昨日は一日中雨だったというのに、今日に限って空は雲一つない晴天だ。
朝から照りつける煌煌とした太陽の光も、これからのことを考えると鬱陶しくて仕方が無い。
せめて昨日みたいに、少し湿っぽい感じの方が気も休まるのだが。
…などと言ったところで、天気が変わるわけでもない。
そして、今日の出来事も変わるわけではない。
「……朝から憂鬱だな」
眩しい空を見上げて、友雅は一人つぶやいた。
一日が過ぎて、気持ちの整理がついたかと言われると…正直微妙なところだ。
元から、感情の自覚は済んでいるのだけれど、それを他人にうまく伝えられるかと言う事になると、話は別である。
自分だけが分かっていても、仕方が無い。そんなことは当たり前、と言いつつ、つい最近までは自分でも気付かなかったのだが。
簡潔にまとめても、どことなく薄っぺらな感じに捕われかねないし、だからと言ってまだるっこしいほど、長々と話すのも逆効果だろう。
「こうなったら、言われた通りにするしかないかねえ…」
腹をくくって、流れに任せるしかないか。
その時になったら…………その時が来たら、言いたい事を本能に任せてみるしかないか。
何にせよ、それは我が身に宿している、本心には違いないのだから、
------池の中には、天を彩る蒼い空色が、そのまま水面に映し出されている。
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「如何致します?どちらが神子様のお気に召しますかしら?」
朝から柚芽が、重色目の美しい袿を二着ほど用意して、あかねの目の前に差し出した。
「そろそろ卯の花の重ねも、涼しげでよろしいかと思うのですが…やはり、今日はこちらの花橘の重ねの方が、よろしいでしょうか?」
白の色は、橘の花の色。黄金のような鮮やかな山吹は、色づいた橘の実の色。そして、深い緑は……永遠に失わない、橘の葉の色。
数枚の色を重ねたその袿は、あの白い花の咲く木々を表している。彼の住む屋敷中を包み込む、あの花を。
「さ、そろそろお支度を始めましょう。今日は、特別な一日になりそうですものね。いつも以上に美しいお仕立てをしたなくては」
花橘の重ね袿を手にして、柚芽はあかねのそばにやってきた。
これから着替えを済ませて…出掛けなくてはいけない。
いつもと同じに見えるけれど、でも行く先に待っているのは……龍神の神子としての役目ではない。
数日を経て、久し振りに友雅に会うことになる。
これまで毎日のように顔を合わせていたから、たった2〜3日がとても長い時間に思えた。ずっと何ヶ月も逢っていないような気がする。
彼に会ったら………どうしよう。何を話せば良いだろう?
それとも、彼が切り出すまで、黙って待っていればいいんだろうか。でも……。
「さあ、お着替えをお手伝い致しましょう」
柚芽があかねの肩に、そっと手を乗せた。
「あ、ごめんなさい柚芽さん…あの、やっぱり…良いです、それ」
突然あかねが何かを阻止するように言ったので、一瞬何のことか分からずに彼女は首を傾げた。
「い、いいです…その袿。何か…ちょっと…そんなカッコで行かないといけない場所じゃないですし…」
これまで何度か潮の寺には行っているが、いつも普通の水干姿のまま。本来、俗世から離れた場所であるのだから、そんな正装は必要ないと思われる。
「ですが神子様、本日はどのような日になるか、お分かりでしょう?女性であるならば、殿方から想いを伝えて頂ける瞬間は、幸せそのものであるはず。そんな時こそ、より美しいお姿で相手の方と向き合いたいと、お思いになりませんか?」
柚芽の言うことは、もっともである。あかねだって、昔からそんな夢を描いていた。
好きな人に告白してもらえるなら、どんな場所でどんな時間で、どんな格好で打ち明けてもらいたいか…と、夢物語のようなことを友達同士で語り合った。
だけど……。
「いいんです…。だって、こんな正装をしたら、かしこまってしまって堅苦しい感じがするし…」
着慣れない袿に袖を通しても、身のこなしまではごまかせないし。
これまで幾度か身に付けたりしたけれど、その旅に裾や袖が気になって落ち着かなくて。
