恋愛論理

 第16話 (2)
初夏の緑と深い紫の色の組み合わせは、派手さはないが自然にお互いの色が溶け合って美しいと感じる。
足下を流れる水の音が涼しげに耳をくすぐり、深呼吸をすると天然の息吹きが身体に入り込んでくるようだ。
「一度、神子様とは二人きりでお話をしてみたいと思っておりましたの」
潮が振り返りざまに、笑顔をたたえてそう言った。

話し方が柚芽に似ている、とあかねは思った。声のトーンは勿論柚芽の方が若いのだから、張りがあって高いのであるが、潮は緩く落ち着いたトーンで話す。その喋り方がよく似ている。
よく見れば、多分顔も似ているところがあるのだろう。だが、そんな見かけよりもあかねにとっては、この話し方の方が二人を親子だと確信できるキーポイントだ。
「柚芽のことで、随分と神子様のお手を患わせてしまって…大変失礼致しました」
「あ、別にそんなことないです。私、柚芽さんのこと好きですし…だから、素敵な人と一緒になってもらいたいって思ってたんで…」
「まあ。神子様にそこまで思って頂いているなんて、あの娘も本当に幸せだこと」
控えめな声で笑った潮を見る。普段は落ち着いた小綺麗な尼僧という印象だが、こういう瞬間は母親らしい顔になる。


風が、水面をなぞるように流れていく。
「そうおっしゃる神子様は、男と女については…どんな考えをお持ち?」
「えっ!?」
突然の潮の問いに、あかねははっとした。唐突にそんなことを尋ねられるとは、思ってもみなかった。
柚芽のことについて話していたというのに、いきなり自分の考えについて問われるとは。しかも、まともな恋愛経験なんてないというのに、いきなり男と女について聞かれても答えに困る。
「あ、あのー……お互いにお互いを…一生想い合って行けたら…いいなあ…なんて」
「そう。神子様の育った世界でも、そのように考える方がいらっしゃるのね。いつの時代も、それは変わらないということね」
他のことも思い付かないので、正直に思っていることしか答えられないあかねだったが、潮はその言葉にすんなりと納得したようだった。
だが、どこか憂いを帯びた瞳をして、遠くに視線を伸ばしている。
「一人の人を一生想い続けて行けたなら、どれだけ幸せでしょうね。一人に一人、生涯愛せる人を見つけるのは…そう簡単なことではないわ。」
それは、あかねも何となくは分かっている。赤い糸で結ばれた者、と言われる相手がいたとしても、この多くの人に囲まれた世界の中で、その一人に出会うことなど奇跡に近い。
もしも一瞬でも道を間違えてしまえば、二度と会えないこともあるかもしれない。そんな人に本当に会えるのか、確信はできない。
「もし、そのたった一人に出会えたとして。そして結ばれたとしても…この世では唯一の女になることは難しいのです。例え北の方になれたとしても、一族の階級を高めるためにと高貴な方を娶る方は多い…そんな世の中です。神子様は女性として、それをどうお考えになられてます?」

おぼろげに思い出す、古典の授業で習った話。その人の妻になったとしても、別に妻を娶って家を繁栄に導く主。一夫多妻制の平安時代。それはあかねの生きる現代では信じられないことだが、この時代は当然の日常なのだ。
京に住むようになってしばらく経つが、そんな結婚生活なんてものを直接的に考える機会などなかったせいで、今まですっかり忘れていた。
殆どの公達は、そんな風に人生を紡いでいく。そして女は、その中に取り込まれていく。他の女性の姿を彼の背中に思い描きながら、そのたびに想いを募らせて。

「……私は…」
考えられない。考えたくない。そんな恋や人生は…送りたくない。
「私は…嫌です。もしかしたら、いつかは別れてしまうかもしれないけれど、それでも…一生その人だけを想っていたいです。だから、私も…一生その人に想っていてもらいたいです。」
それは、あかねの本音だった。
「それって無理なんでしょうか?考えが甘いですか?」
燃えるような恋をしたこともない。切ない想いをめぐらせたこともない。ましてや結婚なんてものを、考えたことはない。
「やっぱり…子供だから、そんな風に考えちゃうんでしょうか…。」
ただの理想論に過ぎないのだろうか。


「殿方がどのように思われているのかは、女である私には分かりません。ですが、女はいつも…愛する人の唯一人になりたいと思っているのですよ。」
黙ってあかねの話を聞いていた潮が、遠くを見ながら答えた。
「その方にとって、誰にも変わることのない存在になりたいと、そう思っています。世の中がどうあれど、女というものは…そういうものです。」
確かに理想論かもしれない。それは儚い夢に過ぎないのかもしれない。
だが、やはり想いが真剣であればあるほどに、そんな風に思ってしまうのだ。大切なあの人の、かけがえのない女になりたいと。
「だからこそ、嫉妬というものが存在するのです。それもまた、愛情があってのこと。時折それが激しすぎて、人を傷付けることもありますが……。難しいものです。」

昔、似たようなことを聞いたことがあった。
あれも確か、こんな場所。庭の隅に咲いていた昼顔を見つけたとき……。
「…友雅さんも、前にそんなこと言ってました。そう思うと、恋って…辛いことばかりのような気がしてきました…」
「確かに、良いことばかりではありませんね。でも、それ以上に幸せを感じることもあるのではないかしら。」
想って想い合えれば幸せになれる。だが、ほんの一瞬でも相手の気持ちが見えなくなると不安になる。不安は恐怖に変わり、そして時には嫉妬という憎悪にと変貌する。
他人にはたいしたことではないことさえも、気になって心に引っかかってしまって。どんどん考えが下降して行き、自分さえ見失うこともある。


