「よぉ…一体何があったってんだ?せっかく仕事が一息ついたから、久しぶりに来たってのに」
結局その朝に土御門家にやって来た八葉は、友雅とイノリだけだった。
しかし、やって来たかと思ったら、肝心のあかねの姿は見えない。その代わりに、何やら神妙な面持ちの者が、ずらっと一部屋に集まっているので、イノリは参入しがたくて、こっそり外から詩紋と様子を伺っている。
「おい詩紋。おまえ、同じ屋敷に住んでるんだから、何か知ってんだろ?状況説明しろよ。」
「そんな…僕も全然わかんないよ。今朝は近くのお寺のお掃除を手伝いに行ってたから、お屋敷に戻ったの遅かったし。そしたら……」
ちらっと几帳の陰から、二人揃って中の様子を伺う。
藤姫、頼久、天真、友雅、柚芽…と、豊矩?何だか、一見つながりのわからない面子が揃っている。何か特別なことでもなければ、集まるなんてなさそうな感じの顔ぶれだ。
「イノリくん、中に入って聞いてみればいいじゃない」
「…無茶言うなよっ。何だかあの場に漂ってる、ただごとじゃなさそうな空気に、入って行けるかよっ!」
そう、よく観察してみると、ちょっと妙なのだ。
藤姫は…どうやらご立腹の様子。頼久は…どこか落ち着かない様子。豊矩と柚芽は、少し困惑しているように見える。天真は…この空気に馴染めず堅苦しそうな雰囲気だ。
そして友雅は………?何となく、いつもとは違う。
「おい、今日の友雅、ちょっとおかしくねぇ?」
イノリがそう言うので、詩紋も視線を友雅に集中してみた。
……ああ、イノリが言う意味が何となく分かった…と詩紋は思った。
いつもだったら、気楽にふらっとしているように見せかけて、わずかな隙さえ見せない友雅なのに、はっきり言って今の彼は"隙だらけ"だ。
こんなところを背後から狙われたら、一発じゃないか…と半ば呆れるほどの無防備な姿。
今まで見た事の無い友雅が、そこにいた。
「そろそろ、はっきりおっしゃって頂きますわ」
ぴしっとした声が、部屋の空気を切り裂いた。思わず、覗き見していたイノリたちの背筋も伸びる。
そして、大きな漆黒の瞳は、真っ正面にいる友雅に向けて、一直線に伸びた。
「神子様に、何をされましたの?友雅殿!?」
詩紋の顔をイノリが見た。
「…え、この状況の元凶って…アイツ?」
どうやら、そうらしい。つまり、勢ぞろいした面々は、問題を起こしたであろう友雅に対して、咎める意味で集まったということか。
だが、一体どんなことをやらかしたというのだろう。
「神子様とお庭に下りられて、しばらくして神子様の悲鳴。それきり、神子様はお部屋に閉じこもってしまわれています。頼久が駆けつけるよりも先に、神子様は走り去ってしまわれたと言うではありませぬか。そのような状況で、友雅殿に嫌疑を抱いてしまうのは当然のことではございませんか!?」
「……こわ〜…マジ怒ってるぜ、藤姫…」
思わずイノリの顔が蒼白する。
わずか10才の少女ながら、大の男を罵倒する勢いの声は鋭く、こちらまでが小さくなってしまいそうな迫力である。
そんな藤姫の横から、口を挟んだのは頼久だった。
「藤姫殿、しかし私がその場に駆けつけた際、友雅殿は"曲者が"と申されていました。もしかすると、本当に外からの不審な輩が現れた可能性もあるのでは…」
一瞬頼久に視線を動かしたが、もう一度藤姫の目は友雅を見る。
「友雅殿、頼久の今言ったことについて、真実をお答え頂かなくてはなりません。どうなのですか?!」
いちいち語尾がキツいのだが、おののいているのは周囲の者だけであって、咎められている友雅本人はというと、それほどダメージを受けている様子はない。
その証拠に、あの隙だらけ状態に加えて、どんなに説教されようが無反応。
ただ、言われるがまま…心ここに有らず、といった雰囲気だ。
「曲者…。引っ捕らえてくれるのなら、願ってもないな。そうしたら、少しは気楽に生きて行けそうだ。」
既に30分ほど過ぎた頃だろうか。
ぽつり、と友雅の声がした。やっと、声が聞こえた。
「どうにかしてもらいたいものだよ……」
はあ……と、大きな溜め息。
首を少しうなだれて、面倒くさそうに髪を掻き上げて。
「友雅殿?」
再び、藤姫が名前を呼ぶ。もう一度呼んでみるが、その声は右から左の耳へとあっさりすり抜けてしまっているようだ。
声を判別するよりも早く、流れてこぼれて耳に残っていないらしい。
誰もが顔を見合わせて、不思議そうな表情を浮かべている。あかねの様子も気になるが、この友雅の様子はそれ以上だ。
