恋愛論理

 第26話 (2)
初めてここを訪れる頼久と天真は、静かに山の緑に囲まれて佇む寺院を見渡した。正門の手前で車を停めて、あかねと柚芽が降りてくると、三人の尼僧が入口で皆を迎えた。
「よくお越し下さいました。お待ち致しておりましたよ。」
潮と、二人の尼僧が控えめに頭を下げた。
豊矩は袿姿の柚芽に手を添え、あかねは身軽に地へ降り立つ。
そして潮たちに会釈をした。

きょろきょろと、周囲を見る。そんなあかねの様子を見て、潮が言った。
「まだ、友雅殿はお越しにはなられておりませんよ。取り敢えず、中でお待ち下さいませ。」
一瞬、心の中を覗かれたような気がして、どきっとした。図星だったからだ。
既に彼が到着しているのでは…ということが気になってしまって。
もし、そうならばどんな顔をして部屋に入れば良いか、とか考えてしまって。
深追いする気持ちは必要ない、最初から意識しなければそれでいいと、さっき何度も思い返していたくせに、ここに到着してから再び同じ戸惑いが戻ってくる。

「それでは、私は頼久と天真殿と共に、門の外で待たせて頂きます。」
豊矩は膝を付いて、深々とあかね達に向けて頭を下げると、しっかりとした覇気のある声でそう告げた。
振り返った柚芽が、優しい微笑みを彼に返した。
明らかに彼女が豊矩を見た瞳は、無条件の信頼を伝えていた。

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天気があまりに良すぎるので、友雅は供を連れずに馬で山道を歩いていた。
進んでいく毎に木々の緑が深くなり、街中ではやや暑さを感じた風も、ひんやりとした涼風に変わっている。

約束の時間は、もうそろそろだ。既にあかね達は、到着しているだろうか。
そんな事を考えながら、出来るだけゆっくりと馬を走らせる。
わざと、そんな風にして時間を稼ぐ。
逢いたいのは間違いないが、逢ってからのことが予想できないだけに不安が募る。あかねに逢って、まず何を話そうか……取り留めのない雑談で気を紛らわすには、どんな話をしようか。

でも、重要なのはそんなきっかけではなくて、どうすれば想いを伝えられるか。
この期に及んで考え込んでも仕方ないのに、未だに踏ん切りがつかないでいる。
我ながらじれったいというか、まだるっこしい。もっとすっきりと、はっきり感情を言葉に出来ないものだろうか、と情けなくなる。

朝露の残る白い花の束が、揺られるたび粉雪のように花弁を散らせる。
しかし、胸に降り積もった雪は想いを凍結させて、未だに溶ける気配はない。


「あ、やっと来やがったぜ」
車の近くに座り込んでいた天真たちが、山道を上がってくる馬の足音が近づいていることに気付く。
そちらの方向を凝視していると、彼の姿が見えてきた。友雅は天真たちのところまでやって来ると、ひらりと馬から飛び降りた。
「君たちがここにいるということは、もう神子殿は来ているということだね」
無造作に馬の首にくくりつけた、白い花を付けている枝の束を友雅は取り上げながら言う。
「…遅すぎなんじゃねえ?おまえ、こーいう時に遅刻してると、何を言おうが信用してもらえねーぜ?」
天真が憎まれ口を叩くと、友雅は苦笑した。
「それは困るな…。これでも、悩む時間が欲しくて、わざと時間をかけてやって来たのだけれど、逆効果だったかな」

ついにここまでやって来てしまった。
行く場所は、この先にある寺の中。理由はただ、そこにいる彼女に会うために。
彼女に想いを伝えるために、足を踏み出す。
正直なところ、まだ少し気は重いけれど。

「……遊びの延長なんかだったら、マジで許さねえからな」
目の前を通り過ぎようとしたとたんに、天真がぽつりとこぼした。再び、苦笑いが浮かぶ。
「そんなことを考える余裕なんて、今の私にはないさ」
友雅は豊矩に馬を任せ、腕に花枝を抱えて中に向かって歩いていった。
ゆっくりと、足を踏みしめて、歩幅を出来るだけ縮めて、時間をかけて。
その動作こそが、彼が未だに心を募らせていることを証明していた。