「友雅さんに、この間…紫式部という方の書いたお話を聞かせてもらったんです」
源氏物語。六条御息所の生き霊と葵の上との、光源氏を巡る物語。
「女性の方が年上で、男性の方が若くて。その男性が他の若い女性に奪われるのを恐れて…生き霊になるって、そういう話なんですけど。」
結果的には、葵の上は亡くなってしまう。六条御息所は自分の嫉妬に狂った姿を知り、自己嫌悪に陥る。すべて…源氏を愛しすぎてしまった故の不幸。
源氏は彼女を愛し続けていたのに、彼女は彼を想う気持ちよりも、彼が奪われる恐怖を抱いてしまった。決して彼は彼女を見捨てたわけではないのに。
「私は、年の差なんて関係ないと思ってたんです。好きな者同士なら…って思ったんですけど、友雅さんは何だか冷静に話してくれて。」
そんなに嫉妬に狂うほど、気にしなくても良いのに、とあかねは率直に思っていた。でも、それについて違った目線で答えてくれたのは友雅が初めてだったから、それが気になっていた。
やっぱり、経験に乏しい自分の意見は単なる理想であって、現実はそう上手くいかないものなんだろうか、と思ってしまったり。
友雅から見たら、こんな考えは笑われる程度のものなのだろうか、などと色んな事を考えては混乱してしまって。
「友雅さんみたいに恋愛経験の豊富が人から見たら、私の考えなんて子供の考えでしかないのかなぁ……」

恋愛に理想を描くのは、馬鹿げている?
現実だけしか見てはいけない?
例えそれが、辛い恋絵巻ばかりでも?



「神子様は、友雅殿がお好きなのですね」
「………はい?!」
潮が袖で口を隠しながら、くすくすと微笑んだ。
「友雅殿のお話とご自分の考えとの相違が、気がかりで仕方がないなのですね」
「ちょ、ちょっと待ってください!!…私、そういうわけじゃ……っ!」
慌てたあかねが頬が紅潮していたが、それはパニックという意味だけのものではないような気がする。
「友雅殿のお言葉は、半分くらいに聞き止めておいた方がよろしいわね。全て受け入れなくても良いのですよ。真実は…半分にも満たないでしょうから」
柚芽と豊矩の二人で留まらず…今度は潮にまでそんなことを言われるとは思わなかった。
何故、そんな風に思うんだろう。誰が見ても、友雅に惹かれているように見えるということか?
嫌いではないけれど…ないけれど……………。その先の言葉の終わりが見つからない。

「若い頃から華やかな話題が耐えない方でしたから、女性との付き合いも手慣れたものでしょう。でも、あの方は本当の恋を知らないのではないかしら。」
友雅が恋を知らない?あんなに噂が途切れない友雅が、恋をしたことないなんて…まさかそんなことはないだろう。
潮の言っていることがよく分からなくて、あかねは黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「女性と共に楽しく時を過ごすことは、恋とは全く違うものです。いわゆる、友人や知人と過ごすようなもの。その合間に、男と女の関係が加わるという感じで……それは恋愛とはまた違うものです。あの方は、そういうことを繰り返されていただけですから」
そう聞くと、女性関係に節操がないという感じにも聞こえてくるが……。何だか複雑な気持ちになってくる。
「だから、本当の恋はまだ知らないかもしれませんわね」
深い染色の法服が、足下から吹き込む風になびいていた。
彼女を見ていて、ふと、思い出した。彼女は…若い頃の友雅を知っているのだった。亡くなった彼女の夫が、友雅を世話してきたのだ。あかねたちの知らない彼を、潮は知っているに違いなかった。
「本当の恋。それを知ったら………あの方もきっと、神子様のような想いを抱くのではないかしら」
潮はそう言ったあと、振り返ってあかねを見た。
「この世の殿方達の殆どは、恋を知らない寂しい者ばかりです。恋を知っているのは女だけ。それなら、その恋を知って貰うことも出来るかもしれないと…私は思っているのです」

その言葉に、あかねの中に立ちこめていた霧が、すっと晴れていくのを見た。
理想論=子供じみた考え、という方程式が引っかかっていたのに、今はわだかまりさえ感じない。
彼女の言葉は、あかねの考えを否定していなかった。理想を現実にすることだってできるかも知れないと、そんな前向きな言葉。
本当の恋こそが、一生想い合って生きられる恋。それは決して、夢物語ではないこと。

「神子様なら、出来るかもしれませんよ」
「…は?私が…?」
優しい微笑みを浮かべて、潮は言う。
「ええ。友雅殿に、本当の恋を教えて差し上げられるかも……」
「…わ、私がですかっ!!!」
また話の矛先が、こっちに飛んできた。どうしてみんな、友雅と自分を恋愛関係に引き込もうとするのか。あかねはそのたびに困惑の連続だった。
「下手に恋を知った女性よりも、まだ恋を覚えたばかりの神子様の方が、友雅殿にはぴったりかと思うのですけれど、いかがです?」
「そ、そんなたいそれたことなんて私にはっ…!!」
出来るわけがないだろう。相手は男女については百戦錬磨で…こっちはもう、経験がゼロに等しいくらいで…と考えると情けなくなるが、事実だから仕方ない。
「そうかしら?こうしてお二人が並んでいるお姿なんて、なかなかお似合いだと思っているのですけれど…」
「そんなことないですっ!友雅さんは華やかできらびやかで優雅で、容姿からして私になんか全然似合わないですっ!!」
月とすっぽん、雲泥の差、自分と友雅ではそれくらいの違いがある。なのにお似合いなんて、間違ってもそんなこと思う人はいないと思っていたのに。
「そういうものは、見た目ではないのですよ。」
落ち着いたトーンで、潮が笑った。
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Megumi,Ka

suga