恋愛論理

 第9話
柚芽が昼餉の用意をするために、あかねの部屋を後にした。彼女が姿を消すと、ようやく頼久が几帳の裏から姿を現した。
「頼久さん、さっきの柚芽さんの話……聞きました?」
あかねの問いに、頼久は黙ってうなづいた。

柚芽の理想の男性像のポイントは3つ。
『誠実な人』、『尊敬出来る人柄』、『柚芽の想いに応えてくれる人』……それはつまり、自分だけを愛し続けてくれる人、というところだろう。

………自分だけを愛してくれる人。最後に少し照れたように微笑んで、柚芽はそう答えた。
これに限っては、千年の時の流れも関係ないらしい。どんな時代であっても、女性は男性に同じ想いと願いを抱いているらしい。
あかねだって、同じだ。好きな人には、ずっと自分だけを好きでいて欲しい。
………大人びて見える柚芽も、そこはあかねと全く変わらない価値観を持っている。そう思うと、彼女の存在がとても身近に感じられて、何となく嬉しくて微笑ましくて心がふんわりと暖かくなった。

「で、頼久さんはどう思います?豊矩さんて、この理想像にピッタリハマッてると思います?」
「豊矩……ですか……?」
頼久はしばらく考えた。ゆっくりと豊矩のことを思い出しながら考えてみる。
考えながら、柚芽の出した三つの理想に豊矩を重ね合わせた。彼に関する思い当たる記憶を懸命に思い出そうと努力してみた。
暗黙の時間が流れて、早三十分が過ぎただろうか。聞こえてくるのは、小雨の音。

「誠実な男では…あると思います。」
やっと頼久が口にした。
「自分の役割に関しては、責任を持って最後まで確実にこなします。まだ未熟な部分もありますが、努力は欠かしませんし、周囲の状況判断も冷静に行えますし。口にしたことは、必ずやり遂げる男です。尊敬出来るだけの器量を持つ男だと、私は思いますが。」
「そっか。じゃあ結構柚芽さんの言ってた理想には、問題なさそうかな…」
それだけ頼久が支持するのだから、間違いはないだろう。見た目は…ちらっと先日顔を見たが、真面目そうで好青年という感じを受けたし、悪くはないと思う。それはあかねの持つ、女の目の価値観である。
「じゃあ、とにかくあとは二人が向かい合える機会を作ってあげること、ですねえ……。まずは話をしてみなくちゃ、お互いのことなんて分からないし伝わらないですからねえ…」
そう、問題はそこなのだ。

何か二人に共通の趣味などがあれば良いのだが、武士団の男と屋敷に仕える侍女という立場では、なかなかそういう一致点を見つけるのも難しい。何か、強引にでもチャンスが作れると良いのだけれど…。
「はあ…どうしようかなぁ…」
薄暗い外の風景を眺めながら、あかねは頼久の隣でためいきをついた。せめて天気でも良かったら、少しは頭の回転も良くなる…んじゃないかと思うのだが。



「失礼致します。神子様、少々よろしいでございますか?」

突然さっき姿を消した柚芽が顔を出したので、あかねたちは一瞬心臓が飛び出るかと思った。
「橘少将殿がお見えになっておられるのですが。お通ししてもよろしいでございますか?」
「…友雅さんがっ!?」
今度は違う意味で、あかねが驚いた。
今日の物忌みには用事があるので、と断られたのに…何故今頃?。しかも自分から唐突にやってくるなんて、一体…どういうことなんだろう。
「ど、どうぞ呼んで下さい!」
色々疑問も尽きないのだが、やはり答えは…これしかない。


■■■


ふと思えば、こんなシチュエーションは今まで初めてだった。物忌みの日に、八葉一人に一日付き添ってもらうことは決まり事なのだが、今回は二人である。まあ、本来は頼久が受け持っているのであるが……。
「いきなりやってきてすまなかったね。」
「そんなことはないですけど…でも、今日は友雅さん用事があるから来られないって言ってたじゃないですか。なのに突然来るから…」
びっくりした。でも、それと同時に少しだけ嬉しかった気がないこともない。付き添ってくれていた頼久には申し訳ないけれど。
「用事が早いうちに済んだのでね。やはり神子殿の顔を見られないのは寂しいものだからねぇ」
そう言いながら、またいつもの甘い笑顔をあかねに向ける。そんなことを言われたら、あかねが文句の一つも言えなくなってしまうと知っているんだろう。悔しいけれど、友雅の思うツボにはまって離れられない。
「そ、そんなことより!ここに来た本当の目的、教えてください!」
友雅の言葉を単なる社交辞令だけとは捕らえたくない気もするけれど、でも彼のことだから多分何か意味があってここに来たことは間違いない。
雨のせいで、いつもふわりと軽やかな友雅の髪も少々重いのだろうか。目にかかる前髪を指先で掻き上げ、彼は少し背筋を伸ばした。

