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恋愛論理
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| 第21話 (4) |
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「で、でも…いつも着ないような感じにするのも、新鮮で良いですよねっ!」
あかねはとっさに手を伸ばして、やや落ち着いた蘇芳色の布を掴んだ。
ワインレッドに近いその色は、まだあかねくらいの年令には馴染まない。もう少し、大人の女性こそが身に付けて華やぐ色だ。
だが、そんなことなど考える余裕も無く、ただその場にあったものを無意識に掴んでみせた。
どことなく、空気の重さが胸を締め付けるような気がしたから。
似合いそうにも無い布を、手持ち無沙汰で撫でてみると艶やかな光沢があった。
金の細糸が折り込まれているようで、光の加減できらきらと光る。
これは、宮中の女房達が身につけるような装束の布に相応しい、と気付くまでの時間はそう長くなかった。
自分とは全く縁遠い色を手にして、互いに相手の様子を伺いながら言葉選びを試行錯誤。
どこに話の焦点を当てていいのか分からず、いつまでたっても声が出て来ない。
ついこの間までは、何を気にする事もなく話を交わす事が出来ていたのに、たった数日でこんな変化が起こるなんて。
相手の気持ちが見えないから、切り出す言葉に躊躇する。
見透かされないように、わずかなほころびから胸の奥にある気持ちを読み取られないように。
彼にはおそらく理解してもらえなさそうな、初めて抱く気持ちのゆらぎに戸惑う、そんな幼い自分を知られたくないから。
友雅が、ゆっくりと立ち上がった。
彼の足は廊下へと進み、庭先に続く階段を下りて行く。
「おいで。まだ他の八葉が来るには時間がありそうだ。今日は天気も良いから、朝のうちに外の空気に馴染んでおくと良い。」
先に庭に下りて、池のそばで立ち止まった友雅が、振り向き様にそう言って手招きをした。
小鳥のさえずる声。水面にらせんを描く、静かな夏色の風。朝の太陽は、それほど厳しい顔をしていない。
あかねは、手にしていた布を元の位置に戻した。そうしたら何となくホッと緊張が緩んだ気がして、友雅の言うとおりに庭へと降り立った。
+++++
藤の時期も終わりを告げて、花の色よりも草木の緑が鮮やかに見える季節になった。
花がほころんでしまった枝を手に取ってみる。
「ここは藤の花に囲まれているような庭だから、時期が過ぎてしまうと少し寂しくなってしまうね」
そんな友雅の屋敷も、似たようなものなので大きな事は言えない。というか、この庭から比べたら質素なものだ。
「花って、そんなに長く咲いていてくれないですよね」
わずかに花の残っている枝を手に、あかねがつぶやいた。
「そうでもないよ。この藤は、殆どが初夏に開花を終えてしまうけれど、夏になって少しまた花を咲かせたりもするからね。」
「え、そうなんですか?」
自分でも驚くくらいに、これまでで一番自然に友雅の言葉に反応出来たと思った。
「花が終わると、そのあとに新しい枝が伸びて来る。そうすると、夏にまたそこから少しだけ、花が咲くこともあるんだよ。それほど多くはないけれど。」
「へえ…そうなんですか…」
確かによく見ると、枝の間に小さな若芽があちこちに見える。
「だから、意外に長く楽しめる花なんだよ。満開になる初夏には劣るけれどね。」
花が一番美しく見えるのは、開花する時期に咲き誇る、その瞬間だ。
時折、こうして時期外れなものが咲いたりもするが、用意された時期に自然に花開くものこそ美しく見える。
「そう考えると、私の屋敷なんてここと比べたら、殺風景でつまらない庭だよ」
友雅の手が枝から離れると、ふるふると小さな花が揺れた。
「見目麗しい花なんて、殆ど見当たらない。広いだけが取り柄かな。」
「あ、でもこないだ友雅さんのお屋敷に行ったとき、小さな白い花がいっぱい咲いてて………」
