Kiss in the Moonlight

 Story=22-----01
手を差し伸べると、迷わずこの手を握り返す。
「…っと。大丈夫?」
「ふう…はい、平気です。」
今までなだらかだった道が、ここに来てやや傾斜が出てきた。
段差がある場所も増えて行き、明らかにこれまでとは違う区域に入ったみたいだ。
度々友雅は先に進み、足元が不安定な場所では手を取って、手前から彼女を引き上げた。
足などくじいては大変だから、少しでも無茶なく歩けるように。
手を取りながら、身体を抱き留めながら、近付いてくる出口へと二人は進んだ。

……と、頬を撫でていった、かすかな風の感触。
「友雅さん、もしかしてそろそろ出口?」
「ああ、そうみたいだね。うっすらだけれど、確かに風が流れてる。外が近いっていう証拠だ。」
昨日見つけた壁の亀裂や、足場の粗さ。
外部からの石が風や雨などで吹きこぼれ、徐々に山の内部に流れ込んで来ているのかもしれない。
「外に出たら、ちょっと厄介な道になる。フードをちゃんと被って歩くんだよ。」
友雅は背中へと垂れていたフードをつまみ、あかねの頭にすぽっと被せてやる。
そして彼女の肩を抱きながら、足元に注意して前を進んでゆく。

寄り添う身体は、いつもと同じ。
小さくて柔らかな…。だけど、今日は強い濃厚なハーブの香りがする。
そして自分もまた、彼女と同じ香りが身体に染み付いている。
横顔も様子も、普段通り。
背後からとはいえ、夕べ確かに肌を抱きしめたはずなのに。
あの時はかなり動揺していたのに、一晩眠ってしまったら……いつものあかねに戻っている。
警戒心の欠片も無い表情と、戸惑いも無く寄り掛かってくる慣れた行動。
自分の手や腕には、まだ彼女のぬくもりが消えていないのに。

やっぱり、無駄なのかねえ…。
屈託の無い笑顔を見るたびに、胸が痛くなる。
初めて会った時は、その笑顔に心地良さを感じられたのに、今は時としてそれが残酷に見える。
所詮私は彼女の"護り人"でしかなくて。
そのために、この命は存在していて。
結局はそうでしかなく、せいぜい夕べみたいに真似事を頼む程度の者……か。

潮時なのかもしれない。
すべてこの運命を割り切って、役目だけを全うするために生きるべきなのかも。
そんな風に思い始めた時。
「あ、見て友雅さん!小さいけど、向こう側に明かりが見えますよ!」
彼女が指差した方向には、出口と思われる通気口があった。
天上の穴から差し込む光は、闇に慣れた目にはとても眩しく、明るく見える。
だが、その光は友雅の心の中までは届いていなかった。


+++++


かなり細身だが、しっかりとしたアイアン細工の梯子を上がり、二日振りに外の空気を吸った。
辺りは木々も少ない山道。幸い落石するような崩れはない。道幅も広い。
時折地面に、黒い小さな小石が混じっている。
「黒曜石だろう。山の内部にもあったくらいだから。」
あかねは一粒手に取って、光に翳してみた。
艶やかな黒い石の表面が輝き、自然のクラックがまた微妙な光彩を作っている。

「息苦しくないかい?ここは山の登頂部に近いから、空気が薄いかもしれない。」
「ううん、特に…私は平気ですけど、友雅さんはどうですか?」
不思議と、別段変わりはない。
気圧の変化も感じないし、呼吸もスムーズで…むしろ久々の外の空気が心地良いくらいだ。
「雲が近いですね」
天を仰ぎながら、あかねがつぶやく。
更に続く道の頂点は、雲で覆われていて見えないけれど、それほどの距離は無い。
そして、山の上から地上を見下ろしてみると…。
「一面の雲海だ。上も下も、雲で見えないね。」
出発してから二日が過ぎて。
地上で泰明たちはどんな気持ちで、自分たちを待っているだろう。
彼らのためにも、無事に早く用件を済ませて戻らねば。
それには、友雅自身も試練を乗り越えねばならない。

「行こうか。あまりひとつのところで、長く留まっていない方が良い。」
友雅は、立ち上がったあかねの手を取った。
そしてマントの影で、腰に差したソードの柄をしっかりと握りしめる。
そんな仕草に気付いたのか、雲の合間から獣の声が響き渡った。

グェェ、グェェ。
低いけれども響く鳴き声は、山と雲に反射しながら頭上から降り注ぐ。
一羽か、それとも数羽か分からない。
だが羽音は聞こえないので、近くにいるわけではなさそうだ。
「お、襲って来たりしないですよね…?」
「夕べ身体に塗ったオイルが効いているはずだよ。多分気付いてはいないと思う。平気だよ。」
そう言いながらも、友雅はあかねを山肌に近付けながら歩き出した。

歩いている間も、獣の鳴き声は止まらなかった。
姿も気配も感じられない。聞こえるのは鳴き声のみ。
…これじゃ、相手の距離感を測れないな。
相手は空を飛べる。逃げる手段が多い彼らから比べたら、こっちは圧倒的に不利な立場だ。
見渡してみても、隠れられるような木陰も洞穴もない。
足元には小石が無数に転がっていて、平らな道とも言えないし……。
精一杯、意識を働かせているしかないだろう。
あかねの身を気にしながら、同時に前後左右からの獣の動きに集中して。
頂上に辿りつくまで、ずっとこの調子でいなきゃならないと思うと、今から気が重くなるが。

泰明が言っていた。
彼女への危険は、よほどじゃない限り避けられるはず。
だが、自分には保証が無い。例えオイルを塗っていようが、少なからず剣を抜く時がやって来るだろう、と。
あかねと生涯を共にしたいのなら、その試練を超えるしかない。
そう、泰明は言った。

生涯を共にする…なんて、そんな言い方をして。
本当の意味でそうなれれば、どれだけ良いか。
--------なんて、ついさっき、半ば諦めたはずだったのに…またこんなことを考えている。
こんなに自分は諦めの悪い人間だったのか。
初めて気付かされた。本当の自分に。


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「きゃっ…!」
あかねの視界が、突然遮られた。
一瞬のうちにぱっと開がるマントが、頭の中から彼女の身体を覆い隠す。
身体が傾いてよろめきながら、地面にひれ伏していると友雅の声が聞こえた。
「そのまま伏せて」
意外にも冷静なトーンに、あかねは戸惑った。
何でもない、なんてことあり得ない。何か異常があったのだ。
それになのに彼の声は全く動揺などせず、不思議なほど落ち着いている。

覆われたマントの下から、そっとあかねは外を覗き込んだ。
「………友雅さんっ!!」
思わず、あかねは声が出た。
そこに見えた光景は、空を覆い尽くすような大きな黒い翼。
鋭い嘴と、獲物を睨むような銀色の瞳がぎらりと光る……一羽の巨大な鳥獣。
バサバサと大きな羽音をはためかせながら、その目は明らかに標的に狙いを定めている。

そして-------その視線の先には、剣を手にした友雅が立っていた。



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Megumi,Ka

suga