 |
 |
恋愛論理
|
|
 |
| 第7話 |
 |
 |
 |
一通りの話し合いが終わったあと、頼久は夜の警護のために部屋をあとにした。
残されたのは、友雅とあかねの二人だけ。先程柚芽が部屋から暇を出されたせいで、侍女たちは誰一人として入ってくることはなかった。
友雅とあかね。そして、どこかから聞こえてくる水の音。
最初に口を開いたのは、あかねの方だった。 「友雅さんと柚芽さんて…ずっと前から知り合いだったんですか?」 「そうだねえ。かれこれ十年も前だろうかね…まだあの頃は小さな姫君だったけれど、美しくお育ちになられた。」
実はさっきから、気になっていた。
柚芽が入ってきたとき、二人がことのほか親しげに会話していたことが意外に思えたからだ。
あかねの侍女達はといえば、揃いも揃って友雅が土御門家に顔を出すたびに黄色い声で盛り上がる。我先にと彼の前にもてなしを差し出す機会を、ほぼ全員が狙っていると言っても良いくらいだ。 なのに柚芽は……普段と変わらない物腰で、急いた雰囲気など全くなくて。だからこそ、珍しく感じたせいだ。
「気になるかい?私と柚芽殿のことが」 「えっ…そ、そんなことは別にっ………!」 顔を上げた瞬間に目に入った友雅の表情が、月明かりに照らされて驚くほどに艶やかに見えて、思わず声が裏返る。「別に…そういうわけじゃなくって…。ただ、さっき柚芽さんが『色々あった』って言った雰囲気が…何となく深刻そうな感じがしたから気になってて」
あかねがそう話すと、少し呼吸を置いて友雅は遠い目をした。 「そう……色々あったのだよ。彼女…彼女の家は色々な事があった。」
友雅はつぶやくように言って、一度杯を空にした。
そして、ゆっくりと柚芽の家で起こったことを語り始めた。
彼女は高貴な家柄の出であったこと。左近衛府大将であった父のつながりで、友雅と親しくなったこと。
彼が流行病で亡くなったあと、母は仏門へ、彼女は父と親しかった左大臣の心遣いでこの土御門家に入ったこと。
「昼間、神子殿が庭を散策されている間に母君と話をしていてね。柚芽殿のことを気に掛けておられた。たった一人の姫君だからね。私としても良い男の所へ嫁いで幸せになって貰いたいと思っている。」
幼い頃から見ていた柚芽は、友雅にとっては妹同然のような存在と言えた。早くから本家を離れて、実の兄弟達との交流なども頻繁ではなかった彼だったが、逆に血のつながりという断ち切れないものがないことが、肩の力を抜いて付き合えるきっかけだったのかもしれない。
そんな柚芽が幸せになって欲しいと願うことは、友雅も偽りのない本心の一つだった。
「……友雅さんは………」
突然、自分の意識とは全く無関係に飛び出した言葉に、あかねは思い切り息を呑んだ。
「私がどうかしたのかい?」 「…いえ、あの……何でもないです」
あかねは言葉を一度途切れさせてから、二、三度首を横に振った。
…………………友雅さんは、柚芽さんを引き取ろうと思わなかったの?
言葉のあとには、きっとそう続いたんだろう。
あかねの目から見ても柚芽は美しい女性だとお世辞抜きに思う。育ちの良さも物腰の優雅さも申し分はない。 それでも友雅は、彼女を恋の相手と見なかったのだろうか………。
何だか、そんなことが妙に気になって。
だが、それらを素のままで尋ねるような気持ちが整わなくて、結局その場の空気を濁すしかなかった。
■■■
柚芽を初めて見たのは、いつ頃だっただろうか。
まだ彼女は十くらいの少女だった。友雅は将監から少将に上がって二年目が過ぎ、当時大将であった彼女の父に誘われるがままに、彼の屋敷へ訪れるうちに彼女と顔を合わせる機会が増えた。
御簾を挟まずに娘を友雅の前に連れてきたのは、今を思えば彼は何かしら期待をしていたのかもしれない。 しかし…もしも彼が本当に柚芽を友雅の元へ嫁がせる意志が、少なからずあったとしたら。残念ながらその願いは叶わなかったと言って良い。
彼自身も、彼女自身も、お互いを特別な目で見ることは出来なかった。
何故かと問われても、答えはなにもない。
ただ、心を揺らす直感がなかったからだ。
誰でもかまわず恋をすることは出来ない。例えその場の逢瀬を楽しむことが出来たとしても、心は都合良く想いを募らせてはくれない。
だから恋は難しいのだ。
「あら、本日はお一人でいらっしゃいましたの?」
衣をかついだ友雅の姿に気付いた潮が、写経する手を止めてこちらに歩いてきた。
「残念ながら、今日は神子殿は物忌みでね。お連れするわけにはいかなかったもので。」
そう友雅が答えると、潮は慎ましく微笑んだ。
「どうぞ中にお上がり下さいませ。何かしら私にお話でもあって、ここまでいらしたのでしょう?」 「…分かりますか?」
「引く手数多のお誘いに囲まれたあなたが、それを無視してこんなところまでやってくるのですからね。それなりのお話なのではないかしら」
潮の言葉に、友雅は苦笑するしかない。
いわば彼女は彼にとって、母のような存在でもあると言って良いのだから。
■■■
静かに霧雨が降り続いている。その中ですっと伸びた竹林の緑が鮮やかに輝く。
夏ともなれば、その色は更に青みを増して涼しさを醸し出すだろう。
遠くに小鳥の声と、沢から聞こえる蛙の鳴き声。ここにいると四季の変化が色と音で感じられる。そんな風景がよく似合う彼女は、ここで密やかに俗世から離れて余生を生きている。 「実は柚芽殿について、少しお話を聞かせて頂きたいと思いましてね…ここまでやって来たというわけですよ」
友雅の口から娘の名前が出ると、彼女の瞳に一瞬のきらめきが浮かぶ。慎ましい微笑みを携えていても、やはり母親の想いは消えることはない。
そんな彼女の姿勢に襟を正した友雅は、少し背筋を伸ばしてゆるくかかる前髪を掻き上げた。
「率直にお尋ねしますが、亡き父上殿が存命でらした頃に交わされた会話の中で、どなたか優れた貴人の名前が持ち上がったりしたことはないのでしょうかね?」
意外な事を言い出した友雅に、彼女は少々驚いた様子だった。
尋ねられた内容もそうだったが、それ以上にそのような話題には縁がないと思っていた友雅から、こんなことを尋ねられるとは。
しばらく彼女は瞼と声を伏せて、おぼろげに残る記憶を紐解いた。
何よりも愛おしい、我が娘。彼女が将来、何一つ不自由ない豊かな生活を営めるように。それなりの家柄を持ち、彼女を暖かく包み込む心を持つ人の所へ。
親となった者が誰しも思うことを、夫と話したことは数知れない。彼が世を去り、そして娘と離れて仏門へ入ったと言えど、思うことは永遠に変わらない。
誰よりも幸せになって欲しいと。幸せにして欲しいと。
「…たわむれには話をしたことはありますけれどもね。これと言ってお名前を出すことはありませんでしたが。」
一拍の間を挟んで、静かに目を開けた彼女はそう告げた。 |
 |
|
 |