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土御門の屋敷とは違って、花よりも緑が多い庭の風景を、柚芽と共にしばらく眺めていた。
初めて訪れる母が居住する寺の景色を、柚芽は物珍しそうに見ながら、時折あかねから聞く話に興味深げに耳を傾けていた。
「柚芽、ちょっとお手伝いをお願い出来ないかしら」
煤けた格子戸を開けて、潮が顔を出す。
柚芽はあかねの元から離れ、呼ばれた母の方へと歩いていく。潮はちらりと部屋の中を覗くと、あかねに軽く頭を下げた。
そして、柚芽を連れ出すと、戸を静かに再び閉めた。

柚芽を後に着けさせて、潮は玄関に向かって廊下を歩いていた。
「友雅殿が、お着きになられましたよ」
潮が、振り向かずにそう告げた。
「承知致しました。では、母様…後のことは滞りなく進むよう、お力添えをお願い致します。」
「出来る限りのことを致しましょう。私とて、あの方の事に関してはやぶさかではありませんから。」
主人が何かと世話を焼いた彼は、少なからず潮にとっては我が子に近い感覚を抱いている。だからこそ、こうしてやっと辿り着いた"答え"に、惜しみなく手を貸してやりたいものだと思う。
「手の掛かる息子みたいなものですわね」
そう潮がつぶやくと、背後で柚芽が少しだけ声を上げて笑った。

「ようこそいらっしゃいました。早くから、お越しになるのをお待ち申し上げておりましたのですよ。」
入口で待たされていた友雅の所に、二人が揃ってやって来た。
「打ち偲ぶ心があまりに重くてね。馬も随分と足取りが進まなかったようで、思ったよりも時間がかかってしまったようだ。大目に見て頂けないかな?」
「相変わらず、交わすお言葉はお見事ですこと。その調子で、神子様にも真摯に向かい合って頂きたいものですわね。」
口達者な潮には、やはり敵いそうにない。

友雅は、携えた花を柚芽に手渡した。
「まあ…お見事な橘ですこと。まだ友雅殿のお屋敷では散らずにおられるのですわね。土御門の花は、もう殆ど残っていない様子ですのに」
「数だけはいくらでもあるからね。その中には遅れて花咲くものもあるよ。」
透渡殿から、緑の苔と山の木々が広がる庭が望めた。その中に、時折小さな花や杜若の鮮やかな青が、ひっそりと色を添えている。
そんな景色に目を遣っていると、前を歩く潮が笑いながら口を開いた。
「まさに、お屋敷のご主人を表しているようなお言葉ですわね。一斉に咲く花の中で、時期を遅れて咲く橘の花…。それこそ、今の貴方のようではございません?」

誰もが初めて恋を知る、青い時期を何事もなくすり抜けて、気付かずに時間だけが過ぎてしまった。
そして、あまりにも時期を外れて、突然それは思いがけない場所で花を咲かせる。
「上手い例えだな…感服してしまうよ。」
これ以上何も言えないほど、潮の言葉は正解で、こっちまでおかしくなってきた。
「ですが、花が遅くても実は結ぶものです。常世物の"永遠"の意味を、お忘れにならないように。」
潮は最後にそれだけを言うと、後は一切口を開かなかった。
静かに、廊下を奥の間に向かって歩く。潮と柚芽のあとを、友雅が続いた。
以前、あかねを連れてやって来たときに通された、庭が一望できる絶景の間が奥にある。そこが、今日の舞台となる場所なのだろう。

色々な話をしたものだ。
柚芽達の恋の話から始まって…いつの間にか、自分たちの恋についてまで。
そういえば初めてあかねを連れてきた時に、宮中で聞いた恋の話をまことしやかに話したこともあった。

"心は自分が思うよりも、自由がきかないものだ”なんて。
何を知ったかぶりして…彼女に説くなんて立場もないはずなのに、と今なら笑ってしまう。
口で言っていながら、一番分かっていなかった自分。それが、今は痛いほど実感できる。

……恋した気持ちは、止められない。そう簡単に、払いのけられるものではない、と。人は、恋というものに振り回されるしかない、ということを。
勿論、回避方法はあるのかもしれないが……何もかも初めての自分には、そんな答えは見つけられない。
だからこそ、今日その答えを自分で探るしかない。
逃げずに、彼女を向かい合うしか、答えを見つける手がかりはない。

「さ、友雅殿、こちらにどうぞ」
格子戸をそっと開き、潮が部屋の中へと彼を誘った。

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Megumi,Ka

suga