまた彼女らしくて、不謹慎ながら友雅は笑いをこらえられなかった。
「考えすぎだよ、天真。いくら私でも、そこまで時と場所を弁えない男じゃないよ。」
「つーか、おまえだからこそ、そんなこと考えるんじゃねーかよぉ!!」
あかねに首を捕まれながら、天真は友雅を指さして悪態を付いた。
「てっ、天真くんがそんなこと考える方が、おかしいんだってばっ!!」
大混乱中のあかねは、天真をぐいぐいと締め上げる力の加減を知らないので、仕方がなく後ろにいた頼久が止めに入って宥めることにした。
しかし、そういうときに限って、鶴の一声というか…更に火に油を注ぐような事を、さらっと言ってのけてしまうのが、この友雅の特徴でもある。
「これまでならまだしも、本気で恋い焦がれた相手なら、慎重に順番を整えてからにするよ。」
……………一瞬の沈黙。そして、そのあとの絶叫。
「てめー、やっぱり下心あるんじゃねーかっ!!!」
あかねを頼久に任せて、友雅に食って掛かろうと立ち上がった天真だったが、柚芽と頼久の声が同時に聞こえて、その場に踏みとどまった。
柚芽が、思わず腰を上げて駆け寄る。そしてあかねは…くたっとしてその場に倒れ込んだ。慌ててそれを、頼久が抱え込む。
「神子殿!如何なされましたか!」
動転する頼久を抑えて、柚芽がそっと彼女の頬に手を添えて微笑んだ。
「ご心配なさらずに。おそらく興奮してしまって、気持ちが追いつかなかったのでしょう。少し休ませて差し上げれば、落ち着いた頃に目を覚まされるかと思いますわ。」
その言葉に、一同はホッと胸をなで下ろした。
「あまり神子様を過剰に興奮させるようなお言葉は、慎んで頂きたいものですわね、友雅殿?」
振り向きざまに、柚芽が友雅に向かってそう言った。彼は隣にいる潮の様子をちらりと見たが、すぐに彼女から軽く背中を叩かれた。
二人の女性に責められては、男は素直に謝るしか逃げ道はない。
「分かった分かった。私が調子に乗ってしまったのが悪かったよ。つい、天真の想像力が豊富だったものだから、面白くてね。」
「俺のせいにすんなよ。そういう想像させるおまえの行いが悪いんだろ!」
友雅は天真の言葉を軽くあしらいながら、頼久のところへ歩いていった。
「頼久、その役目は私に受け渡してもらえないかな。」
そう言って、友雅は頼久の腕の中になだれ込んでいるあかねを指さした。『悪さはしないから』と釘を差した上で。
ゆっくりと静かに、あかねの身体を持ち上げて、頼久から友雅の腕の中へと移動させる。
高欄の廂に背中をもたれ、眠るように横たわるあかねの身体を腕に抱いた。
自然に彼女が目覚めるとき、真っ先にその瞳に映るのが自分であるように。
そんなささやかな事を想いながら、それをまた自分に置き換えてみる。
一日の最初も、そして最後も、目に映るのが彼女であったら、どんなに幸せだろうかと。
穏やかな寝顔のあかねを眺めながら、他愛もないことを考えてみたりする。
「友雅殿と神子様の方も、ようやく落ち着いた様子ですし。柚芽もこれで安心して、事を進めることが出来ますね」
潮が突然そんな事を言い出したので、皆が一斉に柚芽の方に目を遣った。
彼女は少しはにかんだような顔をしてうつむき、袿の袖で口元を隠した。それと同時に、今度は頼久の隣にいる豊矩が、妙にカチンとして顔を強ばらせている。
「龍神のご加護に包まれたお二人に、あやかりたいものですわね、豊矩殿?」
柚芽、そして豊矩………二人の顔を交互に見ながら、そこにいる誰もが同じ事を思い付いた。
「潮殿、それはつまり、私と神子殿の苦労が実ったと、そう考えても良いということかい?」
頼久は隣にいる豊矩の顔を見たが、彼は相変わらず緊張の糸でぐるぐる巻きにされて、身動きも取れないと言った様子だ。
だが、そんな姿ですぐ分かった。彼が、柚芽と結ばれることを約束したのだ、と。
「トントン拍子に上手く行ったものだねえ、豊矩?これなら私たちも頑張ったかいがあったというものだよ。」
「は、は…はいっ!」
声が上擦っているところが、また何とも素直な反応で良いじゃないか。頼久ほどではないにしても、彼の生真面目さはそんな普段の姿からも分かる。
そういうところが、母である潮にも気に入られたところだろう。彼なら、娘を任せられると…そう確信したのだろう。
「是非、輿入の日には神子様も友雅殿も、ご参列して頂きたいものですわね」
潮が言うと、柚芽はほんのり頬を桜色に染めて、軽くうなづいた。
あかねは、まだ目覚める気配はない。
彼女が目覚めたら、柚芽たちのことを教えてやろう。彼らが、手を取って生きていく事が決まったのだ、と。
きっと彼女は、春の日だまりのように笑うに違いない。そして、彼等の婚儀には参加したいと、自分から言い出すだろう。
それまでは、彼女はここに留まるはずだ。
問題はその後のこと。
さあ、どうやって引き留めようか………友雅の問題は、まだ尽きない。
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