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恋愛論理
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| 第6話 |
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「頼久殿、お注ぎいたしましょうか?」
至近距離で声がして顔を上げると、柚芽が提子に手を添えて頼久の杯に酒を注ごうとしている。頼久は慌てて杯を手のひらで蓋をした。 「あ…私は…もう結構です。これから朝までの勤めがありますので、これ以上は身体に差し支えがあると…」
見たところ、頼久は酒をまだ二杯ほどしか口にしていないし、酔った雰囲気も見られない。ましてや膳に揃えられた椀さえも、殆ど手を付けていない様子だった。
頼久の様子が妙だと感じたあかねは、声を掛けようと喉の先まで言葉を出しかけたのだが、その合間を友雅の声が遮るように通り過ぎた。
彼の声は、視線の先にある柚芽に向けられていた。
「柚芽殿、こちらはもう充分だよ。貴女も下がって夕餉を楽しみに行かれた方が良い。」
友雅がそう言うと、柚芽は少し首をかしげたようだったが、そこは侍女としてのたしなみである。彼の言葉がどんな意味を持つのかをすぐに察したらしい。
「それでは私は失礼致します。御用がございましたら、お呼び下さいませ。」
あかねに向けて軽く頭を下げた柚芽は、静かな物腰で母家を出ていった。
「柚芽殿には少々聞かれたくない話題なのだろう?」
彼女が姿を消してからしばらくして、杯を傾けていた友雅が頼久を見て言った。 「申し訳ありません。お気を使って頂きまして…」
やっと頼久は緊張が解けたらしく、深く溜息をついて気持ちを落ち着かせたようだった。そして、やっと彼は自分から話を始めた。
「実は、先程私と一緒にいた豊矩という者なのですが。」
あかねと友雅はその名前を聞いて、先程見かけた男の顔を思い出した。頼久よりはやや痩せぎすだったが、華奢な雰囲気はなかった。至って普通の好青年、という感じだろうか。
「彼は私の父の友人の息子でして、特に弓と馬術に長けるということで、二年ほどまえからここの武士団に所属しているのですが。彼から、いささか無理難題を言われまして困っておりました。」
先程の会話の雰囲気を察するところ、豊矩の方はかなり真剣な面持ちであったようだが、それが真剣なほど頼久はどうにも出来ずに困惑していたように見受けられる。 「豊矩も年は二十二。妻を娶っても良い年頃です。縁談などの話もあったことはあったらしいのですが、本人が気乗りせずにいたらしいのですが……どうやら想う相手が出来たとのことで、私にどうにか相手と話す機会を作ってもらえないかとの相談をされまして。」
「……そりゃあ頼久が困るのは当然だねえ」
友雅は苦笑しながら、少し困惑ぎみの頼久の様子を面白そうに眺めていた。
確かに、そういう色恋沙汰には全く無縁というか、堅物とまで言っても言い過ぎではない頼久であるし。
そんな彼に男女の恋愛の橋渡しをしてくれなどとは、相手もなかなか無理なことを言うものだ、と友雅は唸った。 実際はたいして難しいことではない。だが、頼んだ相手が問題というわけで。よりにもよって頼久では…。 「豊矩は気持ちの良い男です。家柄も悪くはないし、武士としての技もこれから更に伸びていくでしょう。自信を持って薦めることの出来る男ですが……その想う相手に私が口添えなど出来るわけもないのです。」
他人を見極める頼久の目は確かだ。それが同僚や同じ立場の人間であればあるほど、その威力は発揮される。決して甘やかす目を持たないが、兼ね備えている実力というものは鋭く捕らえる感性がある。天真のことを挙げてもそうだったし、そんな彼が言うのだから豊矩の将来はなかなか目映いことだろう。
その豊矩が、思い焦がれている女性とは、一体どんな人なのか。
「あのー…豊矩さんの好きな人って、そんなに高貴な人なんですか?」
ここでやっと口を挟むことの出来たあかねは、ずっと気になっていたことを頼久に尋ねた。
武士といえばこの時代では上流級とは言えないだろうが、庶民ほどではないだろう。しかもしっかりした武士の家柄であるならば、気後れなどする必要は滅多にないと思うのだが、それはやはりあかね自身が京の身分制度を理解していないからだろうか。 「その方は…高貴な出と聞いておりますが、今は侍女として努めをされております。」
頼久はそう答えた。
「もしかして、すごく遠いところに住んでいるから会いに行けないとか?」 「というよりも……近すぎてかえって難しいのです」 近すぎるところ。顔を見合わせるところ。それはつまり…この土御門家か?
