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恋愛論理
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| 第8話 |
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その日、あかねは物忌みの日だった。穢れを避けるため、一日中外には出られない。
そんな気持ちを察しているのか、朝から空はどんよりと小雨が降り続いていた。 天気も悪く、しかも自由に身動きも取れないとなれば……気分もさすがに滅入ってくる。それに加えて……ちょっとしたトラブルも兼ねて、一層気分は下降気味だ。
物忌みの日は穢れを少しでも近づけぬ為に、八葉の一人を一日側に置かなければならない。そのために、前日には当日共にしてもらうために、文を送ることになっている。 だが……その文が今朝方戻ってきてしまったのだ。
「友雅殿は、今日は…どうしても避けられない私用があるとのことで、本日は神子様にお付き添いが出来ないとのお返事が参りましたの」
朝餉の席で、いきなり藤姫にそんなことを言われた。予想もしない展開に、あかねは一瞬身動きが出来なかった。
すぐに藤姫は、対処の策を尋ねる、 「如何なさいますか?他にどなたか…お呼びになりますか?それとも、頼久か…天真殿か詩紋殿でしたら、すぐに神子様のお部屋に向かわせることが出来ますが…」
藤姫は言ったが、あかねは少しぼんやりしていて、すぐに答えることが出来ない。 今まで何度も物忌みの日は、一緒にいてくれた友雅だったのに…何故今回は断られたんだろう。
元々八葉という立場には熱心というわけではなかった彼だったけれど、そんな風に断るなんてことはなかったからこそ、何だか気分が重い。 「神子様…?」
はっとして我に返る。やっと藤姫の声が耳に届いた。 「あ、ああ…ごめんね藤姫。そうだね、友雅さんにも色々用事があるから仕方がないよね。」
何でもないような顔を作り直して、あかねは答えた。 「それでは…どなたにご一緒して頂きます?」
これから文を送るよりは、すぐ連絡の付く相手。同じ屋敷にいる三人に絞られる。
ふと、あかねの中で何かひらめいた。 「じゃあ…頼久さんに御願い出来るかな」
藤姫は近くにいた侍女に尋ねた。
「ええ。それではすぐに頼久に伝えに参りますので、神子様はお部屋でごゆっくりお過ごしになってくださいな」
あかねはうなづいて、部屋を出た。
『外に出られないのなら、中にいて出来ることをすればいいよね。だったら、それに好都合なことがあるもんね』
そう自分に言い聞かせながら、自分の部屋へと急いだ。
■■■
「本日は私が神子殿に付き添わせて頂きます」
すでに部屋に待機していた頼久が、あかねを見ると深々と頭を下げた。 「そんなに堅苦しくしなくて平気ですよ、頼久さん。それに、今日は物忌みの他にもね、ちょっと頼久さんにもお手伝いして欲しいこともあるんで…」
あかねは庭に面した簀子へと歩いてゆき、御簾を上まで全て引き上げた。外は小雨が混じっているが、それでも日中は明かりが差し込んでくる。こんな天気の上に御簾を下げていては、昼間でも薄暗くて更に気分が滅入ってしまう。
しっとりと湿った空気が流れ込んで、乾いた部屋の中をわずかに潤わせた。 「神子殿…私の手伝えることとは、一体……?」
手足を伸ばして軽く深呼吸していると、頼久がさっきのあかねの言葉の意味を尋ね返した。 「あ、うん…。実は今日ね…柚芽さんに、それとなく色んな話を聞きだしてみようかと思ってるんですよ」 「柚芽殿に……」
頼久の顔を真っ直ぐ捕らえて、あかねはうなづいた。 「こないだ、友雅さんとも話したでしょ。それとなく…柚芽さんに好きな人がいるのかどうか、とかね。あとは、どんなタイプが好きなのかな、とかね?」 「……タイプ…。確か、人柄や好みという意味でしたか。」
しばらく共に過ごしている中で、ついついこぼしてしまうあかねの現代語を度々尋ねているうちに、頼久も少しずつ新しい言葉を把握して来ていた。慣れると、どことなく理解出来るような気がしてくるのが不思議だ。 「そう。取り敢えず、嫌いなタイプとか好きなタイプとかね、そういうのを聞き出せれば…豊矩さんも柚芽さんの理想のタイプに向かって、色々努力できるでしょ?そうすれば少しは道も近くなるんじゃないかと思うんです」
