恋愛論理

 第14話 (1)
静かな夜だった。

友雅はあかねたちに、東の対の母屋を客室として用意させてくれた。
庭先からの風通りが丁度良く、寝室としては心地よい部屋である。
豊矩はというと、客人とはいえどあかねたちと共に同じ部屋で眠らせるわけにもいかず、仕方がなく友雅の寝所である部屋の近くに寝床を用意させて休ませることとなった。


全身から力が抜けたようにくたくたになっている豊矩の姿は、お世辞にもあまり良い格好とは言えない。
よりにもよって恋焦がれた柚芽の前で、こんな醜態をさらけだすことになろうとは…。
これでは友雅たちが企てた計画も水の泡ということになってしまうのではないだろうか。
「しょうがないねえ…。姫君達の前で先に酔いつぶれてしまうとは困ったものだよ」
呆れながら豊矩の顔を覗き込みながら、友雅はそう言った。
だが、柚芽の反応は予想外であった。

彼女は、はだけて着崩れた豊矩の袂をそっと合わせながら、静かに微笑む。
「きっとお疲れになっていたのでしょう。いつも神子様やお屋敷の警護のために、気を張っていらっしゃるんですもの。今夜のように、ゆっくりとお酒を召し上がることなど滅多にないのでしょうから…。つい、気が緩んでしまわれたのでしょうね」
そうつぶやく柚芽の姿は、まるで母のように穏やかで優しい面持ちをしていた。

全身から慈愛が溢れ出るような、暖かで豊かな仕草。豊矩の醜態を少しも蔑んだりもせず、彼の様子をそのままに受け入れている。
あかねは、そんな柚芽の姿に一瞬心を奪われていた。
そういう表現は妙かもしれないが、間違いなくあかねは彼女に見惚れていたのだ。
恋愛というものではなく、人間として。
そして同じ女性として……憧れ以上の感情を抱いた。
あんな風に全てを暖かく包み込める、そんな許容の広さが羨ましかった。
柚芽のような女性になりたいと思った。どこまでも優しく和やかな空気を作ることの出来る、そんな女性になれたら……と。

改めて、彼女に恋をした豊矩の気持ちが分かったような気がした。






葉ずれの音が聞こえる。思った以上に外は明るい。
もう随分と夜は更けているのだが、満月のせいでまだ宵の口のように錯覚してしまいそうだ。
柚芽は明日の用意を済ませ、長い黒髪を櫛で梳いていた。

「どうしたら柚芽さんみたいに、優しい女性になれるんだろー?」
床の上に寝転がっていたあかねが言う言葉に、柚芽は振り返って首を傾げた。
「まあ、何を申されると思ったら…いきなりどうなさいましたの?」
「だって、ホントに不思議なんだもの…。いつも笑顔絶やさないし…。悩みとかムッとすることとかも勿論あるんでしょ?」
人間なのだから、喜怒哀楽があって当然だ。柚芽だって機嫌が悪いときだってないわけじゃないだろう。
なのにいつも柚芽の表情は笑顔しか思い出せなくて。
どうしたらそんな風に穏やかに保てるのか…。それが不思議でならない。

「勿論、世の中良いことばかりではありませんし。時には顔に出てしまうこともありますわ。」
「…ウソ。だっていつも柚芽さんは、優しくてニコニコしてるじゃないですか。さっきだって………」
さっきだって。豊矩を見守るような瞳は聖母そのものだった。
女性の前で飲みつぶれてしまうなんて、あまり格好の良いものじゃないと思う。
なのにそんな彼を柚芽は咎めたりはしない。むしろ、彼の日常の勤めの重要さを重んじる視野の広さを持っている。
「私達が穏やかに日々を過ごせるのは、豊矩殿方が邪気からお護り下さっているからこそですわ。感謝の意を忘れないようにしなくてはいけませんわね」
当然のようにそう答えて、いつものように彼女は微笑んだ。


あかねだってそれくらいのことは承知している。
何も知らないままこの世界にやってきた自分が、世間知らずなせいでどれほど周囲を困惑させてきたか自覚している。
そんな自分が今、こうしてのんびりと1日を過ごすことが出来るようになったのは、彼らがいるからこそだということ。
八葉の立場とは比べものにはならないが、何でもないようなことを常にこなしている彼らの任務が、自分たちにやすらぎを与えてくれていること。感謝しきれないほど感謝している。

でも、豊矩にとっては…きっとあかねからそんな言葉をもらうより、柚芽から声をかけてくれる方が嬉しいに違いない。
柚芽が本当に心の底から、彼の行いに感謝をしていること。
そう、何よりも彼にとっては、彼女が一瞬でも自分を思ってくれること以上に、嬉しいことなどあるはずがないのだ。

せめて、彼女の言葉で彼にそれを告げられたらいいのに。
どうにかならないだろうか?


「ね、柚芽さんから見て…豊矩さんてどう思います?」
思い切ってあかねは、彼女に豊矩の印象を聞いてみることにした。恋愛感情はないとしても、彼女の中で豊矩の存在がどれほどのものなのか、それを確認したいと思った上での問いだった。
恋じゃなくても良い。恋に発展する可能性があるのならそれで良い。
「とても誠実で真面目な方ですわね」
彼女はいつものように微笑んで、そうあかねに答えた。
「いい人…ですよねぇ?」
今度は彼女の相づちを求めて聞いてみる。
「ええ。ご自分のお仕事の大切さを、しっかりとご理解されておりますわね。とても素晴らしいお心をお持ちでいらっしゃると思われますわ」

「素敵な人ですよねぇ?」
柚芽は一瞬間を空けて、言葉をしっかり選んであかねの問いに答える。

「尊敬できる、素敵なお心をお持ちでらっしゃる方ですわね」



静けさの闇が広がる夜。
柚芽の優しい声が、あかねの耳にはっきりと聞こえた。
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Megumi,Ka

suga