恋愛論理

 第20話 (2)
「いきなり何を言い出すかと思ったら…驚くようなことを言うね、貴女は。」
予想もしなかった潮の発言に、とっさに友雅は苦笑するしかなかった。
一体何故、そんなことを言うのか?娘のことで気持ちが紅潮し、他人のお節介を焼きたくなったのだろうか。
「本気の恋なんて、そんなものに溺れるような年でもないよ。」
「…何をおっしゃいますか。どのみち、貴方はこれまで本気の恋など、経験しておられないのでしょう?」
妙にきっぱりと潮が断言するものだから、友雅としてもさらっと交わすわけにも行かなくなってしまった。
「ふうん…?それじゃ、この未熟者に、どうか『本気の恋』というものを教えてくれないかな。全く良く分からないものだからね。」
差し出した蝙蝠の隙間から、緩い風に乗って侍従の香りが漂う。豊かで雅やかな、彼らしい香りだ。
自分をよく知っているはずなのに、初めての事にはこれまで鈍感なものか、と思うと微笑ましくもなって来る。
「もう、既にご存知でいらっしゃいますでしょう?」
スッと潮は、友雅の扇を彼の方へと指で押して戻した。
「貴方自身がお気づきになってないだけのこと。勿論、初めての恋に戸惑ったりもしたのではございません?」

戸惑い、という言葉を心の中で反芻する。
思い当たることを、呼び戻した記憶の中から探してみるけれど、どれもこれもしっくりこない。
確かに何か、不思議な感覚がいくつかあった。
つい最近のことだ。それは……?

「お分かりにならないのであれば、少しお話をして差し上げましょうか?」
しびれを切らした潮が、自分から口を開いた。
「ゆっくり、ご自分のことを思い出しながら考えてご覧なさい。自ずと、最後に貴方の中に答えが残るでしょう。」

恋なんて、若い者達がすることだと思っていた。
でも、確かに自分もそんな若い時期が、確かにあった。
その頃に……恋をした経験は---------思いつかない。


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「柚芽のことで、神子様とご一緒に随分とご迷惑をおかけしてしまって、改めてお詫びとお礼を申し上げなければいけませんわね。」
話は何故か、最初の地点に戻っていた。
「良いご縁を導いて下さって、少将殿と神子様には本当に感謝致しておりますの」
「いや…それはさっきも言ったとおり、私もそれなりに楽しんでいたから、貴女が気にする程のものではないと………」
………?
違和感。目の前の潮の表情を見て、妙な違和感を感じた。
彼女はいつも通りの笑顔のはずなのに、不思議と今ここでその笑顔を見るのは、どうも違和感がある。
「貴方が他の方とご一緒にいらして、そうご自分から楽しいと本心で言ったことなど、これまで殆どなかったのではありませんか?」
笑顔なのに、何か強いものを潮から感じる。彼女の視線は、確かに友雅を見ていながらも、彼の表面ではなくて奥にある何かを見透かしているかのような瞳だ。
「これまでの貴方なら、こういうことは面倒だからと敬遠していたはずなのに。思えば何度もここへやって来たときも、随分と明るい表情をされていたように思いますが?」
涼しいけれど、どこか暖かい。夏へと傾いた季節風。
山の空気が、いち早く自然の移り変わりを伝えて来る。

「八葉のお役目は面倒だと言いながら、これまで柚芽の世話をしていただいたのは、おそらく貴方一人ではなかったからと思うのですけど」
「まあ、確かにね。引き受けたとしても、こんなに早くは片付かなかったかもしれない。」
「神子様が先に動いて下さったから、じゃありません?」
友雅と一回りも違う龍神の神子は、生まれ育った世界も環境も全く違う。
常識だと思っていたことは、彼女の前では全て砕かれて、そして新しい水の流れが注ぎ込まれて来る。
見た事も無い展開が、次々と起こる彼女の周りからは目が離せなくて、驚かされるほどの経験に遭遇しては、それを楽しんでいる自分が間違いなく存在する。
「とにかくね、神子殿は龍神に迎えられた方だから、不可思議なことは日常茶飯事だし。それに加えて本人自体がじっとしていられない性分のようだしね。おかげで、目を離すわけにもいかないから、付き添わないわけにもいかないものでね」
一と数えたら、二を数える時には一歩前に飛び出している。かと思えば、今度は後ろに一歩、次は右に一歩。予想の付かない方向に動いて、追いかけるのにも一苦労。
……例えて言うなら、そんな感じの神子だ。猫の瞳のような、落ち着きの無さ。
「それでも、付き添ってしまうのですね」
「私も八葉の一人だからねえ…。」
「元々、お役目なんてものに捕われる貴方でございませんでしょう。少なからず、貴方自身が興味があるから、神子様とご一緒しているのでは?」
潮の言う事は、まんざら嘘というわけでもない。
実際、さっきも思い返したように、自分が思いつかなかった展開を繰り広げる彼女には、興味をそそるだけの威力が確かにある。
同じ事のくりかえしばかりが続く日々より、ずっと楽しいことがそこにあるのは間違いないのだから。