深い緑の葉の中に、白い花が香りを漂わせて咲いていたのを覚えている。
一輪では見過ごすほどの存在感だが、屋敷全体を取り囲むような満開の様は、決して殺風景という言葉は当てはまらない。
「小さくても、何だかすごく良い香りがして…綺麗だった」
思い出すと、今でもその香りが浮かんできそうな。
「褒めてもらって、光栄だ。あれは、うちにしてみれば表札みたいなものだからね。」
「表札?」
表札はきちんと入口にあったと思うが。言葉の意味を理解出来ないでいるあかねに、友雅は答える。
「あれは、橘の花だよ。つまり、名前の通りにうちの屋敷は、橘に囲まれているってわけさ」
それでやっと、意味が分かった。あんなにもたくさん咲いていた、花のことを。
ほんの少し、鼻をくすぐるような甘い香りを。
「…そういえば、ここの庭にも確か橘があったと思ったが…どこだったかな?」
ふと、近くを見渡してみる。が、友雅の屋敷とは逆に、藤の花に囲まれているこの庭では、すぐにはそんな枝も見つけられない。
「ここにもあるんですか?気付かなかった…」
「これだけの藤に包まれていてはね、分からなくて当然だよ。ちょっと、探してみようか」
そう言うと、友雅は庭の奥に向かって歩き出した。
慌ててあかねは、その後を追いかける。彼の足取りと同じスピードで、ゆっくりと。
不思議と、会った時の緊張感がいつのまにか消えていたことに気付いた。
さっきだって、それほど呼吸は乱れていなかったし、いつもと同じように普通に話せていたし。
ホッとした。どうして平常心に戻る事が出来たのかは分からないけれど、こうして何でも気軽に話して、向かい合えるのが一番良いに決まってる。
もう大丈夫だ。これからは、きっとこのまま普通に接していけるはず……。
あかねは自分に言い聞かせながら、枝をかき分ける友雅の背中を見ていた。
「神子殿、こちらに来てごらん」 しばらくして彼の手が止まり、あかねを手招きで呼び寄せた。
池を通り越して外壁に近い、庭のやや奥ばった付近。これまで、気にしたこともなかった場所だ。
友雅に呼ばれるがままにやって来ると、彼の手がかき分けた奥にあったのは、白い小さな花をみっしりと咲かせた、深い緑の木。
「ホントだ…。知らなかった、こんなところにあったなんて」
その木は友雅の家の橘とは、比べられないほどの小さなもの。ここまで近付かなければ、きっとこの甘い香りにも気付かなかっただろう。
「これだけの見事な藤の中では、見逃されても仕方が無いよ。」
少し風が出て来ただろうか。
空は相変わらずの快晴に近いが、薄い雲が思った以上に早く動いているのが分かる。
そのせいで、小さな木にも関わらず白い花は、その香りを高く薫りたたせていた。
「風が荒いね。もうそろそろ、部屋に戻ろうか。」
手のひらが背中を押す。そして、肩をそっと引き寄せるようにすると、あかねの手が枝の方に伸びた。
「じゃ、この小さい枝を一本だけ持って入ります」
この庭は、あかねのためにあつらえたもの。部屋に飾るための花ならば、庭のどの枝を手折っても構わない、と藤姫に言われていた。
それでもやはり他人の家の庭だから、と躊躇していたのだが、今回だけはちょっとだけ好意に甘える事にした。
あかねは、小さな花が数個だけ付いた枝を、静かに手折った。既にほころび始めていたのか、いくつかの花びらが振動でこぼれるように舞い落ちた。
--------その時吹いた風が、すべてを乱した。
落ちた白い花びらが宙を舞い、わさわさと揺さぶられた枝からも、更に花びらがふるい落とされた。
季節外れの雪のように、白い破片があちこちに降り注ぐ。お互いの身体も、例外ではなかった。
「思った以上にお花が随分咲いてたんですね…。あっちこっちに、花びらがくっついちゃって…」
肩からこぼれる、彼の緩やかな長い髪の毛にも、花びら。そしてこちらの腕や袖にも。まるで花びらで作った柄のようだ。
「いや、女性が花びらをまとっているというのは、なかなか良いものだと思うけどね」
「…また、そんなことばっかり言って。」
