恋愛論理

 第19話 (2)
「一体、どうなさいましたの?心を抜かれたようで、友雅殿らしくありませんわ」
藤姫が言った言葉に、彼は苦笑した。
……らしくないか。確かにな。自分でも訳の分からないことを、考えていたもんだと改めて思うくらいだ。
他人から見れば、そう思うのは当然だろう。
「色々なことを一度に考えてしまったせいかな。頭の中が散らかってしまって、戸惑っていたのかもしれないね」
「……色々なこと、とは?」
高欄に近い場所に腰を下ろしていた頼久が、友雅に問うた。
「色々、だよ。柚芽殿の母君との話や、今は亡き父君のことなど、ね。
それと、豊矩や柚芽殿本人の気持ちやら…どうするのが一番いいのか、考えていたら収拾がつかなくなってしまったらしい。」
行き当たりばったりの言い訳にも聞こえるが、それは嘘ではない。
柚芽の母である潮が娘に対して思う気持ちと、娘の気持ちの双方が一致しているからこその、今回の企てだったわけだ。
まあ、それもこれで一段落というわけで、今後はよほどの事が無い限りは、新たな問題が勃発するということはなさそうだが。

そうなると……特に悩むような問題はないのだ。
改めて、口から出た言葉の意味こそが、意味を失ってしまうわけであり、ならばさっきの自分は一体何だったのか、という問いに逆戻りしてしまう。

「とにかく、話は一旦まとまりがついたということで、今後は豊矩と柚芽殿の仲が深まるのが楽しみでございますわね」
鈴の音のように愛らしい声で、藤姫が微笑みながらそう言うと、あかねもホッと肩の力を抜いてその場に座った。
「うん、多分もう大丈夫。きっと大丈夫だよ、柚芽さんも、どことなく嬉しそうだったもの。」
必要だった第一歩が踏み込めれば、あとは自然に歯車は動き出す。今、それが始まったばかり。
進展するスピードは早くはないかもしれないが、ゆっくりと進むリズムも甘酸っぱくて清々しい。丁度、花開いた梅の花弁から漂ってくる、若々しい香りのように。
「良かった…どうにかなってくれて。友雅さんも、ありがとうございました!」
くるっと振り返った朗らかな笑顔に、一瞬彼の胸の奥に不思議な振動が走った。
「私は何もしていないさ。ただ、ちょっと知った仲だったからということで、お節介にも余計な口を挟みたくなっただけだよ」
血縁者達でさえ、殆ど顔を合わせる機会が皆無だというのに、珍しいこともあったものだ。
「それに、神子殿があまりに一生懸命なものだからね。見ているだけでは勿体ないと思ったものだから」
「……何か、お目付役で参加、みたいな感じに聞こえなくもないですけど」
複雑な表情を浮かべているあかね以外は、皆どことなく口元を緩めている。あかねのことになると、本気モードになる頼久でさえも、だ。
「だって…せっかくだし、二人とも幸せになってもらいたいじゃないですか。好きになってくれる人がいるなんて、そんな滅多にあるわけじゃないですし」
そう言いながら、あかねは目の前の棗を一つ指先でつまんで、口の中に放り入れた。天然の果実の甘みが、舌先と喉を潤して行く。

「でも、好意を寄せてくれる人の全てが、自分の好みの相手というわけにはいかないよ。」
こくんと喉の奥に落ちて行った棗が、友雅の一言で違和感のような感覚を覚えた。
「もしかしたら、全く逆で…かえって好意を寄せられたら、困るような相手かもしれない。そういう時でも、神子殿は相手を知りたいと思うかい?」
小さいはずの木の実が、喉に引っかかって声が出ない。例えて言うなら、そんな状態。
誰もが、想い想われという関係になれるわけがない。他人の気持ちは、自分でコントロール出来るものではないし、こちらが迷惑と思っても阻止する方法はない。
自分の気持ちだって、同じことだ。どんなに身分が違っても、どれほど相手と価値観が違っていても、想いが芽生えたら簡単に枯らすことなど出来ない。

だけど、それでも……。もしかしたら、という気持ちが少しでもあるのなら。
『相思相愛』という言葉が、この世に存在しているのならば。
「……知らないままだったら……運命の相手に会える機会を失っちゃうかもしれません」
あかねの言葉のあとで、さわさわと吹いた風が庭の緑を小刻みに揺らした。


「もしかしたら、想ってくれている人は、自分の好きな人かもしれないですし。それを知らないでいたら、損しちゃいます」
「でも、そうとは限らないだろう?」
分かってる。言われなくたって、確率は明らかに低いのだと。
でも、それでもやっぱり諦めきれない。女の子は、恋愛に関しては結構頑固者なのだ。
「例え相手が違ったとしても、そこで知り合って恋が芽生えることだってあると思います」

