恋愛論理

 第24話 (1)
甘い花の香りと、侍従の香りが交差する。この時期、彼の屋敷は独特の香りで包まれる。
いつもは素っ気ない表情を見せる庭の景色も、小さな白い花で埋め尽くされると季節外れの雪のようにも見える。
「たいしたもてなしも用意出来ないがね。今日の天気では外は暑かっただろうから、喉を潤すには丁度良いだろう」
詩紋たちに差し出されたものは、何やら烏龍茶のような紅茶のような、薄い褐色の水だった。
一口飲んだところ…この独特の香ばしさは麦茶か?と思った。
夏の暑い時期になると、日常的に飲んだあの味と同じ。それがここで飲めるなんて、少し奇妙な気もするが懐かしい味だ。

「ところで、……神子殿の様子は如何だい?」
いきなり軽いジャブもなく、友雅の言葉で本題に入った。
「如何とは、どういう意味でございますの?」
二口三口、麦茶で喉を潤した柚芽は、碗を置いて友雅の方を真っすぐに見る。
相変わらず微笑みは絶やさないが、それでも彼を見つめる瞳からは、激しいほどの強い眼光が発せられている。
「いや………そんなことを、尋ねる資格はないか、私には。」
どうやらあの友雅も、彼女の瞳の強さには負けたようだ。
瞳一つで彼を退けるとは、柚芽の力というか気迫には独特の威圧感があるのだろう。
いつもの、優雅な彼女からは想像出来ないけれど。

「お可哀想に、神子様は随分とお心を痛めているご様子ですの。それも当然でございますわ。突然、こんなにもお心を惑わされるようなことをされるとは…。」
「例の曲者のことかい」
彼女が誰の事を言っているのかは、十分に理解している。そして、彼女が惑う理由も、友雅が一番よく分かっている。
その曲者こそが、何を隠そう自分自身なのだから。
柚芽は、話を続ける。
「神子様はまだ、恋も知らぬ清らかな御方。お心は御香宮の湧き水よりも澄んだお心をお持ちでいらっしゃいますの。その方にとっては悪戯程度のことであっても、脆くてか弱いお心ですもの、すぐに傷ついてしまわれますわ。」
遠回しと言えど、遠慮もなくはっきり堂々と言ってくれるものだ、と友雅は少し苦笑した。
大人しそうな素振りで、実はじわじわと自分の愚挙を攻め立てる。直球で頭ごなしに訴えられるよりも、それが一番応えることを彼女はよく理解しているらしい。
現に、柚芽の言葉はあの日の記憶を取り囲むように、胸の奥に少しずつ蓄積されていく。
その重みは、結構なものだ。


さっきから、柚芽は思った事を迷わず口にしているけれど、友雅の方はそれに対して反論することもなく、口を挟むこともない。
あかねに対して自分が行った事に、罪悪感を自覚しているからだろうか。
詩紋は、柚芽の隣で彼女の言葉を聞きながら、目はさりげなく友雅を追った。
流れる夏の風が、時折彼の髪を揺らした。


「だけど、その曲者も…まんざら悪戯心ではなかったかもしれないよ?」
一度視線を外して、麦湯で口を濡らしたとき、ようやく友雅の方から言葉が投げかけられた。
「確かに、神子殿を惑わせた事は罪かもしれない。でも、彼には何か理由があっての事だったとしたら?」
ちらり、と詩紋は柚芽を見た。
すると彼女は、友雅からの言葉に対して、妙に余裕のある笑顔を作った。
「では、例えば…友雅殿は、その曲者が、どのような理由があったと思われます?」
これは、柚芽の作戦勝ちということだろうか。
あれこれと攻め立てておいて、向こうから自発的に本心を聞き出そうという魂胆か。
友雅の言葉に対して、気持ち良いほどにあっさりと言葉を投げ返す、そんな彼女の技は鮮やかで見事なものだと詩紋は感心してしまった。
こうなれば、友雅と言えど、もうごまかしているわけには行かないだろう。
「そうだねえ…例えば……」
少しだけ、彼は言葉を詰まらせた。
が、例えることなど何もないのだろう。そこには、真実しかないのだ。
すぐに、答えは返って来た。