ただでさえ、今日これから友雅を逢うということを考えるだけでも、胸の中が落ち着かずに困っているのに、袿なんか着たら息苦しくて圧迫死してしまいそうだ。
「それに…まだ友雅さんが打ち明けてくれるなんて…決まったわけじゃないし…」
親指を噛みながら、あかねは少しうつむいてつぶやいた。
まだ、半信半疑ということか…。柚芽は軽く、ため息をついた。
仕方がないとは思うけれど…、あかねじゃなくても、あの友雅がこんな状態に陥っているなんて、そう簡単に信じがたい事だと思うけれど。
だけど、それは間違いなく真実で、だからこそ彼自身も戸惑っている。
それをあかねは見たことがないから。
部外者である者が見れば、彼の抱いている想いが真実だと分かるのだが。
「承知致しました。では、いつもの身動きの軽いお召し物に致しましょう。」
そう言って柚芽が水干を用意してくれて、やっとホッとした。
いつもの藤色とは少し色合いが違うけれど、形だけでも同じなら気分は楽だ。
かしこまるような緊張感もないだろう。
いつもと同じ。いつも通りに。そう……これまでと同じように、笑って言えば良い。『お久しぶりです』って、そんな感じで切り出せばいい。
あとは他愛も無く、流れに任せて話に乗れば良い…はず。
柚芽と潮はあんなことを言ったけれど、絶対にあり得ないことだから期待しないでいれば、傷つかずにすむに違いない。
平常心を心がけよう。どんなことが待っていても、取り乱さないように。
せめて、彼に笑われないような、そんな余裕を持ってやり過ごしたい。
「もう、橘も終わりの時期ですわね」
遠くにかすかに望める白い花を見て、柚芽はつぶやいた。
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「それでは、本日はよろしくお願い致します」
先に牛車にあかねを乗せたあと、柚芽は豊矩に深々と頭を下げた。
潮の寺に行くために、柚芽は前駆を彼に依頼した。公な外出ではないので、出来るだけひっそりと出掛けたかったのだが、山道を歩いて行くわけにはいかず、車を出す事にした。
そういうわけで、出来るだけ気心の知れた信頼できる者だけを、供につけることにした。
今回の事について理解している、頼久と天真(二人ともいささか心境は穏やかではないが)、そして前駆に豊矩が命じられた。
「山道は少々険しい所もございますが、出来る限り進みやすい道を選んでお連れ出来るよう、先導させて頂きます。」
「私はともかく、神子様には出来るだけご負担をおかけしたくはないですから…ご配慮頂き感謝致します」
柚芽はそう言って微笑むが、神子であるあかねのことは勿論、彼女のことも豊矩にとっては大切なことだ。二人が無事に寺まで辿り着けるよう、今の彼にとってはそれだけしか頭にない。
「豊矩は……」
ぽつりとつぶやいた頼久の声に、天真がすぐに気付いて振り返った。頼久の視線を辿ると、そこには柚芽と仲睦まじく話す豊矩の姿があった。
「お、何かいい雰囲気じゃん、あの二人。最初はどーなることかと思ったけどよ、案外お似合いじゃねえ?」
天真は二人を見て、無垢に笑いながら言った。
…豊矩は変わった、と頼久は思った。
元々芯の通った男ではあったけれど、柚芽の事になるとてんで脱力してしまって、それまでの覇気がすうっと退いてしまうような、そんな感じだったけれど…。
でも、こうして二人の姿を見ていると、あの面影は薄らいでいるのが分かる。
目の前の柚芽の存在に戸惑うのではなくて、むしろそこにいる彼女を真っすぐと見つめ、盾として守ろうというような強い意志が背中から感じ取れる。
「不思議なものだ…」
恋が、人を変える。それだけの威力があるものなのか。
人に恋したときから、これまでの自分を失うほどの力が、そこにあるのか。
………そうなのかもしれない。現に、自分を見失って、足下を揺るがせている者が二人、ここにいる。
友雅は、今日どんな想いでやって来るのだろう。
ゆっくりと動き出した牛車に寄り添いながら、頼久はそんなことを考えていた。
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