恋愛論理

 第21話 (3)
来るか、来ないか。
花が一輪咲いているならば、即座に花占いでもやってみたいくらいだ。
友雅が来るか、来ないか。いや、来て欲しいのか、それとも来て欲しくないのか。そう占う方が正しいのかもしれない。
彼が来るかを占うよりも、知りたいのは自分の本心。
会いたいけれど、意識しすぎてしまって、いつも通りに向き合えそうにないし。でも…やっぱり会いたい。
会いたいには違いないけれど。
会いたくないなんて、思わないけれど………。

「一日ぶりだね」
草を踏む足音とともに、現れた彼の身動きで藤の花が揺れた。
それ以上に揺れているのは…あかね自身の心だ。
「と、とっ…友雅さんっ…」
声がうわずる。
突然現れた彼に対しての驚きと、過剰反応する心と、そして…まるで待っていたかのように熱くなる心。
その胸の温度が、自分の気持ちを改めて自覚させてしまう。
彼のことが、自分は好きなのだと。目の前に居るのは、自分が恋している相手なのだと…再認識させられる。
「今日はまだ、誰も来ていないのかな?」
「あ…はあ…。まだ…時間が早い…と思うんで…。誰か来るかと思って待ってたんですけど…」
待っていたのは、きっと一人だけ。
無意識のうちに、彼が来る事を願っていたはずだった。
その彼が、今はここにいる。
「ならば、好都合だ。今日は一番に、私が神子殿のお相手を申し出ようかな」
階をゆっくりと上がる友雅の足が、こちらに近付いてくるのを香りで感じる。
かすかな侍従の香りが、少しずつ濃くなっていく。
そうして目の前にやって来た時、はっきりとした雅な香りが空気を色染める。

「そういえば…昨日はわざわざ屋敷まで来てくれたらしいね。留守にしていたから、会えなくて残念だったよ。」
「あ、いえ…勝手に行っちゃったから…」
さっきよりも距離が狭まっただけに、動悸が早くなっているのを自覚出来た。
手を伸ばせば届く距離に彼がいることが、何故こんなに胸をしめつけるんだろうか。
「昨日届けてくれたもの、屋敷の侍女たちも興味津々だったよ。神子殿が作られたのかい?」
「あれは…詩紋くんが手伝ってくれて、ちょっと作ってみたんです。詩紋くん、昔からお菓子作るの好きだったから…」
「なるほどね。自分でああいう菓子も作れるものだとは思わなかったよ。」
こんな時代であるから、材料だって限られて来る。気軽に菓子づくりなんて出来ないだろうし、ましてや男性ではそんな知識もあまりないだろう。
自信を持って得意だと言えるわけではないが、料理も含めて好きだった作業がこの時代に出来るなんて、あかねでも考えられなかったが、意外と代用出来るものはそれなりにあるものなのだ、と気付く。

日々の積み重ねが、慣れに変わりつつある。
部外者のような空気を感じていた世界が、日常となって溶けている。
「神子様?お邪魔してもよろしいですか?」
戸の近くから声が聞こえて、振り向くとそこに柚芽の姿があった。友雅の姿を見ると、いつものように静かに微笑みを返す。

「先日お話した装束なのですが、衣の見本をいくつかお持ちしましたので、目を通して頂けますか?それと、先に草履と足駄が出来上がりましたので、一度足を通して履き心地を確かめて頂きたいと思いまして。」
二人のそばにやってきた柚芽の手には、色鮮やかな衣の端切れと共に、薄く編んだ草履と高めの足駄が一足ずつ乗せられていた。
「これから季節も暑くなりますでしょう?外を歩かれるのも大変かと思いまして、壷装束をお仕立てになる予定なのですよ」
様子を眺めていた友雅に、柚芽は自分からそう説明してみせた。
尋ねられる前に相手の考えを読み取れるのは、彼女が聡明である証拠と言える。
「いつもの軽やかな装束も神子殿らしいけれど、貴族の姫君のような姿で町を歩く神子殿も良いね」
薄紅の端切れを一枚手にして、微笑みながらこちらを見る視線に、あかねの鼓動は更に乱れて鳴り響く。

