恋愛論理

 第18話 (1)
池の水面を風が流れてゆき、かすかに涼しげな音を奏でていた。夏が近い季節柄、そんな音が心地よいと思わせてくれる。
自分の屋敷にはない鮮やかな花が、この土御門の庭では見ることが出来る。あかねのために仕立て直した庭とは言え、ここを訪れる客人にとっても目を楽しませてくれる風景だ。
「藤姫様、失礼致します」
身動きが制限されている柚芽に代わって、頼久たちを呼んでくる役目を使わされた侍女が戻ってきた。
だが、彼女のあとには人影らしきものは見あたらない。案の定、困ったような顔をして彼女は答えた。
「あの…随分と探したのですが、お二人とも見つけることが出来ませんでした。」
「二人とも?おかしいですわね…頼久が黙って何も言わず、姿を消すなどありえません。武士団の方には尋ねたのですか?」
侍女は藤姫の問いに、黙ってうなづいた。
とにかく、頭に何かが付きそうなほど真面目一本の頼久が、仕える屋敷の者に断りもなく外出するようなことは皆無に等しい。
たとえば…豊矩が突然姿を消したとする。だからと言って何も言い残さずに、頼久が探しに出ていくだろうかと考えれば……まずないだろう。
そうなると、頼久はまだ屋敷内にいると考えた方が良い。
侍女の目が行かない場所。そこに頼久がいるとすれば……彼にとって重要なことがあるからだろう。

「ちょっと失礼していいかな」
「友雅殿、どちらに参りますの?」
重い腰を上げた友雅を、髪の色に似た漆黒の大きな瞳が見上げる。
「神子殿の部屋にね」
「それはなりません!誰も通すなと申されているとのことですし、いくら八葉の友雅殿であってもそれは………」
理由は分からないけれど、神子であるあかねの言うことは絶対だ。緊急で彼女の身に危険が及んだとすれば例外だが、そういうわけでもなさそうだ。
だが、引き留めようとしている藤姫や柚芽の表情とは裏腹に、友雅はいたって緩やかだ。
「他の者はダメかもしれないけれど、私ならば神子殿も許してくれるかもしれないよ。」
何となく、状況が把握出来てきた。
頼久と豊矩の姿が見えない理由。あかねが柚芽たちを部屋に近づけない理由。友雅が思っているとおりのことならば、確かに友雅だったら部屋に入ることも許されるだろう。

部屋を出ようとすると、振り返りざまに藤姫の複雑そうな顔が見えた。友雅が何を考えていようと、やはり彼女にとっては神子であるあかねの言葉を遮る彼の行動はいささか腑に落ちないのだろう。
「ならば、藤姫殿には付き添ってもらおうかな。ただし、静かにね」
さすがに柚芽まで連れてはいけない。まずは、きちんと状況が確認されてからのことだ。


■■■


「神子殿、ご理解下さい…。私達はただ一介の武士、彼女のような高貴な出の方に声をかけることなど、なかなか出来ないのです。ましてや想いを伝えるなど以ての外。そういう事情があるのです。」
豊矩の代わりに、そう切り出したのは頼久だった。
所詮相容れることのない、一直線上にも並ぶことのない二人の身分は、向かい合うことさえ容易なことではない。人にはそれぞれ、相応しい人間というものがいる。それには必然的に自分自身の身分も関係してきてしまうものだから。
だが、あかねのほうは納得行かない。
「事情って何ですか?それは豊矩さんの事情でしょう?じゃあ、柚芽さんの事情はどうでもいいんですか?」
「柚芽殿の事情……」
頼久と豊矩が、揃ってあかねの言葉を繰り返した。
「柚芽さんは、豊矩さんたちみたいに身分なんて気にしてないです。柚芽さんのお母さんだって、そう言ってました。本当に好きになってくれる人なら、それで良いって。」
それは柚芽たちだけじゃない。あかねだってそうだ。身分を目当てに近寄ってくる男より、大切に想ってくれる人のほうがどれほど嬉しいか。
「身分とかって、そんなの気にしてるのは豊矩さんの方ですよ。相手が気にしてないのに、何でこわだってるんですか?それで気持ちを抑え込んで、それでどうなるんですか?それだけで満足するんですか?」
頼久が言うように、この時代には身分や家柄などが重要視されることは分かっている。だけど、だからこそ…そんな世界だから、本当に心から好きな人を求めたくなるのではないだろうか。
想いというものは抑えようとして抑えられるほど、融通の利くものではない。頭で理解していることでも、心はそうとは限らない。
むしろ、心が抑えられてしまったら……ただそれだけの想いだということだ。
「それとも、豊矩さんの気持ちって…身分がどうのこうので片づけられるくらいのものなんですか?」
絶対に違う。少なからず彼を近くで見てきた時間の中で、そんな軽い気持ちを抱ける男ではないと分かった。頼久と同じように不器用でも、最後まで貫ける真摯な想いを抱くことが出来る人だと。

