恋愛論理

 第20話 (3)
「図星、でしょう?」
やけに朗らかに、潮は友雅を見ている。
彼が自分の感情に自覚して行く変化を、楽しそうに眺めながら答えを待っている。
初めての恋に気付いて、少なからず戸惑っている様子だった彼の姿は、一人前の男の風貌よりも何故か幼く見えた。
「…参ったな……」
はあ、とため息をひとつ吐き出し、頭を抱えるようにして片手で前髪を掻き上げた。
自覚症状など、まるで無かった。というか、考えた事すらなかった。
恋なんて自分には縁のないものだと、そんな固定観念が存在していて、面と向かって考えたことなどなかったけれど。
「それに当てはまるのが、恋だと言うのかい?」
「気になって、追いかけて…そうしていつのまにか、抜けられなくなるほどに夢中になってしまうものなのですよ。」

夢中、ね。
どことなく気恥ずかしさも覚える言葉だけれど、言い換えてみればそんな風に表現することも出来るだろう。
目を離せなかったのは、既に心を奪われていたからだ、ということか。
毎日の予定を、まず第一に彼女の存在を組み込んで考えていたこと自体で、他に頭が回らなかったと。
そう思えば、彼女に夢中になっていたと言われても弁解できる余地もない。
「これが、貴方の言う『本気の恋』というものだと言うのかな」
潮は黙っていた。何も答えずに、優しく微笑んでいる。

静かで、あくまでも自然で、だからこそタチが悪い。
気付いたときには、もうすっかり沈み込んでしまっている。
急な変化なら気付くものだが、徐々にゆっくりとした時間で進行する思いは、時間の中に溶けて積み重なっていく。
「分からないね…。一体、どこでどうやって、何がきっかけで、私は神子殿にそんな想いを抱いてしまったんだろう?」
「それは、他人の私に問われても分かりませんよ。でも、きっかけなんて些細な事ではありませんか?どんなことがあろうと、貴方は神子様のおかげで…本当の恋を知ることになった。それは間違いのない事実なのですからね。」
恋なんてものは、もっと激しく燃え上がる炎のようなものだと、ずっと思っていた。
だから、その激しさを補える若さが必要だと思っていたのに、この沸点のような温度がずっと続くものも、恋だというのか。
「仮にも、貴方は既に立派な殿方でいらっしゃる。故に、辺り構わず情熱を費やすことなどは出来ませんでしょ。ご自分の立場を理解されているせいで、激しさに溺れることはないのでは?」
潮の洞察力には、驚くばかりだ。
しとやかな物腰の穏やかさからは想像できないほど、他人の内部まで完璧に理解して、そして見通している。
この女性の前では、ごまかしはきかない。おそらく自分自身よりも、『橘友雅』という男を知っているに違いない。
「いっそのこと、一気に燃え上がってしまえば分かりやすかったと思うのだけどね。」
「人それぞれ違いますからね。貴方の場合は、ゆっくりと気付く形だったのでしょう。それに加えて、初めての経験に戸惑ったせいで、気付くのが遅くなったのですよ」

やれやれ、厄介なことにハマってしまったものだ。
恋の橋渡しをしたと思ったら、自分がいつのまにか恋に足を掴まれていた、というオチ。
しかもこの年で、初めての恋というのだから面倒だ。
「これから、どうすればいいんだろうねえ、私は」
右も左も分からない、未開拓の『恋』という土地に足を踏み入れた友雅は、その場で立ち往生している。
最良の結果、最良の進展に向かうためには、どちらを向いて歩き出せば良い?

「貴方次第ですよ。素直な心で、神子様と接してごらんなさい。その後は、また考えれば良いのですよ。」


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土御門家の厨房は、いつも以上に賑わっていた。
詩紋が考えた菓子の作り方を、大勢の侍女たちが興味深く周りを取り囲んで注目していた。
「詩紋殿、こちらの粉は如何なさいますの?」
「あ、それは甘葛を煮詰めた水で捏ねて…」
「詩紋殿、詩紋殿、この杏の実は?」
「それは甘露煮にしてあるので、あとで………」
「この木の実はどういたしますの?」
「えっと…それは………」
食材はこの世界で見慣れたものとはいえ、それらの使い方は彼女たちが初めて目にする方法ばかりだ。
未知の発想で調理を進める詩紋に、厨房を司る侍女たちは興味津々である。
「それにしても、よく材料集められたねー」
「うん。小麦粉が何とか見つかったしね。甘みは、この甘葛を煮詰めるれば作れるし、果物とか木の実とか潰しても使えるでしょ。結構何とかなるよ。」
生まれ育った世界と比べれば、食材や材料も限られていて、便利な器具も見当たらない。
でも、その分素材そのものの味が生かされていて、逆に美味しいと気付くものもたくさんあることを知った。
住めば都という言葉が、最近になってやっと分かって来た。


「まあ!何て可愛らしいのでしょう」
出来上がった菓子を見て、更に侍女たちが沸き上がった。
「お餅にちょっと色つけて、杏を煮詰めたのをくるんでみただけなんだけど。花びら餅の改良版みたいな感じかな?」
素朴だけれど、それがまた良い風情を醸し出している。現代の和菓子としても、受け入れられるかも。
「詩紋殿の作られるものは、本当に綺麗で可愛らしくて。是非、私どもにも教えて下さいませ。」
ここにやって来た頃の詩紋は、金髪と青い目のせいで疎ましがられていたというのに、今はすっかり侍女たちのアイドル的存在だ。
時間が経つうちに、いろいろなことが変わる。そして、いろいろなことを知って行く。
それは、自らが意図しない方向へ、変化していくこともある。
「あかねちゃん。材料いっぱいあるから、たくさん作ってみんなにお裾分けに行こうよ。」
「みんなに?」
「うん。他の八葉の人達にも、ね。そんなに甘くないから、男の人でも食べられると思うし。鷹通さんとか永泉さんとか、泰明さんとか友雅さんとかにも」

ぴくん。
震えるように揺れたのは、あかねの心臓だった。
一度大きく震えて、それから小さなリズムが続く。
「あかねちゃん?どうかした?」
詩紋に肩を叩かれて、はっと我にかえった。
「え?な、何か言った…?」
「いっぱい作って、八葉のみんなにもお裾分けしようって言ったんだけど」
そこまでは聞いた。そのあと、一つの言葉に気を取られてしまったのだ。
「そ、そうだね…。そうしよっか。みんなで作ろっか」

侍女たちは詩紋のそばで、見よう見まねしながら手のひらで菓子を作っている。
ひとつずつ、増えて行く花びらのような菓子。ほのかに赤い表面と、甘酸っぱい杏の味。
甘くて酸っぱくて……まるで、この気持ちそのもの。
純粋に甘くなれないのは、初めての恋だから。
まだ、心の戸惑いが消えないから。

好きになった原因、理由。きっかけを探そうとしても思い出せず、いつからこんな気持ちが潜んでいたのか分からない。
間違いなく自分の中にあったものなのに、何故気付かなかったのだろう。
恋の甘美さなんて、分かるのはまだまだ先のこと。
まずは……目の前にある、この…どきどきした鼓動を沈静化させることの方が先決だ。

もちろん、落ち着いたからと言って、一度灯った種火は消えることはないのだけれど。
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Megumi,Ka

suga