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恋愛論理
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| 第28話 (2) |
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「さて。もう、これで言いたい事は全部言ったはずだ。随分と長い話に付き合ってもらって、悪かったね。」
一通り話が終わると、彼は清々しい顔をしてあかねを見た。
「これで気分は軽くなった。明日から、また八葉として残された時間を費やすことにするよ。これ以上、白虎に愛想を尽かされては困るからね。」
白虎に見放されて、八葉の命までも取り上げられたら、それこそ大変だ。
恋の相手になろうなんて、期待の薄いものを夢見ることも出来ない友雅にとって、今は八葉の座があるということが、あかねのそばに居続けることの出来る重要な権利なのだから。
階を上り、簀子を抜けて、彼はあかねの方へと歩いてきた。
「君の、良いように考えて良い。無理強いは、もうしないよ。迷惑だったら忘れてくれて良いからね」
友雅はそう言って、軽くあかねの肩に触れた。
そして、彼女の目の前を通り過ぎていった。
その瞬間に、まるで催眠術か、金縛りから解けたかのように、あかねの身体が急に自由を取り戻した。
「あ…っ……」
喉に手を当ててみた。声が出た。少し詰まり気味だけれど。
指先も動く。手も足も、全身が思った通りに動く。
とたんに、瞳の奥が熱くなる。
「と……友雅さんっ…!!」
背後から、絞るようなあかねの声がして、咄嗟に彼は振り返った。
そこにいたのは、膝を震わせながらこちらを見つめているあかね。その瞳が、庭に湧き出る清水のように潤んで揺らめいている。
「…友雅…さん………」
小さな手が、名を呼びながら伸びている。有無を言わせず、友雅はあかねのそばに駆け寄ろうとした。
-----その途中で。
思いがけなく、腕の中に飛び込んで来たぬくもりを、慌てて彼は受け止めた。
意表を突いた展開に、一瞬姿勢をその場に留めることの出来なかった友雅だったが、どうにか高欄に重心を任せられたことで、階から庭先へ転げ落ちる事だけは避けられた。
とは言っても、一部避けられなかった所もあるが…まあ、あかねに怪我がなかっただけでも良しとしよう。
「どうした?気分でも悪くなったのかい?」
友雅はあかねの背中をそっと撫でたが、彼女は衣の袖にぎゅっとしがみついたまま、自分の胸に顔を押し当てて声を殺している。
「……具合が悪いわけではないなら、良いがね。」
静かに両手を広げて、あかねの身体を包むようにして抱く。
彼女がどう思っているかは、関係ない。自分が八葉であることは、紛れもない事実であるのだし、それ故に自分はあかねを護る命を持っている。
そう思いながら、抱きしめてやればいい。
そうやって彼女のそばに居る事が出来るなら、それで十分だ、と今の友雅は素直に思えた。
「天真たちは外に待機しているだろうから、もう屋敷の方へ戻った方が良いかもしれないね。柚芽殿と潮殿も、いつ戻るか検討が付かないし…彼女達が戻るまで私が留守を受け持つから、神子殿は屋敷へお帰り。」
帰りが遅くても、親子なのだから柚芽がここに泊まることも可能だろう。
豊矩は一度戻るにしても、明日になって再び車を迎えにやれば良い。
もう、あかねがここに居る必要は無いし。友雅も用件は済んだ。
すべて、終わった。これからは…再びいつも通りの日々が戻ってくる。
ただ、今はしばらく一人で気持ちの整理をつけたい、そんな気分だ。
「ちょっと待っておいで。頼久か誰かを呼んで来よう。」
腰を上げて立ち上がろうとした友雅だったが、しっかりと袖を掴んだあかねの手が解けずに身動きが取れない。
「……本当に大丈夫なのかい?」
細い肩を両手で支えて、ゆっくりとあかねの身体を胸から引き離した。
こわばった肩を震わせて、それでも友雅の袖を強く握りしめて、顔をうつむかせて…時折、しゃくり上げるような声をして。
「気分が悪いのなら、もう少しこのまま休んで…………」
手のひらでそっと、あかねの顎を上向きに反らせてみる。
と、彼女の二つの瞳から溢れ出していた涙が、頬を覆うように湿らせていた。
閉じたままの瞼を引くつかせ、同じように唇を震わせて、それでも伏せたまつ毛の奥からは涙が流れ続けている。
「……神子殿?」
友雅の呼ぶ声がしている。
衣から、侍従の残り香がかすかに漂う。
本当はずっと、この香りに包まれるのを夢見ていた。自分を呼んでくれる彼の声を聞いていたかった。
どうしてか……?