「神子殿……」
握りしめた豊矩の拳の中に、握られているのは何だろう。踏ん切りの付かない、自分へのいらだちだろうか。それとも、熱く燃える柚芽への想いだろうか。
「頼久さんに頼んだのは、柚芽さんの気持ちが知りたいからでしょう?柚芽さんが自分のこと、どう見ているか気になるからでしょう?それは柚芽さんのことが好きだからでしょう?」
一度口にしたら、止められなくなってしまった。
もう少しで届くのに、あと一歩前に進めば、そこに柚芽が待っているのに。その手前で立ち止まっている豊矩が歯がゆい。
例え身分が違ったとしても、同じ世界で生きる者同士だ。相手が帝ならいざ知らず、土御門家に仕える立場は同じではないか。彼が思っているよりも、もっと柚芽は近い場所にいる。
手を伸ばせば、触れられるくらいの位置に。


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「神子殿も、随分と頼もしいことを言ってくれるねぇ。」
友雅はあかねの熱弁を、微笑ましく聞きながらつぶやいた。
「……豊矩が柚芽を。私、初めて聞きましたわ……」
戸越しに聞こえてくるあかねたちの声に、息を殺すようにして耳を傾けていた藤姫がため息のような声を漏らした。
年頃の娘にしては、通ってくる男や想いを寄せているという男の話も聞かなかった。良い縁談の話でも探した方が良いのだろうかと、藤姫の父である土御門の主も何度か口にしたことがあったが、まさかこんな話が展開されていたとは、今まで考えたこともなかった。

「藤姫殿、悪いが柚芽殿をここまで連れてきてもらえないかな」
いきなり友雅にそう言われて、藤姫は当然のごとく慌てた。
「そ、それはいけません!それはさっきもお聞きになられたではないですか。柚芽を通してはならないと神子様が……」
だが、ゆっくりと友雅は彼女に言い正した。
「大丈夫。神子殿との共犯者である私が許可するよ。決して悪い結果にはさせないから、来るように伝えてもらえないかい?」
「でも……」
「なかなか相手は、面と向かって想いを打ち明けるきっかけがつかめないようだからね。私が柚芽殿に伝えても良いのだが、やはりこればかりは本人の声の方が良いだろう?」

豊矩という男は、若いながらしっかりした男で武士団でも評判が良い。頼久には叶わないが、彼の良い右腕という立場ぐらいなら十分相応しい。
柚芽もそうだ。育ちが良いせいで物腰も気品があり上品で、彼女よりも長く土御門に仕えている侍女から比べても、目立つ華やかさはないが美しさは際だつ。
この二人が結ばれたのなら……………。胸の中に描いた予想図は、そう悪いものでもない。
「私、呼んで参りますわ」
藤姫は足早に母屋へと向かった。


さて。どうなるかな?いよいよ最後の一押し、と言ったところかな。

再び耳を傾けた部屋の中からは、引き続きあかねの熱弁が聞こえていた。



■■■


「頼久さんもっ!黙ってないで豊矩さんを説得してくださいよ!」
いきなりこちらに振られたので、思わず頼久はびくっとして我に返った。まさかこちらにまで飛び火してくるとは思わなかったが、だからと言って何が出来るわけでもなく。
「いつまで経ってもそんな状態じゃ、柚芽さんだって他の人と結婚しちゃうかもしれないんですよ!?」
あかねのその一言が、ぴくりと豊矩の何かに引っかかった。

「柚芽さん、綺麗な人だもの。結婚を申し込みたい人だって、きっとたくさんいるはずですもん。そうしたら、もう豊矩さんと一緒にいることなんて出来ないんですよ!?」
彼女くらいの年令なら、結婚しても不思議ではない。今は何もなくとも、明日はどうか分からない。たまたま屋敷にやってきた客人に見初められて…ということだって、十分にあり得るご時世だ。
そして、階級がものを言う世界。少しでも帝に近づけるきっかけを、誰もが探し求めている。
「しかも…その相手が柚芽さんの身分とか家柄とかを目当てに、近寄ってくるかもしれないんですよ?そんな人と結婚したら、柚芽さん不幸になるだけなんですよ?」

浮かんでくるのは、彼女が言った言葉。
自分だけを愛してくれる人に出会いたい。この言葉が、彼女の想いを全て表している。
「柚芽さんを不幸にしても良いんですかっ!?」
「……そんなことは決して…」
ためらいがちに、豊矩が苦み走った声を出す。それをあかねは即座に押し返す。
「取り返しのつかないことになっても良いんですか!柚芽さんはそんな人と結婚するよりも、豊矩さんみたいに本気で想ってくれてる人を待ってるんです!」

----------求めているのは、本当にただ一人を愛してくれる人。
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Megumi,Ka

suga