Kiss in the Moonlight

 Story=24-----02
ゆっくりと意識が目覚めて行くのが、脳だけではなく身体全体で分かった。
足のつま先から、膝、腰、肩と続いて、意志を持って動きだす。
だが、全くそれらに反応を示さない箇所があった。

……まだ、動かないか。
左の肩から指先まで感覚がない。
ここに自分の腕があるのか、それさえ疑いたくなるほどに存在が薄れている。
なのに、しばらくすると、肩からあの痛みが腕全体を貫く。
「………っ…!」
そこそこの傷や痛みには慣れているが、今回の痛みはかなり辛いものがある。
ズキンと最初に大きな痛みが来て、そこからじわりと痺れが広がって行く。
同時に熱も伝わって、酷いときは焼けるような感覚まで訪れる。

「友雅、意識が戻ったか」
痛みに気を取られていて、シェードの向こうの気配に気付かなかった。
シャッと布が開かれる。そこには、泰明と永泉、そして数人の医師が立っていた。
「腕が痛まれますか…」
「ああ、まだ治まらないみたいだね…」
客人がいるということで、友雅は上半身を起こそうとした。やや苦痛を帯びた表情が、彼の容態を物語っている。
シャツから覗く、がっしりとした肩と腕。
見た目はどうやったって無傷のこの腕が、まさか神経を損傷しているとは…誰も思わないだろう。

「友雅殿、貴方様が眠られている間、簡単ですが検査を済ませました。」
比較的若い医師が、そう言って一歩前に出て来た。
彼は紺色の革カバーがついたファイルを、友雅に差し出した。"右手"の前に。
それを友雅が開くと…中には彼の検査結果、つまりカルテが挟まれていた。
「…神経損傷。」
診断結果を、友雅がぽつりとつぶやく。
「生憎、滅多に見られないような状態です…。」
申し訳なさそうに、医師は答えた。
滅多にないということは、それほどの重傷ということなのだろうか。
「はっきり言って、重症だ。だが、外傷もなくこの状態ということが、我々が一番気にかけているところだ。」

「友雅殿、お話頂けませんか?どのような状況で、こんな傷を負われたか…」
泰明と永泉が、立て続けに問い掛けてくる。
だが、彼らが知りたい情報は、まったく何も持っていない。
「私もこれと言って、思い付くことはないのですよ。突然に腕が動かなくなりましてね。」
しばらくはごまかしていたが、下山したとたんに痛みに襲われた。
今もやや辛いが、我慢すれば何とかなる。

すると泰明が、友雅のそばにいた永泉を後ろへと払い、身を乗り出して来た。
「頂上の龍の砦で、何があった?」
森の湖の底みたいな、薄い緑色の長い髪と気泡のような透明の瞳。
無機質な色合いのそれらが、友雅の顔をじっと凝視する。
「…最後の試練だからと言われて、一対一で決闘を申し込まれたんだよ。」
「相手は誰だ。獣か?」
「いや、砦の主だよ。」
それを聞いたとたん、永泉たちの表情が変わった。
普段は感情を表に出さない泰明でさえも、わずかに眉を顰める。

「龍…だとしたら泰明殿、治療するには…」
永泉が言いかけている途中で、泰明は医師の方を振り返った。
「あかねを呼べ。」
急に言われた医師たちは、顔を見合わせて戸惑いを見せる。
ついさっき、追い返したばかりの彼女を、今度はここに連れて来いと?
上級巫女を継ぐ儀式の前だから、外出を控えろと言ったはずなのに。

「泰明殿、何故あかね殿を呼ぶ必要があるんだい?」
友雅も不思議がった。
だが、泰明と永泉は何やら理解し合っているようで、かすかに目を合わせてうなづいた。
「あかねは上級巫女だ。龍の加護と聖なる力を与えられている。おまえの傷が龍の仕業なら、龍の力を少なからず与えられている、上級巫女の力が必要なのだ。」
龍はユニコーンと同じく、聖獣の類いである。
自分の身体の傷は自らが治す、という自然治癒能力に長けており、部外者が治療を施すよりも早く、そして完治する。
その中でも龍晄山頂上の砦に棲む龍は、聖獣の王。その力は、計り知れない。
ただし、攻撃力も並々ならないだろうが。
「とは言っても、その龍を連れて来るわけにもいかんだろう。おまえの現状で、再び登頂させるわけにもいかない。だから、あかねの力を借りるしかあるまい。」
泰明は答え、永泉にも用意を始めるように告げた。
とたんに病室が、慌ただしくなる。

「…泰明殿、ちょっと待ってくれないかな。」
手配をするために、皆がそれぞれに病室を出て行こうとした時。
友雅が泰明を呼び止める声が、背後から聞こえた。
「あのね、もしも…あかね殿の力を借りなかったら、私の左腕はどうなる?一生使い物にならないかい?」
「いえ、そこまでは…ないと思います。ただ、治療と完治までの時間が、かなり掛かると思いますが…」
代わりに答えたのは、医師の一人だった。
外科の診療に優れた男で、国内外でも名前が知られている。
これまでに、あらゆる戦乱での負傷者の治療に携わっていたため、妖獣で傷ついた症状にも知識が深い。
彼が検査を施し、読み出した結果は正確なはずだ。
その彼に対し、友雅は一言、こう言った。
「だったら、時間で治す方にしてくれないか。」
「何ですって……?」
驚いた様子で、永泉が歩み寄って来る。

「痛みとか麻痺の緩和とか…そういう薬はあるんだろう?」
「それはまあ、ありますけれど。」
あくまでそれらは、一時的なものでしかない。継続していくには、頻繁な薬の投与が必要であるし、気力的にも体力的にも消耗する。
「だったら、その方法で進めてくれ。あかね殿は…呼ばなくて良いよ。」
「何故、そんなことを。あかね殿のお力をお借りすれば、比較的に早く完治する可能性がおありなんですよ?」
いつもは控えめである永泉も、珍しく友雅に向かって食いつく。
友雅とあかねがどれほどの信頼で繋がっているのか、ここにいる誰もが承知だ。
友雅は、あかねを護るための命を担っている。
それと同時にきっと彼女も、彼のことを敬愛し信頼しているだろう。
彼の怪我を治すためなら、少しの力だって惜しまないはずだ。
現に、さっきだって心配で駆けつけてきたくらいなのだから。

「いや、だからこそ、敢えて言わないで欲しいんだよ。」
「……友雅…」
泰明に向けて、友雅はかすかに微笑んだ。
おそらく彼には伝わったのだろう、という安堵感のある笑顔だった。

唐突に、くるっと泰明が姿勢を変えた。
「ならば良い。あかねではない者を呼ぶ。」
「えっ!?や、泰明殿?あ、あかね様以外とは、一体……」
慌てる医師達を無視し、泰明はそのまま無言で病室を出てゆく。
友雅に着いているべきか、それとも泰明を追い掛けるか。
どちらを選べばよいか、永泉は悩んでいる。
「永泉様、私は平気ですよ。自覚してさえいれば、耐えられる痛みですから。」
とは言えど、まだ十分に自覚など出来ていないだろうに。
さっき意識が目覚めたばかりで、直に激痛を感じたのはまだ数度なのだ。

「泰明殿の後を着いていってください。それと…あかね殿には、このことを内密にお願いします。」
畳み掛けるように、彼は言う。
穏やかだが、しっかりと念を押す力を持った声。
「…で、では…ご無理なさらないよう、安静にお休み下さい。」
「ああ、ありがとうございます。」
永泉は軽く挨拶をし、病室を出て泰明の後を追い掛けた。



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Megumi,Ka

suga