恋愛論理

 第17話 (1)
その日、友雅は定例である帝の御前にて、京の現状を通達に行くことになっていた。
良くも悪くも現状維持の状態に、帝は終始険しい表情を崩すことはなかったが、それでも昼前に全ての用件を済ませることが出来た友雅は、ついでに左近衛府に立ち寄ろうと考えていた。
丁度その時、楽を通じて顔見知りになった公達が、こちらを見つけて足早に近付いてきた。
「やや、ここであなたとお会いするとは。私にも運が回ってきましたかな」
香を炊き込めた扇をひるがえしながら、彼は友雅を見て満足そうにうなづいている。
「ところで、今晩はお暇ですかな?都合がなければ、是非久しぶりに顔を出して頂けると有り難いのだが?」
この清涼殿でそんな尋ね方をされるとすれば、大抵は内容を聞かなくとも相手の目的がすぐに読める。おおよそ今夜にでも催される宴の席に、顔を出してくれとの話だろう。
共に楽を奏でつつ、酒を楽しもうという言い分の裏には本音が隠されている。友雅が顔を出すとなれば、あちこちから女房が寄ってくるだろうから。
官位の高い殿上人とは言え、女の気を引くのはなかなか骨の折れることである。


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「随分と八葉のお務めが随分と長引いているご様子。ここしばらくの間、全く宴に顔を出して下さらないものですから、皆寂しく思っていたところでしたの。」
そう言いながら寄り添いつつ、女房は友雅の手にある盃にそっと提子を傾けた。

頼み込まれてやってきた宴の席は、思ったほど大人数の賑わいではなかった。だが、それがかえって空気を落ち着かせているために、夜空の月を愛でるには丁度良い雰囲気があった。
隣に寄り添う女房の言葉に、少し甘めの酒を口に運びながら友雅は自分の最近を振り返ってみることにした。

確かに思い返してみれば、以前は何かとこういった華やかな宴の席に参じることが多かった気がするのだが、この数ヶ月間はそんなことからも遠ざかっていた。
八葉という役目に気合いを入れ直したというわけでもないのだが、事実としてこれまでの日常と違う日常が今はある、と言って良い。
一日に割り当てられた時間の中で、何を最優先にして過ごしていくか。それは、いかに人生を楽しんでいくかということに関して重要なことである。綴られていく『現在』という一場面の数々を、どう彩っていくかが問題だ。
そのためには、一番自分が欲しているものを第一として考えていくこと。そうやってこれまで、友雅はそれなりに楽しい日々を過ごしてきたつもりだった。

勿論、今の生活が楽しくないわけじゃない。思い返してみることがなければ、そんなことさえ気付かなかったくらいだ。
それだけ、現在の日常が充実しているという事になるのだろう。
では、何故充実しているのだろうか?今の自分が何を優先して生きているのかといえば、女房が口にした通り八葉の立場だ。
帝の了承を得ているため、朝が明けてまず出かけるのは土御門家である。本業である左近衛府に向かうことは激減した。それが、今の友雅の毎日である。

毎日のように土御門家に向かい、そして当然のように八葉の役目を務める。それは、龍神の神子を護るということ。どんな時でも、彼女のそばにいること。
だからと言って、いつも友雅があかねの付き添いを出来るわけではない。友雅より早く他の八葉が土御門を訪れ、あかねを連れて出かけてしまったとしたら用無しだ。
朝早く出かけて行きながら、ひと目も彼女の顔を見ることもなく再び家路に着くのは、精神的にもかなりの空虚感を抱いてしまう。
せめて一言でも会話を交わすくらいのことがあれば。いや、一瞬でも顔を合わせるくらいで十分なのだが。


盃を手にしたまま、何も答えない友雅の様子に気を止めることもなく、女房は更に彼との距離を狭めていく。
「たまにはゆっくりと今宵のように、お姿を見せて私共を楽しませてくださいませ」
しっとりと紅をさした唇で、瞳に艶を浮かべながら彼女は友雅の顔を見上げる。ことり、と肩を寄せる黒髪から、香の薫りが軽く漂う。優雅で甘い、媚薬にも似た甘美な薫りだ。
まさにそれは、男を誘うときに焚く女のための薫り。
こめかみを刺激するような薫りに溺れると、明け方まで華やかな夢を楽しませてくれる。そんな薫りが、なかなか気に入っていたはずだった。

だが…今はもっと軽い薫りが好ましい。
蕾が初めて花開くときの初々しい薫りと、それに春の若草の薫りをちりばめて、晴天の春の陽気に舞う蝶のような…………。
『女』を誇示した薫りはむせてしまう。『少女』では甘すぎる。『少女』が『女』に近づく中間の、変化に富んだ薫りが愛おしいと思う。



橙に似た燈台の灯火。笛と琴の音が絡み合いながら、月を映す池の水面を揺らしていく。
それぞれに戯れの会話を続ける公達に、さりげなく近付きながら今宵の恋人を捜す女房達。当然のように、友雅のそばにも一人の女房が着いている。
「少将殿、今宵は存分に美酒に溺れてくださいませ。朝が来るまで…私がお側におりますので、ご遠慮なさらずに………」
触れながら指先が交差してゆく。見つめる彼女の瞳に視線を向けた。
-------何かが違う。本心という唯一の真実が、疑問符を投げかけている。
手から感じるぬくもりも、香の薫りも、その瞳の輝きも、どこかしっくりこない。心が躍らない。走り出さない。