「よう、どうすんだ?何か今日の友雅、使い物になりそうにないぜ?これじゃ、何聞いても期待できそうな返事は無駄っぽいけど」
天真が友雅を指差して、藤姫たちに言う。
「とにかく、今日はお出かけは無理でしょう。それに、……神子様のご様子も気になるところですし…。」
空も空気も澄んでいて、呼吸するのが心地良さそうな一日だというのに。
「あの、私…神子様のご様子を伺って参ります。お部屋に戻られてから、しばらく経っておりますので」
柚芽が立ち上がって、藤姫の耳元でそう告げた。
「ええ、そうですわね。お体に差し障りがあるようでしたら、薬師を呼ばなくてはなりませんし。お願い致しますわ。」
すっとその場を立ち去る柚芽の後ろ姿を、豊矩は少し気がかりな様子でちらりと見たが、取り敢えず彼は頼久の隣でこのまま待機することにした。
相変わらずの5人の視線が、こちらに集中しているというのに、気付いてるのかいないのか…友雅はこちらを見ようともしない。
その目は庭先の、遙か奥にある藤の花の陰。舞い散る白い花の方を見ていた。
風に揺らいだ、あの花びらに包まれた一瞬の情景を思い出しながら。
+++++
横になってみると、当たり前だが景色が横に傾いて見える。そして、いつもなら気付かないことが目に留まったりする。
ほんの少し、視線の角度を変えただけ。だけど、それらはずっとそこにあったもの。
更に場所を変えてみる。庭に近いところで、もう一度横になってみる…と、また違った景色がそこにあった。
……部屋の隅で庭に向かって横になると、あの花が見えるんだ……。
さっきまでは、存在さえ知らなかった白い花が、ほんの少し枝先を花とともに風に揺らしていた。
どこか甘酸っぱい香りの花、小さな花びら……絶えることのない、深い緑色の葉。
橘の花木を鮮明に思い出そうと、ぼんやりしながら記憶を辿る。
それなのに、思い出されてくるのは花じゃなくて……………。
人差し指を軽く、唇に当てた。ぷるんとした、いつもそこにある自分の唇の感触。
それとは違う他人の唇の感触が、確かにここに重なった記憶は……何よりも鮮明に残っていて、思い出すたびに響く心音の音で驚いてしまう。
一体何が起こったの?
分かっているのに、分からない。彼の行動の意味が、あかねには全く分からなかった。
突然に奪われた唇の感触は消えないのに、その度に困惑してばかりなのに、その口付けの意味が理解出来ない。
はじめての……あまりに唐突に訪れた、意味不明のファーストキス。
戸が少し開く音と、優しい女性の声が背後から聞こえた。
「神子様、ご容態は如何ですか?」
振り向くと、そこには柚芽の姿があった。
「あ…ごめんなさい、大丈夫です。別に…具合が悪かったとか、そういうわけじゃないんで…」
ゆっくりと戸を開けて、部屋の中へ入って来た柚芽は、廊下でぼんやりしていたあかねの側へ、静かな足取りで近付いて来て腰を下ろした。
「すいません…昨日もお休みしちゃったのに、今日もまたお休み…しちゃって」
「いいえ、神子様のご容態が第一です。藤姫様も、そうおっしゃっておりましたよ」
「心配させちゃったね、藤姫ちゃんにも…」
単なる個人的な動揺のせいで、こんなことになっただけなのだが。
「本日は、ゆっくりとお過ごし下さいね。皆様にも、そうお話しておきますので」
にっこりと微笑む柚芽の表情は、どこまでも穏やかで綺麗で、向けられたこちらの方が照れくさくなるほどだ。
「もしかして…八葉のみんな、来ちゃってました?」
「ええ、先程外でイノリ殿をお見かけしました。あとは…まだ友雅殿が残られておりますが、お二人だけでしょうか。」
柚芽は普通に答えただけなのだが、隣にいるあかねの顔を見ると、頬が少し紅潮して何故かそわそわと落ち着かない様子。しきりに指先で唇をいじってばかりいる。
「どうかなさいましたか、神子様?」
「え、えっ?何が…?」
動揺しているのは、あからさまだ。声が少し裏返って…。
何を聞いてもぼんやりしている、友雅の様子とは逆だな、と柚芽は何気なく思った。
しかし、その後に柚芽は、あかねと友雅の間に何かが共鳴しているような直感を覚えた。
もしかして、二人の間に何かがあった?
落ち着かないあかね。放心状態とも言えるような、隙だらけの友雅。いつもと違う二人に繋がっているものは、一体何なのか。
「友雅殿との間で、何かおありになりました?」
確信したのは、その瞳。こちらを見上げた、その瞳の潤んだ色。
理由は、同じところに存在しているらしい。
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