自分でも不思議だった。
舞い躍る花びらに酔ったのだろうか。それとも……彼女自身に?
気付いたら、その唇に引き寄せられていた。
まるで、花に集まる蝶か蜜蜂のようだ。
恋しくて、愛しくて、その気持ちの先に行動が伴う。
それが、この結果か。
無性にもっと、彼女に近付きたくなって、そしてこの手に閉じ込めたくて手を伸ばし…。
衝動的、というのはこういう感情の事を言うのだろう。
自分の心と体の調律が、突如として失われる瞬間、人は本心を止められなくなる。
だが、例えそれが頭の中で分かっていたとしても…突然訪れるその瞬間を、どうやってやり過ごせばいいのだろうか?
「いい加減にさぁ、このまんまじゃラチ開かねえと思うんだけど?」
しびれを切らしたのは、天真である。
廊下で様子を伺っていたイノリや詩紋たちも引き込まれ、既にギャラリーは溢れかえっているのだが、そんなことは全く友雅は気にかけていない。
というか、気付いているのかも微妙だ。
「……とにかく、まずは神子様のご様子次第です。神子様がお元気でらっしゃるのなら、それで構いません。」
藤姫の最優先するものは、常にあかねだ。彼女が無事ならば、それでいい。
問いつめたところで友雅は答える様子はなさそうであるし、こうなったら彼のことは無視しても良い、と妥協せざるを得ない。
「これ以上、ここに集まっていても意味はありませんでしょう。皆様も、教のお出かけがないのであれば、それぞれに御用がある事でしょうし……」
ようやくこれで、お開きか……と思って、天真たちも立ち上がろうとしたのだが、それは突然の来訪者によって再び停滞することとなった。
一人の侍女が、戸を開ける。
「失礼致します…。あの、泰明殿がお見えになっておりますが…如何致しましょう?」
いざ解散、という直前に伝えられる、もう一人の八葉の来訪。
こうなると、来ていない八葉の方が少なくなって来た。
「折角おいでになられたのですが…今日は神子様はお出かけになれません、とお伝えした方がよろしいですわね。」
藤姫が言うと、侍女も深くうなづいて、門前に待っているであろう泰明の所へ戻ろうと、付いた膝を上げて振り返ったその時、背後にあったものに思い切り顔をぶつけた。
「まあ、泰明殿!」
玄関先でお待ち下さい、と確かに伝えたつもりだったのだが、こういう場合泰明は自分の意志で行動するため、待っているよりも部屋に上がった方が効率が良いだろう、と判断したに違いない。
無駄を極限まで省く性格故、たまに予想しないことをしでかすのもしばしばだ。
「おいで下さったのに、申し訳ございません。実は神子様は、本日お体の具合がよろしくないとのことで、今日もお出かけになることは出来ないご様子なのです」
丁重に藤姫がそう伝えると、相変わらずの無表情で泰明は他の八葉の面々を見た。
天真、頼久、イノリに詩紋……残念ながら、豊矩の存在は彼の視界には入っていないようだ。
そして、一人だけ自分の来訪に無関心の男がいることに気付いた。
「京の町の事は気がかりではございますが、まずは神子様のご容態が最優先。しばらく様子を伺ってから、今後のことを………」
藤姫が説明を続けていたが、泰明の目は彼女を見ては居なかった。
その目は、庭の風景をぼんやりと眺める、一人の男にずっと集中していた。
「別に、出掛けるつもりでやって来たわけではない。神子の様子が妙だということでやって来ただけだ。」
視線だけは友雅から離さずに、泰明は藤姫にそう言った。
京で随一の陰陽師・安倍晴明の弟子である彼のこと。他の八葉以上に神子の気に関しては敏感に反応する触覚があるのだろう。
それで、ここにやって来たというわけか。
「まあ…それは丁度宜しいかったかも知れません。泰明殿、神子様のご容態を診ては頂けませんか?何やら頼久の話ですと、曲者がいたらしいとの事。もしやその者が、神子様にあらぬ事をしたかもしれません。目で見ては分からないことも、泰明殿のお力ならば何か……」
藤姫が話している最中、泰明はあっさりと話の腰を折った。というか、そのあとを遮断した、という言い方の方が正しいか。
「曲者などはおらぬ」
「え?」
全員が、泰明の方に視線を集中する。
「曲者は、この敷地内には入れぬ。既にお師匠の結界が、幾重にも張り巡らされている。そう簡単に、他の者が許可無く立ち入れる状態ではない」
つまり、星の一族の血を引く者から、立ち入りを許可された者以外は神子の周辺には入れない、という事らしい。
既に八葉は藤姫の暗黙の了解があるために、自由に行き来が出来る。