このまま流されてしまうのは簡単だ。しかし、そんな一夜を過ごしたとしても疑問符は消えないだろう。
今、確かに友雅の中に確実なものが生まれ始めている。それは、その場限りで終わるようなものではなくて、普遍に近い完成型のような気もしないでもない。
はっきりとそれが何なのかはわからないが、今までのような日々を過ごしていてはたどり着けない、そんな気がする。


友雅は、そっと彼女の肩を押し戻した。その反応に少し驚いた様子の彼女の唇に、指先をそっと立ててみる。
「悪いが今宵はあまり酔うわけにはいかないのでね。明日も早くから土御門に向かわねばならないから、寝過ごせないんだよ。」
「……八葉のお役目ばかりに捕らわれては、気が休まらないのではございませんこと?」
誘いを断られた女房は、やや不機嫌そうに目を反らして愚痴のような口をきく。
「まあ、それなりに気を抜いてやっているつもりだからね。別にそれほどというわけでもないよ。」
そう自分では思っている。その証拠に、今言葉にしたとおりに気を張っている感覚はないし、体調を崩すほどの疲労も感じることはない。だから、いつもどおりだと思っていた。
何一つ、これまでと変わらないと思っていた。

「そんなことおっしゃって。実は土御門に心を寄せる御方でもいらっしゃるのでは?そのせいで毎日通われてるのではありません?」
ちらりと横目でこちらを見ながら、女房は裾の乱れを軽く手直ししている。
「星の姫君はさすがに幼すぎるよ」
友雅は笑いながら言葉を返した。
「土御門には星の姫様だけというわけではありませんでしょう。」
「さあ…。今まで何度か通ったことはあるけれど、最近は思い当たる節は全くないのだけれどねえ。」
「何かに熱心になっておられなければ、それほどにあのお屋敷に通う理由などないのではありませんか?」
まあ、確かに彼女がそう思うのは当然だろう。職場である左近衛府でさえ、避けられない任務がない限りは何度も足を運ぶこともない。そんな友雅が、ほぼ毎日土御門家に通っているというのだから、詮索してみたくもなるだろう。
ただし、友雅本人は実感がないので、答えもさっぱり思いつかないのだが。


「案外、龍神の神子様に…ご執心だったり?」
いつのまにか盃が、空になっていた。女房の方に目をやると、彼女は袖先で口をかくしつつ静かに笑って友雅を見ている。
「何を言われるかと思ったら…。八葉は神子殿を護るのが任務だからね、付き添うのが当然のことだろう?それをそんな風に言われるなんて、思ってもみなかったねえ」
女房は盃に、そっと再び提子を傾ける。
「八葉とは名の通り、八人おられるのでしょう?何も、少将殿だけがお付き添いにならなくては、という決まりなどないのでしょう?それなのに頻繁に通われているなんて、傍目から見ればいろいろと勘ぐってしまいますわよ」
それもそうだ。
毎日神子が外へ出かける時は、最低一人の八葉が付き添ってやれば良い。または誰かもう一人…二人の八葉が付き添えば尚良い。それは天地・四神に捕らわれることはなく、八葉であれば誰でも構わないのだ。
何も、友雅ではなくても良いのだ。頼久でも、詩紋でも、天真でも…。そう躍起になって友雅が付き添わなくてはならない理由など、何もないはずなのだ。

それなのに何故、毎日のように土御門に向かうんだろう。何故、足が向いてしまうのだろう。

「噂はどこから広がるか分かりませんわよ。もちろん、何も根拠がないのに生まれる噂はありませんけれどね」
意味深な言葉を残し、それまで寄り添っていた女房はスッと腰を上げたかと思うと、友雅から去っていった。
一度も振り向くことなどなく。


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床の中で目が覚めると、庭先から差し込む日差しが目を貫くほどにまぶしかった。
夕べは酔うほどの量の酒を飲んだわけでもないから、思った以上に頭もすっきり鮮明な目覚めだ。
小鳥のさえずりがにぎやかに聞こえ、外に出なくても今日の天気はだいたい想像できる。少し汗ばむ陽気かもしれない。

「殿、先日組み合わせました香が、ずいぶんと馴染んだ様子でございます」
侍女が小さな壺を手に、友雅の部屋へとやってきた。組み合わせた香を、熟成させるための専用の壺である。
主に侍従を中心とした香が友雅の香りであるが、時折気分に合わせて他の香木や香料を合わせることも少なくない。
壺の蓋を開けると、熟された香りが空気にゆっくりと混ざって立ち上がってくる。
「…これはこれで良いのだけれどね。」
自分が合わせたものなのだから、好まない香りであるわけがない。だが、どこかもの足りない気がする。
「次回は、少し調合を変えてみようか。」

好みが変わったのだろうか。今まではこの分量で問題はなかったのだが。
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Megumi,Ka

suga