Kiss in the Moonlight

 Story=21-----02
「見てごらん」
彼が沈黙を破り、あかねの目の前に自分の手を差し出した。
するとその指先や手は、しっとりと水で濡れている。
「今までこの中を歩いてきて、どこにも水の気配はなかったのだけど…この壁面だけが濡れている。水が染みこんで来ているということは…外の雨水がこぼれてきているのかな。」
しかし、洞穴内部は完全に外界と隔たれており、わずかな光や風も入らない。
歩いてきた道のりの中でも、水が溜まっているようなところはなかった。
「目では確認出来ないけれど、亀裂が出来ているのかな?」
「うーん…?」
友雅の腕の間から、あかねが潜り込んできた。
そうして、今さっき彼がやったように、両手を壁にぴたりと押し付けてみる。
冷たくないけれど、確かに水の湿度が手のひらに感じる。

外気とか、音が聞こえないだろうか?
あかねは壁に顔を押し当てて、遠くまで耳を澄ます。
彼の言うように亀裂があるなら、何か物音が聞こえるかもしれない。

だが、次の瞬間---------思いも寄らない展開が襲った。


ギュアアアアアアア!!
「きゃああっ!」
耳を劈くような奇声に、驚いたあかねが慌てて壁から逃げ出した。
ガシガシ、ガシガシ…外側から壁を突くような荒い音。
続いてワサワサ…と激しい羽音が重なり合いながら聞こえる。
「…鳥獣だな。人の気配に気付いて、群がってきてるのか…」
腰を抜かしそうなあかねを抱き留めて、もう一度友雅は壁に手をかざしてみた。
嘴で容赦なく岩肌を突く音がする。
幸い、そんなことで山の表面が壊れる心配は0に等しい。どれだけ向こうが集団であっても、飛び込んで来ることはまずない。
だが……一歩外に出た世界は、こんな獣がうろついているのだ。

山の内部を上り終えたら、一旦外に出て頂上を目指す。
距離はそれほど長くないにしろ、獣は常に自分たちの近くにいるという、油断のない最後の道のり。
今はまだ安心していられるが、問題はこれからだ。
今日中にこの階段を上り終えたら……そのあとは命がけで龍の待つ場所まで彼女を護って行かねばならない。
荷物袋の中には、二人分の魔除けのオイルが入っている。
本当にあのオイルで、獣たちをはね除けることが出来るのだろうか。
もしものことが起こったら、その時は………。
「友雅さんっ、だ、大丈夫なんですか!?」
「ああ…心配しなくて良い。ここは霊山だし、獣に崩されたりなどしないから。」
怯えたような顔のあかねを、落ち着かせるために肩を叩いた。

この中にいるうちは、何一つ心配することはない。
そしてここを抜けて…外に出たあとも、心配や不安など抱かせたりはしない。
彼女がそう感じるよりも先に、自分が命を盾にしてでも危険を払い除けるのだ。
それが、自分の役目なのだ------と、深く友雅は自分に言い聞かせた。


+++++


休憩の度に羅針盤を確認する。
着実に歩みは狭まってゆき、到着地点まであとわずかとなった。
まあ、わずかとは言っても全体から見た距離であり、実際にはあと4時間ほどは歩かねばなるまい。

「友雅さん?」
足を止めた友雅の顔を、隣からあかねが覗き込んだ。
「ここで今夜は休もうか。」
羅針盤と懐中時計を照らし合わせてみると、時計の時刻は午後6時を過ぎたころ。
このまま4時間歩いたところで、出口に辿り着くのは10時過ぎ。
それから外に出るなんて無茶だし、夜に山道…しかも外を歩くなんてこと、危険極まりない行為だ。
「朝までここで休んで、それから歩き出せば明るくなった頃に外に出る。その方が安全だろう?」
「…そうですね…。暗いと、獣とか潜んでいたら避けられないですもんね」
友雅の話に納得して、あかねも足を止めて荷物を下ろした。


食料は切りつめなくても、何とか用意した日数分で足りたようだ。
外に出て目的地までは、一日も掛からない。
せいぜい半日であるから、残りの食料と水で間に合うだろう。
「味気ない食事も、もうすぐ終わりだからね。儀式を終えて戻ったら、詩紋に好きなものを作ってもらうと良いよ。」
堅めのチーズとパンをかじるあかねに、友雅は笑いながら言った。

「君が上級巫女の儀式を終えて王宮に戻ったら、おそらく盛大なパーティーが開かれるだろうね。」
「パーティーですか?」
「そう。新しい上級巫女様の誕生を祝う、そりゃ賑やかな宴になると思うよ。」
国王直々の主催で行われ、皆の前で彼女は上級巫女の証を授与される。
まるで戴冠式のような厳かな儀式のあとで、華やかな夜会が開催されるのだと聞いている。

「多分詩紋が厨房を指揮するだろうから、今からリクエストしておくと良いんじゃないかい?」
主賓はあくまであかねである。
彼女の好みが最優先とされ、それらはパーティーの料理の種類も左右する。
「ああ…でも、甘いものばかりにされるのは、ちょっと困るかな」
フルーツにチョコレートに、蜂蜜やバニラクリーム……。
苦手ではないが、スイーツオンリーのパーティーメニューでは、さすがに辛い。
「辛めのワインに合うような、そういうものも詩紋に頼んでくれるかい?」
「そんな心配しなくても、詩紋くんはちゃんと考えてくれますってばー」
若いけれど、食に関する技術は優れていて、薬草などの知識にも長けている詩紋は、王宮の厨房に必要不可欠な人材だ。
宮中に住まう者たちの食の趣味や嗜好を、ほぼ全員理解しているという噂もある。
そして、その噂は限りなく真実に近いと認められている。

「そのためにも、お互いもうひと頑張りしようね。」
コツン、とグラス同士が触れ合う音が響いた。



食事が終われば、特にやることもない。
くつろぐにしても、そんなのんびりできる場所ではないし、せいぜい少し食休みをしたら、あとは寝るくらいだ。
「え、もう寝ちゃうんですか?」
「明日は本当のラストスパートだからね。乗り越えられるように、早めに身体を休めないと。」
そう話しながら友雅は、広げたマントの埃をたたき落としている。
あかねもそれを見て、真似るように自分のケープコートをぱたぱた叩いた。

…確かに友雅さんの言うことは、もっともなんだけど…。
でも、もうちょっとゆっくりおしゃべりとか、していたいなあ…。
荷物袋の上にある懐中時計は、まだ午後8時を示しているところ。普通ならまだまだ寛ぎタイムだし。
上級巫女になるっていうのに…私、暢気すぎるのかな?
少し緊張感を持って、姿勢を正さないといけないかな……。

「あかね殿」
自分を呼ぶ声がして、あかねは振り返った。
「これ。今夜のうちに、身体に塗っておかなきゃね。」
友雅が荷物袋の中から取りだした、黒い小瓶。中身は強力な魔除けのオイル。
「明日は外を歩くのだし、前回の効能も薄れて来ている。さっき獣に気付かれたのは、おそらくそのせいだよ。」
もしかしたら、他にも亀裂が入った壁はあったのかもしれない。
しかし、獣が騒いだりしなかったのは、少なからずオイルの効能が影響していたのだろう。
効果は一日半程度、と聞いている。
そろそろ、二度塗りが必要な時期に差し掛かっていた。



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Megumi,Ka

suga