それに加えて、神子の中にある竜神の力が、彼らの入り口を広げてるとも言う。
「へえー!そんなの、全然知らなかったぜ」
目では確認出来ない、独特の厳重なセキュリティシステム、という感じか。
現代ではそんなことを言われても、とても信用出来るものではないけれど、不思議とこの京ではすんなり信じてしまう。
思わず感心して声を上げた現代っ子の天真も、同類だ。
「…では、泰明殿。神子殿は一体何故……」
頼久が話の流れを正した。
曲者がいなかったとは言え、何かしら事件がなくてはあかねが閉じこもるなんて、普段の彼女から考えればあり得ない。
何か、彼女の気を乱す原因があったはずだ。
それが分からなくては、八葉である頼久自身もあかねの手助けをすることも、守ることも出来ないではないか。
「友雅」
いきなり、泰明が名前を呼んだ。これまで、全く自分の方を見ようとしない、彼の名前を呼んだ。
「余計な面倒を掛けるな」
返事は返ってこないが、泰明は言葉を投げ続ける。
不思議な光景に、周囲は黙って何も言えないまま、友雅と泰明の顔を交互に見ながら様子を伺っている。
そんな彼らの様子など、この二人にとっては全く関係ないらしい。まあ、元々泰明はそんな男だけれど。
「ただでさえ、神子の気は常におぼつかない不安定なものだ。それを、八葉のお前が乱してどうする」
……「え、何?あかねの様子がおかしいのって、友雅が原因だっての?」
こそっと耳うちするように、隣にいる詩紋にイノリが尋ねたが、しっ!と指先を立てて会話を禁止されたので、仕方なく再び泰明達の方を見た。
「私には意味の分からぬ事だが、あれほどに神子の気が乱れたのは初めての事だ。すべて、おまえが原因であることは明確だ。」
どうやら泰明には友雅とあかねの間に何があったのか、すべて分かっているらしいのだが、話の筋が見えない他の面々にとっては不明瞭だ。
友雅がいつもとおかしいことは、こうして彼を見ていれば誰でも分かることなのだが、ここにいないあかねの状態さえも感じ取ってしまうとは、つくづく陰陽師というのは不思議な力を持っているものなのだな、と詩紋は思った。
泰明が、言葉を終えた。
それからどれくらい、二人の押し問答が続いただろうか。
「黙っていたところで、泰明殿にはお見通しということか…」
こちらに背を向けたまま、庭に目を向けたまま、少しだけ首をうなだれて溜め息まじりの声を出した。
「お待ち下さい!友雅殿…では、先程私に言われた曲者というのは…」
頼久が乗り出すと、振り返った友雅が苦笑しながら答えた。
「言っただろう…曲者は、ここにいるってね…」
自分で、自分のことを指差してみる。
そう、自分こそが元凶。
曲者は、この自分の……胸の奥に居座っている。
「お待ち下さい、友雅殿。私達には貴方のおっしゃっている意味が、全く理解出来ませんわ。はっきりと、この際ですから説明して下さいませ」
さあ、状況は振り出しに戻った。
仕切り直してもう一度、藤姫はしゃんと背筋を伸ばして友雅を見る。
仕方が無いので、揃った全員もその場から立ち去ることが出来なくなった。
これでまた、友雅がだんまりを決められたら、一日掛かっても問題解決には遠いばかりだ。
が。
「たかだか接吻ひとつで、何故それほどに神子が気を乱すのか、私には理解出来ないことだが」
それは、泰明の一言だった。
とたんに、部屋の中に静寂が広がる。誰もが一瞬硬直し、呼吸さえも忘れそうになるほど、まるで時間が静止したかのような状況だった。
一拍置いて。
「何だとぉぉぉ!?」
大声を上げて立ち上がったかと思うと、血相を変えてとっさに友雅の胸ぐらを掴んだのは、天真だ。
そして、ほぼ同時に同じ声を上げて、その場に仁王立ちしたままなのがイノリだ。
ついでに言うと、詩紋と頼久と豊矩の三人は、状況を理解してから顔がぱあっと赤くなりつつ、その場で硬直したままという状態。
藤姫は……完全に硬直していて、現状が飲み込めていないようだ。
「おまえっ!友雅っ、おまっ…おまえっ…あか、あかねにっ……!?」
今にも乗りかかるような状態で、噛み付く寸前(既に噛み付いているとも言えるが)の天真になすがままにされて、友雅は抵抗する気もないようだった。
「なっ…なっ、何考えてっ……!?」
興奮状態で言葉もろくにつなげられない天真に、友雅は苦笑いを作ってぽつりと答える。
「見かけ倒しの未熟な男が、"恋"と名乗るやっかいな曲者に、良いように操られてしまった結果がコレだよ。馬鹿な男の成れの果て……さ」
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