「本人を目の前にして、このような話を突然申し上げるわけにはいきませんので」
ということは。
「もしかして……豊矩さんの好きな人っていうのは………」 頼久がずっと頑なになっていたこと。柚芽には聞かれたくないこと……それは、ただ一つしかない。
「なるほど。彼もかなり目利きだね。柚芽殿は母上殿に似て、聡明で心しとやかで美しい姫君だ。彼女に想いを寄せるとは、なかなかの選択眼を持っている。立派なものだねぇ」 そんなことを感心している場合ではないと思うのだが…とあかねは友雅に突っ込みたくなった。
「で、頼久にはどうすることも出来ないから、困っていたというわけかい。」 「豊矩は、私ならば神子殿や藤姫殿と直接お話する機会が多いということで…しかも、柚芽殿は神子殿のおつきの侍女。直接彼女の心を尋ねる機会もあるのではないかと。」 「確かにそうだけれどもねえ……」
友雅は唸った。
あかねは二人から少し離れて、ふと柚芽の姿を思い描く。
自分と年代が近いのに、しとやかで穏やかな風貌と物腰。気持ちもそれに違わず上品だが、気取ったところもなく優雅という言葉がよく似合う。同性として見ても素敵な女性だと素直に思えるのだから、男性からすれば心惹かれて当然なのではないかと。
頼久が豊矩のことを言うように、あかねも柚芽に対しては一目置ける女性だと思っている。
ぱしん、と音が鳴った。友雅が扇を閉じた音だ。気付いた二人は、同時に顔を上げて友雅に視線を向ける。
「取り敢えず、手順を踏んで様子を見たらどうかな」 「手順……って?」
あかねが尋ねる。
「まずは彼女のところに通う男がいるか。若しくは彼女が想いを寄せる男がいるのかどうか。それを知らない限りは豊矩殿の想いも無駄に燃え上がるだけだろうに。それをまずは調べるとしようじゃないか。」
ということは。その友雅の口振りを聞くと、頼久に降りかかった困難を友雅が肩代わりしてくれるという意味なのだろうか。 「し、しかし、鬼の一族の悪行も治まらない今、そのような私的な話題で神子殿や少将殿の貴重なお時間を裂くことになっては……」 頼久はそう言葉では言ったが、内心は出来ることなら友雅に御願いしたいと切実に思っていた。男女の恋愛の駆け引きについては、彼の前に出る者など滅多にいない。それに…自分には到底力になどなれるわけもないと自覚もある。
そんな彼の心境を知ってか知らずか、何でもないように友雅は答えた。 「気にすることはないよ。それくらいのことならすぐに片付く。八葉の役目に差し障りがあるほどのことじゃないよ。ただ、頼久の他に…神子殿にも協力をして頂かないといけないがね。」 「…私が?何すれば良いんですか?」
池の水面を魚が揺れるように泳いでいく。小さな水音が、夜の静寂の中に鈴のように響く。
「私は確かに柚芽殿とも彼女の母君とも親しいけれど、柚芽殿自身のお声を直に聞くのであるならば、一緒にいることが多い神子殿の方が良い。」 「まあ…そうですねぇ……」 「男の私には、所詮女人の心は分かりかねるよ。柚芽殿であれば、うまく言葉をかわされることもありそうだしね。だけど神子殿の御願いとなれば、嘘も偽りも言えまいよ。それに…女人同士の方が話しやすいだろう。」
友雅が知っているのは、男と女という立場にあっての心の駆け引き。心の素顔まで見透かすことはない。そして、彼自身も見せつけるつもりはない。
ほのかに靄に包んだ想いを絡め、逢瀬を楽しむのが男と女の遊戯。
しかしそれは、決して恋ではない。
--------だから友雅は、まだ恋を知らない。
「上手い具合に二人が結ばれるかどうかは分からないけれど、彼女については私も気に掛けているのでね。出来るならば良い縁を取り次いでやりたいものだから。」
そう言った友雅の口調は物優しげで、そしてやわらかな瞳をしていた。 |
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