「実は今朝、柚芽殿の母上殿に会いに行ってきたのだよ。」
「柚芽さんの……お母さんに?」
あかねと同じ視線で、頼久も友雅の方を向く。
「色々と立ち入ったことを尋ねてしまった。だけど、それが一番重要だから仕方がないけれどもね。」
そういえば先日、そんなことを言っていた。あかねは柚芽に、頼久は豊矩に、そして友雅は柚芽の母に情報の収集をしようと打合せをしていた。そのために今朝出掛けていたのか。
「柚芽殿には、これと言って決まった相手はいらっしゃらないようだ。実の御両親であるからね、それなりに柚芽殿の将来のことを話したことはあったことはあったらしいが、特別に目に留めていた者はいなかったらしいよ。」
簡潔に友雅は仕入れた情報を告げた。
政略結婚も当然のように行われていた、この時代。親が決めた相手がいないとも限らなかったが、どうやらその筋は問題がないことが友雅によって証明されたと言って良い。
「それに、母上殿は柚芽殿の相手については、特別こだわってはおられないようだね。幸せになれるのなら構わないと言ったご様子だったよ。」
手放した我が子へ望むのは、ただ一つ。幸せな未来だけ。彼女はそう答えた。娘が好きな相手であれば、その相手との未来に幸せが待っているのなら、それだけで構わない。母である彼女が望むのは、唯一それだけだ、と。

「友雅殿、実は私共も先程柚芽殿よりお話をお聞き致しましたところで御座います」
頼久がそう言うと、友雅は少しだけ驚いてから満足そうに微笑んだ。
「そんなに事が即座に進むとは思わなかったよ。しかし丁度良かった。で、彼女の方の答えはどうだったんだい?」
ふと、頼久の視線を感じた。あかね本人に今度は告げてもらいたい、との合図だったのだろう。
「誠実な人が好きだって言ってましたよ。尊敬出来るような人が良いって……」
あかねは、はっきりと柚芽の答えを友雅に告げた。

「誠実な男…ね。まあ、それなりの位や階級の貴人であるのならば、充分尊敬出来るとは思うがね」
武士となると、どうだろう。所詮はこの土御門家に仕える者。友雅のような武官として、内裏に上がるような立場ではない。言い方は悪いかもしれないが、使用人という表現も当てはまる。そうなると豊矩の立場は、いささか微妙だ。
しばし友雅が考えていると、あかねが口を開いた。
「友雅さん、柚芽さんの言っている『尊敬出来る人』って、階級とかっていうものじゃないですよ。」
………彼女が思っているのは、そんなものじゃない。女性なら誰もが思う、たった一人を愛し続けてくれる誠実な心を持った人。………


「なるほどね。それもまた誠実な意味を込めた答えだね。」
まるであかねが言うような答えだ、と思った。恋愛というものを透明な瞳で捕らえられる者の答え。友雅が感じることのなかったような答え。きらきらと瑞々しいほどに輝いて、こちらまでが眩しくて目が眩みそうなほどに美しい心。
「私、分かる気がしますよ。容姿とか家柄とか、そりゃあ良い方が嬉しいかも知れないけれど…。でも、ただそれだけの人よりも、自分だけを好きでいてくれる人が良いと思う…」
あかねは、そう言った。彼女が抱く想いは、この世界の者にとっては全て新鮮な価値観。恋愛については疎い頼久でさえも、そんなことを思ってしまうほどだ。
正室・側室…夫婦関係が幾重にも重なっていることさえ不条理ではない。それでも、あかねは柚芽と同じ気持ちを捨てきれない。

「私だって…自分だけ好きでいて欲しいですよ。他の女の人に気を取られるなんて…やっぱり嫌です。」
大人の友雅から見れば、笑い飛ばしてしまうほど純情すぎる答えかも知れないけれど。




しとしと……小雨は止む気配がない。緑の葉にしたたる雨の滴がこぼれて、土を色濃く染めていく。


「神子殿こそが誠実な人だと思うよ、私は。」

ぽつりとつぶやいた友雅の言葉に顔を上げると、彼はただ静かに微笑んであかねを眺めていた。
愛おしい何かを見守るかのような、暖かな瞳をして。
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Megumi,Ka

suga