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恋愛論理
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| 第14話 (3) |
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目に映ったものに胸が躍った。
『こ、この部屋って……っ!!』
どきどきと鼓動が早まってくる。
開いた戸の向こうにいたのは、紛れもなくこの屋敷の主。
夜も更けているというのに、その部屋に灯された燈台の明かりは消えることはなく、その暖かな光と月から注がれる光とで照らされた彼は、色めくほどの艶やかな輝きを闇の中で放っていた。
あかねは慌ててその場から去ろうと、開きかけた戸を閉めようとした。
だが、混乱していたせいか思いのほか手に力が入りすぎ、重なった戸の格子がぱたんと音を立ててしまった。
無論その音に、彼が気付かないはずがない。
「誰かそこにいるのかい?」
静かな声があかねの方へと向けられる。黙ってその声に答えないまま、じっと戸の後ろに座り込んで小さく縮こまった。
「こんな夜更けに私の部屋に来るのは、それなりの理由があってのことなのではないかい?」
黙っていても、声は近付いてくる。その人影の存在が証明されない限り、彼はこちらへ歩み寄ってくることを止めないだろう。
だからと言って、この時点で足早に逃げ去ったとしても正体を隠し通せるわけではなし。
大きな手のひらが、閉じたばかりの戸をゆっくりと開く。緩い明かりが差し込んで、あかねは無意識に目をつぶった。
「…………そんなところで、何をしているんだい?」
顔を覆った両手の隙間から、そっと声のする方向を見上げる。肩越しにおぼろげな光を背負い、見下ろしている彼の目はとても優しい。
「こんな時間に私の部屋にやってくるということは、つまり…そういう意味があってのことなのかな?」 「そっ…そんなんじゃないですっ!!」
売り言葉に買い言葉の要領で、友雅の問いにあかねは顔を隠すこともすっかり忘れて、赤く染まった頬のままで彼を真っ直ぐ見上げた。
その細い手首を、そっと友雅の手が掴む。
「残念だね。期待していたのに……」
広い胸が明かりを遮る。近付く友雅の影に、小さなあかねの身体は影さえもすっぽりと覆われてしまう。
「ひゃうっ!!」
妙な声を上げてあかねは目をつぶり、ぐっと呼吸を止めた。
頑なに全身を強ばらせて、華奢な身体がなお一層小さくなって。
まだ恋の楽しみさえ経験したことのない少女は、友雅が接近するだけで頬を桜色に染める。 十六、七にもなって男の言葉に戸惑うなんて、今まで付き合った女性からはとても考えられない。駆け引きがあるからこそ男と女は楽しいと思っていたが……どうやらそればかりではないようだ。
膨らみかける梅の蕾のように、恥じらいながら鮮やかな花弁を開き始める少女の愛らしさは、まさにその香りに似て甘酸っぱい雰囲気を醸し出す。
こうして、目の前にいる彼女のように。
「悪さはしないから、目を開けてごらん」
ふっと手首から友雅の手が離れて、そんな囁くほどの声が聞こえてから、あかねはやっと瞼を開いた。それでもなお、友雅の顔は目の前の至近距離にある。
「女性が歩き回る時間ではないよ。何か急用でもあったのかい?」 「あ、あの…喉が乾いたんで、お水が欲しくなってどこかにないかなって探してたら…道に迷っちゃって」
正直にあかねが答えると、友雅は思わず小さな声を上げて笑ってしまった。
こんな時間に喉が渇いたからと言って、他人の、しかも男の屋敷の中を歩き回って、しかも道に迷って立ち往生とは。
全くこの神子は何をするか検討が付かない。近くで眺めているだけでも飽きることがない。 「客人に迷われるほどの屋敷ではないのだけれどもね…。ここで待っておいで。私が汲んできてあげよう。」
友雅はそうあかねに告げて立ち上がると、暗い部屋の外へと消えていった。
一人取り残されたあかねだったが、何となくホッとして身体の力がどっと抜けたような気がした。
へたるように座り込んでいた足を伸ばして、深呼吸を三回ほどくりかえしてから落ち着きを取り戻した。
『はぁ…焦っちゃったよ。まさか友雅さんの部屋だなんて思わなかったもん…』
偶然とは言え、覗いた先に彼がいるなんて思っても居なかったし、こんな時間に起きているなんて思わなかったし。
突然に、友雅のさっきの言葉が蘇る。
『こんな時間にやってくるということは、そういう意味があってのことなのかな?』
そういう意味とは、つまり…その。男と女が逢瀬を重ねることであって。いわゆる……そういうことだ。
この平安の時代、そんな男女の恋遊びは日常茶飯事。月の明かりが太陽の光に変わるまで、二人だけの時を紡ぐことに酔いしれる。
「そんなことあるわけないじゃないですかっ!友雅さんのバカバカっ!!」
あれこれと想像を膨らませて、あかねはただ混乱する。
現実問題として、この時代はあかねの生まれ育った時代よりも遙かに年令というものへの立場が違う。十四〜五歳での結婚は珍しくはないし、宮仕えとして高い官位に付く者も少なくはない。 あかねの年令は、この時代では既に立派な大人なのだ。そんな風に男と女が恋に落ちても当然な…そんな世の中。
だから柚芽が未だに独りでいることが、かえって珍しいし勿体ないと思われてしまうのだ。 柚芽なら……女性であっても母であっても、他の姫君に見劣りなどしないほど輝けるはずなのに。
出会うきっかけさえあれば。彼女のような女性が独りでいるなんて勿体ない。