「興味を抱くのは、それだけ相手に関心があるという証ですわよ」
その一言が、引っかかった。
「その言い方では、まるで私が神子殿によからぬ想いを抱いているように聞こえるね。」
「よからぬものとは限りませんでしょう?」
何か言いたげな表情をして、潮は友雅を見ている。
彼女の中に描かれていることが、一体どのようなものなのか、じっと目を凝らしてみても捕らえられない。
自分とあかねの間に、何があるか?八葉と神子をつなぐ龍神の力。それ以外にあるものは……。

「子供でも、興味があるものには気を取られるものですよ。それが気になって、追いかけたくなって。そして触れたくなって手を伸ばして…」
無邪気な幼子は気持ちに正直だ。我の思うままに迷わず動き出す。
年を重ねても、心というものはいつも老いる事はない。理解しようとする気持ちの裏側で、本心は常に素直に反応を示すもの。
「一見立派な殿方になられても、恋に関してはまだまだ幼子同然でございますね。」
きっぱり断言する潮の言葉が、友雅の胸に突き刺さった。
この年になって、まさか子供あつかいされるとは思ってもみなかった。それも、男女の馴れ初めの話で。
「共に過ごしている時間が、楽しいというのは重要な意味を持つのですよ。貴方、そんな風に最近感じていたのではありませんか?」
真っすぐな気持ち。真っすぐな瞳。芯の通った強い意志は、時折破天荒な行動を起こす。
本人も修正不可能なほどの場面展開に、戸惑う彼女を塞き止めるためにそばにいる。すぐそばにいるから、その楽しさがいちばん良く分かる。
遠くで見ているよりも、彼女の傍らにいる方が楽しい。
それは間違いなく。
「楽しいから、離れたくなくなるのでしょう。そばにいたいと思うのでしょう。離したくない、と思うのでしょう?」

困った。潮の言葉が、乾いた土地に降る雨のように染み込んで来る。
その言葉によって、改めて気付かされる自分の本心に驚く。
「その人がいなくなるなんて、考えたくはないでしょう。このまま、そばにいたいと思うでしょう?」
蘇る記憶と、手のひらに残る華奢な指先のぬくもり。
あの時に違和感を覚えた理由が、やっと今になって分かり始めた。
「一緒にいたいと思うのは、その人を特別に感じているという意味ですよ」

彼女が生まれ育った場所の話をしたとき、頷けなかった理由。懐かしそうに語る、その表情が笑顔だったから。
楽しそうに話す姿が、今すぐにでも戻りたいと言っているように見えて。
早くこの世界を飛び出して、元の世界に戻りたいと思っているかのようで、胸が詰まった。
ここから早く消えたい、逃げたい、と言っているようで。

今いる、この場所で、この世界のことだけ考えていてもらいたかった。その現実だけを、見つめていて欲しかった。
他の世界などに、目を反らして欲しくはなかった。
彼女が現在生きている、この京という世界。自分が存在する、お互いが息をしているこの場所から。
目に届く場所にいて欲しくて、追いかけられる世界にいて欲しくて。

あたりまえのように、そこに彼女がいることが日常的になっていたから、全てが終わった時に彼女たちがここから消えることなど、考えても見なかった。
だけど、それは間違いなくやってくる現実の結末であって、何もかもが元の場所に戻って行く。
友雅はただの少将の職に戻り、鷹通や永泉たちも普段通りの生活を続けて行くだろう。
八葉の役目が終えたとき………その先には、彼女たちの姿は無となってしまう。
それなのに、記憶だけは残り続ける。ここにいた証を、記憶に刻み込まれていく。
一緒に過ごした日々が楽しければ楽しい程、空虚感は想像以上のものになる。
それが、『寂しい』という感情であることが、やっと分かった。
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Megumi,Ka

suga