好きな人に好かれるために、相手の好みに近くなるための努力。
それは男も女も同じ。振り向いて貰うために、地道かつ根気よく自分をレベルアップするために。そしていつかあの人に近づける日を、夢見ながら過ごしていくのだ。 「申し訳ございません…神子殿にまでこのようなご迷惑をおかけしてしまいまして…」
気合い充分のあかねとは正反対に、頼久の方は相変わらず少々肩身が狭いようだ。
■■■
「ねえ、柚芽さん?」
伏籠の火取を取り出していた柚芽は、あかねの声にゆっくりと振り返った。雨のために湿気を吸い込んだ空気の流れでは、なかなか香の香りがくゆってくれない。
「如何なさいましたか?神子様」 「うん…ちょっと、お話しても良い?」
身体を曲げると、豊かな黒髪がさらりと肩から流れ落ちる。まるでそこだけ穏やかな川の流れが生まれるように、艶やかな髪が揺れ動いた。
「私でお相手出来るのでしたら、喜んでおつき合いさせて頂きます。」
そう答えた彼女の微笑みは、決して華やか過ぎず地味すぎず。あくまでも清楚で、まさに野に咲く一輪の花のように見えた。
少し肌寒くなったようだ。開け放っていた御簾を下ろして、外からの風を遮った。
部屋の中にはあかねと柚芽。そして几帳の隅に潜むようにして、そっと頼久の姿があった。 「柚芽さんて……私と同じくらいの年ですよね?」 「左様御座いますね。私は十七になりますので、一つ…私の方が上でしょうか。」
彼女本人の口から出た言葉で、あかねは更に確信する。 殆ど同い年で、この違い……。同性から見て、贔屓目なしに憧れてしまう優雅な物腰。平安の姫君という言葉がよく似合う。この彼女が自分と同じくらいの年令とは……やはり少し愕然としたショックを感じてしまう。
「それが、どうかなさいました?」 「あ?ああ…別に、何でもないんですけどっ!」 考えたところで、何が変わるわけでもなく。生まれ育った環境が違うのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだ。しかし…それでもやはり、羨ましいと思わないではいられない。
「あのね…私の住んでいた世界では、十七才って別にまだまだ子供なんですよね。でも…こっちの世界では、十七才って、もう立派な大人ですよね?」 「そうですわね。既に御子を持つ方も、少なくはないでしょう。私はまだ、ご縁がございませんけれど………」
柚芽はそう言って笑ったが、さほど焦っている様子もない。自分は自分、ということか。それとも、誰か焦がれている相手がいて、彼からの申し出を待っているのだろうか。 しかし。あかねがこの屋敷にやってきて数ヶ月が過ぎ、その間に柚芽と過ごす時間も多かったのだが…彼女の所へ通う男の噂など、一度たりとも聞いたことがない。 ……土御門家に仕える侍女達が、全てそうだというわけではない。何人かの侍女は、既に通って来る男がいるとの噂も聞く。 だが、柚芽に関しては…一切そんな話を聞いたことがない。これほどの女性に、誰一人として男がアプローチをしないとは、どうも解せない。それとも、こう見えて実は結構理想が高かったりするのだろうか? 「柚芽さんは……結婚とか、しないんですか?」
思い切って、あかねが切り出した。背を向けているあかねは気付いていないが、几帳の後ろにいる頼久も、その問いかけに思わず振り返った。 「こればっかりは…ご縁がありませんと。素晴らしい殿方がいらっしゃれば、私も将来を考えても良いとは思うのですが…なかなか難しいですわね」
彼女はそう言って、花のように微笑んだ。 「じゃあ、柚芽さんは…どんな人が好きなんですか?」
やっと、一番聞きたいことに辿り着いた。自分でも気付かないでいるが、頼久もいつのまにか少し身を乗り出してきている。 「カッコイイ人?顔が良いとか、背が高い人が良いとか、家柄とか…位が高いとか…?」
しばらく、静かに柚芽は笑っていた。そして、御簾の隙間から見える庭を見透かすように遠い目をして、つぶやくように答えた。
「誠実な方…。その方だけを愛し続けるだけの、尊敬出来る人柄をお持ちの方。そして、その想いに…同じように応えて頂ける方…というのは、贅沢な条件でしょうか」
深く染み入るような彼女の声は、あかねと頼久の心の奥へと沈んでいった。
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