勿論、彼女に見合うだけの男じゃなくては不釣り合いだとは思うけれど。
『豊矩さん…結構お似合いだと思うんだけどな』 抱く想いを捧げるだけの、ほんのわずかな勇気さえ彼にあれば……もしかしたらもしかするかもしれないが。
どうやって豊矩をその気にさせるかが、ここはやはり一番の問題だろう。
「随分と目が冴えているようだね。屋敷の中の道筋だけではなくて、夢の旅路への入口も忘れてしまったのかな?」
はっとして気付くと、いつのまにか友雅が部屋に戻ってきていた。その手に大きすぎない碗を持ち、中には澄んだ冷たい水が入っていた。
友雅はあかねに碗ごと手渡すと、丁度彼女が座っていた場所の向かい側になる高欄に、背中をもたれて腰を下ろした。
「土御門の屋敷ではないから、落ち着かなくて寝付けないのかな?」
すぐ下に流れる池から別れた小川が、涼しげな水音を奏でている。 「そう…かもしれないですけど。」
唇を潤した水は冷たくて、何故だか心躍っていた心音もやっと大人しくなってくれた。
「柚芽殿はゆっくり休まれているのかな?」
「はい。さっきちょっと覗いたんですけど、豊矩さんもぐっすり眠っているようですよ」
「あれだけ飲めば、さぞ心地よく眠れているだろうがね」
友雅はそう言って笑った。
「あのー……」
水を飲み干したあと、あかねが何やら口を開き始めた。 「豊矩さん、もうちょっと柚芽さんに、好きだとかそういう告白とか…出来ないものですかね?」
いきなり何を言うかと思ったら、豊矩へのけしかけとは驚いた。 「柚芽さんと色々話してて…豊矩さんのこと、まんざらじゃないと思うんですよね。だから、もっとこう…豊矩さんが思い切ってくれたら、一気に先に進むんじゃないかなーと思って…」
「それは神子殿の感じた、柚芽殿の彼に対する印象かい?」 「何て言うか、柚芽さんってちゃんと豊矩さんのお仕事とか、立場っていうものとかを理解してるみたいだし…」
「そして、豊矩は柚芽殿が理想とする男性である、真面目な精神を持っているから、お似合いなんじゃないかと言うことかな」
あかねは友雅の問いに、うなずいて答えた。
「豊矩さんだったら、きっと柚芽さんのことをずっと想っていてくれるような、そんな気がします」
妙に確信を持ったような口調で、あかねは言い切った。
永遠に続く想いがあるのかどうかなんて、友雅には全く分からない。それほど強い想いというものが存在するのかさえも、半信半疑だというのに。
なのに、まだ恋の楽しみさえ知らないようなこの少女が、永遠の想いの存在を断言できるというのは、男には到底分からない女だけの勘というものなのだろうか。
「だから、あと一息…どーんと体当たりする感じで、豊矩さんに気合い入れてもらえたら良いなーなんて。まあ、勝手にそんなことを考えちゃったんですけども…」
少し大袈裟な身振り手振りで、あかねは力一杯に柚芽へのアピールを誇示してみた。勿論例え豊矩がそんな調子で挑んでも、彼女が想いを受け入れてくれるかどうかは分からないのだが。 「確かにね。いつまでも柚芽殿の前で落ち着かない様子では進展はありえないだろうね…。このままでは今後も同じように酔いつぶれる可能性だって有り得そうだしねえ」
あかねの話を聞きながら、何となく友雅も納得し始めてきた。
このままでいては、変化は皆無に等しい。控えめな柚芽と真面目すぎる豊矩では、一歩退いたところで立ち往生するだけだ。
それに、あかねは神子であり友雅は八葉。長い時間を他人の恋路の手伝いに時間を割くわけにはいかない。
「ここらあたりで、豊矩にも男気を見せてもらわなくてはならないかもしれないね」 「そうですよ!少なくとも嫌っている相手じゃなかったら…面と向かって『好き』って言われたら、女性はまず嫌な気はしないはずですもん!」
小さな手で拳を作って、あかねはきっぱりと断言した。
「……神子殿も、かい?」
「え?」
真っ直ぐに見つめる瞳が、やけに静かになっていたことにあかねは気付いた。
月夜の明かりに似た艶やかな瞳が、こちらを見つめている。
「神子殿も、そういう風に想いを打ち明けられたら嬉しいのかな、と思ってね」 「わ、私は…………」
拳が緩んだ。それと同時に、緊張がもう一度身体を縛り付けるように再び押し寄せた。
心音は早くなる。友雅とあかねの間には、夜の静寂だけ。そして彼の瞳の中に、あかねの姿が映り込む。 「私…はよく分からないですけどっ。そ、そういう経験ないしっ。向こうの世界でも全然…友雅さんみたいに、モ、モテなかったから!」
飛び出しそうな鼓動に声が震えて、何度か言葉が躓いてしまう。こういう時こそ、冗談とかでも良いからからかってこの場を誤魔化して欲しいのに、友雅は全くそんな素振りもない。
ただ、あかねの姿を静かに見つめているだけ。
それがどれほどの緊張を与えるか、その視線の威力がどれほどのものなのか、きっと彼は気付いていない。
ぎしっ…と床のきしむ音がした。
友雅は立ち上がり、あかねに手を差し伸べる。
「部屋まで連れて行ってあげるよ。いい加減にそろそろ眠らないと、明日の朝餉に間に合わなくなりそうだからね」
優しく波を描く髪のように微笑んで、友雅はあかねの肩をそっと抱いて立ち上がらせた。
薄暗い屋敷の中を、主の案内で今度は迷わず部屋へ辿り着くことが出来た。
友雅は、ただ一言『おやすみ』とだけ告げてその場を後にした。
眠らないといけないのに、いつまでたっても鼓動が落ち着かないせいで。
結局あかねが目覚めたのは昼近く。
土御門家に戻ったときは、すでに午後を過ぎていた。
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