一枚、そしてまた一枚が足下に落ちる。軽く左右に振った頭の上からも、はらりはらりと静かに花びらが舞う。
その様は、どことなく優雅で、花びらと彼女が一体となったような幻覚も感じさせる。
あかねが花びらを払う間、しばらくそうやって何も言わずに眺めていた。本当は、その景色に意識を奪われてたのだ、と後になって気付いた。
「もう大丈夫…かな?」
袖の裏を覗いたり、裾を振るってみたりしたが、もうそれらしき物は見当たらないので一段落、とあかねは思った。
が、どうしても見落としはあるものだ。
「神子殿には見えないところに、まだ残っているよ」
「え、どこですかっ?」
きょろきょろと見回してみるけれど、やはり自分ではそれらを見つける事が出来ないらしい。
すると、友雅の左手があかねの肩に触れた。そして右の指先が、彼の顔と一緒に、ゆっくりと至近距離迄まで近付いて来る。
近付いて来るのに、目を閉じる事が出来ない。ただ、ふっと呼吸することが出来なくなり硬直する。開いた瞳で捕らえる表情は、いつもの甘くて優しげな笑顔だ。
指先の行き場がどこなのか、検討も付かずに現在の状況で立ち尽くしているあかねの唇に、何かが当たった。
「神子殿の唇を奪うとは、手の早い輩だね」
彼の指先がつまんだそれは、あかねの唇に貼り付いていた小さな花びら。
「あ、こ、こんなところじゃ…くっついてるの、分かるはずないですよねっ!あはは!」
声がうわずったのは、彼との距離のせい?それとも、彼の指先が唇に触れたせい?
今日は普通に話せそうだ、って、さっき安心したばかりなのに、前言撤回。これまで以上に心音だって大きくなって。
はっ、と気付いた。唇に触れるもの。さっきと同じ、指先。
「………」
言葉はお互いにないまま、友雅の指先があかねの唇をなぞるように触れた。
親指の先で、そっと輪郭に沿ってゆく感触。動くそのままに、あかねは黙ってその場に立ち尽くす。
………動けない。逃げられない。どうなってるの?これからどうなるの?
彼の心は、今、何を考えているの? 唇に触れる指の感覚が、身体を強張らせて鼓動を早くさせる。
しかし、動揺を始めた気持ちが、それからすぐに放心状態へと変わった。
今まで経験したことのない展開が、飲み込めずにあかねは呆然としていた。
指先じゃない、触れているのは冷たい指先じゃなくて、触れている…んじゃなくて、重なっているというのが正しいのか?
両肩に添えられた手のひら。そして唇に重なるほのかに暖かな、柔らかなそれの正体は………………………
「ひゃあああーーーーーーーーーーっ!!」
奇妙な悲鳴が、土御門家に響き渡った。
その声を聞いたとたん、真っ先に駆けつけて来たのは、もちろん頼久である。
「神子殿!如何なされましたか!?」
慌ててやって来たにも関わらず、その場に居た友雅の姿に頼久は一瞬唖然とした。そして、もう一度辺りを見渡してみたのだが、先程の悲鳴の主らしき者の姿はない。
そこにいたのは、まぎれも無く友雅一人だけである。
「……友雅殿、神子殿は…!もしや曲者が神子殿を!?」
「いや、そういうわけでもないのだけど…ああ、でもまあ……曲者…と呼ばれても仕方が無い、と言われれば、そうかもしれないが…」
「!!…ならば、こうしてはおられませぬ。すぐに神子殿を取り戻さなくては!」
案の定、頼久はあかねのことになると視界が狭まる。放っておいたら、武士団を引き連れて出て行く、なんてこともやりかねない。
「落ち着きなさい、頼久。神子殿は、屋敷へ戻ったと思うよ。」
「…屋敷へ?ならば曲者は……」
はあ、と深く溜め息をついて、面倒くさそうに髪を掻き上げた。
「曲者は、ここにいるよ」
やっかいな"曲者"。
はじめて知った、恋というものに乱されて、自分の行動の意味さえ判断できなくなっている、"曲者"。
足下に落ちている一枝の橘を拾い、放り投げた池の水面で花は漂う。
ゆらゆらと、不安定に。
そう、まさに彼の心と同じように。 |
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