「宜しかったら、友雅殿も神子様のお手伝いをして頂けません?」
「私が?」
突然柚芽がそんなことを言ったが、その意味が即座には理解出来なかった。
「神子様にお似合いになりそうなお色や文様…友雅殿でしたら良い助言を下さるのでは、と思うのですが、如何です?神子様」
あかねは、思わず戸惑った。多分、柚芽の考えている事が何となく分かったからだ。
あかねが友雅に想いを寄せていることを知っているから、わざとそんな風に話題を振って二人の時間を作らせて…距離を縮めれば何か進展があるのじゃないか。
……なんて、ついこないだまで、そんなことを考えていたのはあかねたちの方だったのに、今では立場が逆転だ。
「私にそんな審美眼があるかね?自信があるとは、到底言えないのだけれど…それでも良ければ引き受けても構わないよ」
友雅の答えを聞くと、柚芽はにこりと微笑んであかねの方を見た。言葉ではない、感情がそのまま伝わる微笑みだ。
「では、お願い致しましょう。殿方のご意見も、色目選びには重要でございますよ」
そっと肩に触れた、彼女の手。そして微笑。丁度、友雅とあかねの間に挟まるようにして、目の前に置かれた草履や、色とりどりの端切れたち。
「お決まりになりましたら、御呼び下さいませ。」
最後に柚芽が残した言葉は、その一言だった。
そうして、再び部屋の空気は二人だけのものになる。


いつもとは違う空気。それが、お互いの中に存在していることを、それぞれ気付いてはいない。
特別なものを抱いているのは自分だけ、相手はいつもと変わらない…はずと信じている。
切り出すきっかけひとつを探すにも、何かに頼らなくてはならない。同じように考えているのに、相手のことまでは推測は出来ない。
「……若菖蒲か撫子のような合わせが良いかな」
友雅の選んだ端切れの色は、両方とも緑と紅の衣だった。色合いは似ているが、濃淡でそれぞれ違った雰囲気に感じられる。
「どちらも、これからの季節では遅い色目になってしまうかもしれないけれど…。やはり神子殿には薄紅に似た色が合うと思うのでね」
ほころんだ梅のつぼみのような色。まだ肌寒さも残る朝の空気の中で、小さく花開くあの花のように鮮やかで、そしてこぼれおちるような瑞々しさを称えていて。
初めて出会った頃を思わせる、その色は彼女の色だ。
「…でも、あの…こういうのって…季節とかに合わせて、色とか選ばないといけないんですよね?やっぱ、あの…あまりズレたりしない方が良いんじゃ…」
あまり袖を通す機会はないかもしれないけれど、そうなれば少なからずそれなりの場所に上がることになるだろうし、勘違いした格好で人目につくのは周囲にまで迷惑がかかってしまいそうだ。
似合う・似合わないはあるが、ここはおとなしく季節に合ったものを選んでおいて正解なのでは…。

そんな気持ちがあって友雅に尋ねてみたのだが、彼の答えはそんなあかねの不安を全く気にしていなかった。
「神子殿には神子殿の、似合う色がある。それが、この色なのだから。似合う色を身に付けてこそ、艶やかな姿になるというものだよ。季節の色目など、それほど気にしなくて良い。」
友雅がそう言うのだから、そんなもんなのかな…という気になって来た。
確かに、これからの時期に合わせられた色目は、何となくとっつきにくい色ばかりではあったが、この世界で各方面に顔の広い彼が言うなら、あまり神経質になる必要はないのかも…とあかねは思った。

「時期が過ぎてしまったら、今年は諦めて…来年改めて袖を通せば良いよ。」
何気ない、無意識に言った言葉だった。
言った本人である友雅は、その意味がどんなものなのか気付かなかったが、大きな瞳でこちらを見るあかねの視線で、やっと我に返ることが出来た。

"来年"
来年の夏………一年後。彼女がこの装束を身に着ける確信が、あるわけがない。そもそも、彼女が来年の今日、ここにいるのかも分からない。
いや、来年…ではない。一年待たずとも、彼女がここから消えないという保証はどこにもないのだ。
口に出してから、気付く現実。二人の間にある、見えない境界線。ここに存在している現実の、もろさ。

あの時と同じだ。彼女が、元の世界を懐かしそうに語った、あの時と同じ感覚が今蘇る。
意識がぼんやりと薄らいで、物が詰まったような息苦しさを覚えた意味。それは、彼女の存在が永遠ではないことを気付いたせいだ。
そばに居るときは気にならない。だからこそ、突然やってくるわずかなほつれ目から、現実を再認識するとき一瞬愕然とした想いが打ち寄せる。
決してこのままでは、交じらない二人の足下。はじめから分かっているのに、その度に痛みがわきあがる。
それほどに、存在が大きなものとなっていたことに気付いた……ほんの一日前。

くりかえされる、自覚と現実。
それは、友雅が思う以上に深い傷を刻んで行く。
細かい傷をつけられた胸は、痛みを徐々に強く変えてゆく。
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Megumi,Ka

suga