なかなか、あかねも面白い反応をしてくれる、と友雅は思った。
ちょっと吹っかけたつもりだったが、しっかりと答えを結びつけて返してくる。この掛け合いは、興味深い。
「どんな相手か分からないけど…でも、もしかしたら…もっと素敵な人かもしれないし、少なくとも出会いから何かが始まるはずだし」
「素敵な人だったら、それまで好きだった人は忘れてしまうかい?」
「そ、そういうわけじゃなくて…」

ここまで来たら、何だか引き下がれなくなって来てしまった。
恋愛経験なんて皆無に等しいという自分と、経験が豊富すぎる友雅では適わないと思うけれど、おとなしくうなづくことは自分には出来ない。
情報がなければないで、その奥底にある本質が透明になって見えてくるはず。まずはそれを見極めなくちゃ、先に進まない。
だから、譲れない。どうしても。

「本当の運命の人は、好きな人じゃなくて、好きになってくれた人かもしれないじゃないですかっ!」

静まった中に、強い声がより一層響き渡った。
そうして、また静寂が訪れる。無音の中で、あかねは取り残されたように身動きが取れなくなった。

誰もがだんまりと口を閉ざしていて(正確には、驚いて声が出ないという感じの者もいるが)、なのに視線は全てあかねに集中しているから、矢を射られたように動けない。
勢いで思わず本音が飛び出したが、それが正解の答えかなんてあかねも分からない。
でも、これが自分の答え。正論とは言わないけれど、あかね自身の答えは『これ』なのだ。

「そういう出会いがあれば、神子殿みたいに一生懸命になれるのかもしれないね」

緊張の糸をほどいたのは、静かな友雅の一言だった。
それまであかねを捕らえていた視線たちは、同時に彼の方へと移動していく。
「…なんてね。私が言える立場じゃないけれども。」
ぽつりとそんな言葉を付け加えて、友雅は少し苦みのある笑みを浮かべた。


その後は、誰ともなく会話を続ける雰囲気が消え失せ、綴る言葉もどこかしら空々しさが抜けきれなかった。
触れるようにそっと頬を撫でる、夏の匂いを帯びた風。池から聞こえる水の音と、表面を照らす太陽の光。
季節感を詰め込んだ景色を背後に、特に意味を持たない内容ばかりを、しばらく時間をごまかすかのように過ごす。
その間、あかねは何度か友雅の様子を伺うように視線を向けたが、既にいつもと変わらない姿がそこにあることを確認した。

だけどやっぱり、まだ引っかかっている。
友雅の一言が、ずっとこびりついたまま離れない。


+++++


そうっと部屋を覗き込むと、暖かなオレンジ色の明かりで照らされた室内に、豊矩はまだ横たわっていた。
傍らには、長く豊かな黒髪の女性が、寄り添うようにずっとそこにいる。
ちらっと顔を出したあかねに気づいて、彼女は顔を上げた。唇に人差し指を押し付けて、柚芽に向かって手招きをする。
静かに立ち上がった彼女は、足音を忍ばせて戸口へと歩いて来た。

「まだ、豊矩さん起きないんですか?」
眠ったまま随分時間が経っているが、目覚めたという連絡もない。もしかしたら、どこか打ち所でも悪かったのだろうか、と少し不安も残る。
「いえ、先程薬師を御呼び頂いて、念のために看て頂いたのですが、問題はないとの事で。恐らく、疲労が随分と溜っておられたせいで、ぐっすりとお休みになられているのではないかと、おっしゃっておりました」
「そっか…なら安心だけど」
はてさて、目覚めたらどうなることだろう。
恋い焦がれた女性が、枕元で微笑んでくれていたら………その時の彼もまた、楽しみだ。

「神子様、申し訳ございません。お側を随分と離れてしまいました。何か御用ございませんか?」
「ん?それは別に平気。柚芽さんのことは、藤姫も他の女房さんたちもみんな知ってるから、その間の事は大丈夫ですよ。」
「皆様、ご存知……?」
ほのかに、柚芽の白い肌が紅潮する。
「勿論ですよ。でも、みんな祝福してますよー。特に藤姫なんか、頼久さんと気の早い話してたりするくらいですよ」
「……まあ…、そんな、皆様お揃いでお戯れを…」
そっと袖先で口元を隠すようにしながら、紅を差した頬をはにかみつつ目を伏せた。
***********

Megumi,Ka

suga