Kiss in the Moonlight

 Story=20-----01
いつの間に眠りに着いたのか、さっぱり覚えにはないのだが、ぼんやり薄曇りの意識の中で、肩を揺する手のぬくもりを感じた。
「あかね殿、そろそろ夢の中から戻っておいで。」
耳元で優しい声が語りかける。
手を差し伸べるように、静かに穏やかに、その声が目覚めを誘う。
「……う…ん〜…」
ごしごしと目をこすり、あかねは上半身を起こした。
目の前には、声の主がいる。
「よく眠れたようだね、良かった。」
時間は少なくても、深く眠れることが大切だからね、と言って友雅は、あかねの額に唇で朝の挨拶をした。

「いよいよ今日から、最後の旅に出発だ。気持ちも体力も余裕を持って、頑張らないとね。」
枕元に置いてあった荷物に、友雅が手を伸ばした。
最低限の衣類と最低限の食料と水。
そして、手入れの済んだ剣が添えられていて、否応にも現実に引き戻された。
「今朝は詩紋が、早めに朝食の用意をしてくれているよ。さ、外に行こう。」
「…はい。」
あかねは、差し出された友雅の手を取る。
包むその手の感触は、何らいつもと変わらない。
けれど……これまでとは全く違う朝が、いよいよ明けようとしていた。



空の色はラベンダーにも似た、薄い青と朝焼けの紅が混ざり合っている。
日が昇るにはもうしばらく掛かりそうだが、朝日が顔を出す前に出発しなくてはならない。
既に朝食の用意も出来ており、必要なものは彼らによって準備されていた。
「あかねちゃん、もういらないの?」
普通ならパンをひとつ食べるのに、今日のあかねは半分程度で手が止まった。
スープもまだ残っているし、果実も口を付けていない。
「食事はしっかり摂れ。そんな量では体力が持たぬぞ。」
泰明が忠告するけれども、やはり緊張で食が進まない。
覚悟は出来ているが、落ち着こうと思っても期待と不安で頭が一杯だ。

「別に無理しないで。食べられるだけで良いよ。」
先に食事を終えた友雅が、隣からあかねの肩を叩いた。
「こまめに小休止するつもりだし、その都度少しずつ口に入れれば良いさ。」
木の実などは、歩きながらでも食べられる。
無茶して胃に突っ込んで、気分が悪くなったらそれこそ問題だ。
「ね、そうしよう。構わないよね?」
宥めるようにあかねに声を掛けてから、友雅は泰明の顔を見た。
この旅の中で、一番重要な道のりになる。体力もそうだが、精神的に過剰な負担は掛けさせたくないのだ。
「……構わん。だが、一日分の食料は必ず摂れ。」
「分かったよ。」
山の中へ入れば、外界の光も殆ど遮られてしまい、食料になるような植物も期待できない。
持参する水と食料だけが、しばらく二人の命を繋ぐことになる。

朝を告げる白い鳥が、群れになって東の空を横切っていった。
あと数十分で夜が明ける合図。
その日一番の太陽を浴びる前に出発すること。
二人に与えられた、出発の際の条件。
「そろそろだな。出掛ける用意をしろ。」
泰明の声が号令のように響くと、立ち上がった彼らは列を作るように同じ場所へ向かい、その距離は割と近くで止まった。


山の奥に続く、薄暗い洞穴。
中を覗き込んでも何も見えないが、深く先に道が続いているようだ。
「お気を付けてお出掛け下さい。」
「二人とも、気を付けろよ」
頼久とイノリに続き、一人ずつあかねたちに声を掛ける。
次第に空が明るくなってきて、さっきの鳥の群が徐々に姿を消してゆく。
太陽が、昇り始める。

「……時間だ。出発しろ。」
泰明が二人の背中を押すように、暗い洞穴の方向を指差した。
心配そうな顔をしている者、いつもと同じように冷静な表情の者、門出を送るために穏やかに微笑みを浮かべる者。
「じゃ、行ってきます。」
あかねは彼らに挨拶をして、友雅に肩を抱かれながら、一歩一歩先に進み始めた。


+++++


背後の明るい景色とは全く違う、暗い穴の中で視界が塞がってゆく。
いつしか外からの音も消え、足音しか響かない静寂の暗闇が訪れた。

カチッ。

何かのスイッチが作動したような音がして、ほわんと辺りが明るくなる。
手を繋いでくれていた友雅が、片方の手でランプのスイッチを押したのだった。
「中は暗いからね。これで照らしながら進もう。」
真鍮で出来たランタン風のランプを、友雅は翳しながら道を下りてゆく。
それでもあかねの手だけは離さず、誘導するように先頭を保ちながら歩いていく。
「足元、気を付けてね。しばらく下り坂のようだから。」
聞いた話によれば、洞穴の口から一旦下りてゆくと、階段が始まるホールに辿りつくらしい。
そこまで行けば、あとは整備された階段を延々と上るだけだ。

「ずっと暗いんですかね…この穴の中って」
「どうだろう?でも、外の明かりが入りそうなところは、なさそうだからねぇ…」
歩き進むたびに、足のつま先に小さな岩が当たる。
壁が崩れているところでもあるのだろうか…と、注意しながら二人は進み続けた。
暗いながらも分かれ道などは一切なく、ただ一本の道が通っているだけなので、迷うような場所がないのは有り難い。

「大丈夫?少し休もうか?」
友雅が振り向きざまに言うと、あかねは笑いながら答えた。
「休むって…まだ出発したばかりですよ?」
しばらく歩いてはいるけれど、まだ出発して一時間も経っていないだろう。
いくらなんでも、休むにはちょっと早すぎるだろうと、彼女は軽やかに笑った。
「じゃ、疲れたら遠慮なく言うんだよ。先は長いんだからね。」
「うん…分かりました。でも、まだまだ平気です!」
足音がぴったりと近づき、彼女が手を握り返す。
寄り添うように歩きながら、わずかな明かりだけで先へ向かう。

さっきまでは不安そうにしていたが、少しは肩の力が抜けたようだ。
話し声も笑い声も明るくなったし…おそらく今までは緊張していたに違いない。
どうあがいても、どう急いでも、限界というものがある。
持参した水と食料は、四日程度は余裕がある。
行きと帰り、それぞれ二日ほど掛かるという予定だが、もしも日にちがかさむようならば、自分が切りつめれば彼女の食料は補える。

まだおおよそのことしか考えられないが、あまり気負いせずに、最初はのんびりと進むのが良い。
その方が、彼女のメンタル面も和らぐだろう。



***********

Megumi,Ka

suga