「例えば………彼が、神子殿に恋をしていた、としたら?」


恋の病に蝕まれた男は、自我を失い曲者と化す。
正直なのは、行動か?思慮か?-----そんな心と身体の動きさえもままならぬ。
「それで、すべてが許されることだとお思いでいらっしゃいますの?」
その柚芽の口調が、今までと違ったことに詩紋は気付いた。

「恋しているのならば、神子様にどのようなことをしても許されると?恋しているのだから、仕方が無いことだと?そう、友雅殿はお考えですの?」
これは、今までのようにたとえ話をしているのではない。
勿論、これまでのことも裏返せば友雅の事を咎めているつもりだったのだろうが、ここからはストレートだ。
柚芽は、友雅に例え話の事を尋ねているのではない。
彼の、本心を尋ねているのだ。
それは、問われている友雅自身も気付いただろう。
もう、ごまかしきれる余裕は残されていないのだと。

「………いや、それは違うな」
苦笑しながら、無造作に髪を掻き揚げた。
「そんなのは弁解にはならないね。神子殿の心を傷つけたのは、どんな理由があれど事実なのだしね」
あの時、何故そんなことをしたのか……本当の理由はまだ彼にも分からない。
自然に身体が動いて、彼女の唇に触れたくて、引き寄せられるようにして、花びらを奪った。
その後に、彼女がどんな反応を示すのかも、考えずに。ただ、自分の本能だけで。

挙げ句の果てに、それ以来彼女と顔を合わせづらくなって、毎日のように訪れていた土御門家にも向かわずに、ただぼんやりと屋敷と内裏の行き来のみ。
それがどれほどに退屈で、つまらない時間か。
一昔前までは、そんな日々こそが日常だったはずなのに。今になって戻ってみると時間の流れが遅くて、そして空虚で。
知ってしまった豊かな時間が、それらを更に退屈に思わせるのだ。
彼女と過ごしてきた、これまでの日々がそうさせる。


何か、話した方が良いだろうか…と詩紋は思ったが、彼に声を掛ける理由が思い付かない。
すでに彼の想いが、真実なのは充分に理解出来たけれど、その彼に何を言えば良いか……。
そう考えているうちに、柚芽が口を開いた。
「何事にも、順番というものがございますのよ」
答えた彼女の表情は、これまでとは違っていつものように穏やかだった。
「基盤が整わないうちに、柱を立てるわけにはいかないでしょう。そんなことで、立派なお屋敷が建ちますか?」
静かに、そして丁寧な口調。しかし、その唇から吐き出される言葉は、ピンポイントで的を射ている。
彼女はわざと比喩しているが、その意味は分かりやすい。これまでの経路の上に重ねて考えると上手い例えだ。
「それは、人の心も同じことですわ」
どんなことでも、順番が重要であること。
それを間違えてしまえば、正しい答えが目の前にあったとしても、辿り着くまでに遠回りしてしまう。または、道を誤ってしまうかも知れない。
ひとつひとつ、歩み寄らなくてはいけない。そうでなければ、足下がぐらついて不安定のままだ。
人と人の関係も、同じ。いきなり踏み出しては、相手が警戒するだけ。そうなれば、心の扉は開かない。
そこを無理にこじあけたとしたら………その先にあるのは、期待する答えは待っていない。

「何の用意もないうちに、早まったことをしてしまうと…花のつぼみも咲く前に、ほろりと朽ち落ちてしまうこともありますの」
柚芽の言葉が、胸に響いた。

この手で触れることの出来る距離にいた花を、無意識とは言えど力任せに奪い取った時。
つぼみは一瞬のうちに友雅の前から離れ、姿をくらましてしまった。
逢いたくても、その笑顔を見たくても、彼女はここにいない。ただ、自分の元から逃げていく。
逃げるものを追いかけたとしても、おそらく彼女には届かない。距離は広がったままでも、時間は容赦なく過ぎるはず。
それは、決して"永遠"ではないのに。


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Megumi,Ka

suga