それこそが、幸せの、至福の時だったから。
初めての恋だから、気付くまで時間がかかり過ぎた。そして、気付いてからも、彼との距離感に行き悩んでいた。
いや、それは心に気付く前からのことだ。
いつだって、彼の言葉と自分の価値観との差を気にしていたのは、彼を意識していたからだと今なら分かる。
からかわれるのが嫌だったのは、彼と一緒の目線で歩けないのが悔しかったから。
一緒に歩きたかった。対等に、自分を見て欲しいと思っていたのだ。
……彼に惹かれていたから。
「…ひゃ…っく」
鼻と息を同時に吸い込んだら、喉の奥が転がって妙な声が出た。
それに加えて涙までこすったら、今度は目まで赤くなってきてしまった。みっともないったらありゃしない。
友雅の前なのに、格好もつかない。
「具合が悪いせいで泣いているわけじゃないのなら、もう泣くのは止しなさい。きらきらした水晶の粒を、そんなに惜しみなく流してしまっては勿体ないよ?」
指先でそっと涙のしずくを払い除けようと、友雅はあかねのまつ毛に、静かに触れようとした。
「……と、友雅さんの…友雅さんのせいですよっ……!」
あかねは両手で顔を覆って、どさっと友雅の胸に再び倒れ込んだ。
そして、とたんに声を上げて泣き始めた。
戸惑いを隠せなかった友雅だったが、あかねをそのままにしておく訳にもいかず、だからと言ってその涙を止める術も知らず、自分の手で震える彼女の身体を抱きしめるくらいしか出来ない。
「…っ…あ、んな事…言うからっ…友雅さんが…っ…あんな事言うから……っ」
泣きながら何度も何度も、声を詰まらせつつ、腕の中のあかねが言う。
こうして涙を目の当たりにしてしまうと、何も出来ない。他の人ならともかくとして、無心で泣く彼女をどう慰めて良いのか検討も付かない。
その時になったら…なんて、あの言葉を思い出してみたが、こういう時は機転も利きづらい。
「……悪かった。また、君の気持ちを混乱させたかもしれないね。でも、君がどう思おうが自由だ。迷惑なら、いつものようにからかっただけだ、と、そう考えて受け流してくれていいよ。」
そんな慰めの言葉しか、友雅には言えなかった。
この想いは、彼女にとっては迷惑だったかもしれない。彼女を惑わせるだけの、行為だったかも知れない。
だが、あの時に彼女自身が言ってくれたからこそ、この想いを告げる決意が出来たのだ。
自分を好きでいてくれる人の存在を、知りたいと彼女が強く願ってくれたからだ。
運命の人は、好きな人ではなくて、好きになってくれた人かもしれない……なんて、あの時彼女はそう言ったけれど。
彼女にとって、自分がそうであればいいと少しは考えた事もあったが、今はそんな想いに捕らわれてもいない。想いを吐き出してしまったせいで、これまでとは比べものにならないくらいに心が軽いせいだ。
贅沢なことはもう、望むまい。
こうして、彼女を想う男が一人くらいはいたのだと、その程度の認識として記憶に刻んでもらえれば、もう十分だ。
だが、しかし。
「困ったな…。そこまで神子殿に泣かれてしまうと、さすがに少し気が滅入ってしまうよ。さっき言ったことを、すべて取り消したくなってきた。」
もちろん、そんな事が出来るわけもなく、友雅自身もそんな気はまるでないのだけれど。
それでもこうやって、あかねに泣き続けられるのは、正直言って精神的にダメージが強いのだ。
すると、あかねが友雅の胸を、拳で何度か軽く叩いた。
「……バカ!友雅さんのバカ!!」
泣くことを止めずに、何度も繰りかえし悪口を浴びせる。
友雅は、あかねの行動を止めるもせずに、ただ黙って全てを受け止めていた。
どれくらい、それが続いたか。しばらくするとあかねは疲れてきたのか、息を乱して涙でぐしゃぐしゃになった顔をこすりつつ、声をすすり上げた。
「…泣くのは…っ…悲しい時ばかりじゃないですよ…っ!!」
今度は、友雅の襟元までも握りしめて、相変わらず、その睫を滴で濡らして。
感情が高ぶった時、涙は自然と溢れ出す。
それは決して悲しい時だけのことじゃない。怒りに震えた時も、何かに感動した時も、心は常に涙腺と一体に繋がっている。
今だって、こうして涙が止まらない理由が、確かにある。
「……嬉しい時だって……泣けて来ちゃうんですからっ……!」
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